ユリカとユリイカ

二度東端

ユリカとユリイカ

 「おはようございます。八時です。出勤の時間です」


 けたたましい音量の声が室内を反芻して耳に届くと同時、ベッドからゾンビのように身体を起こすのはいつものことだった。しかしいつもと違ったのは、そのまま洗面台に向かう前にちょっとした違和感。


 ――あれ、今日土曜日じゃね?

 

 スマホの画面に目をやると、確かに「土曜日」の文字が踊っていた。間違いない――今日は土曜日であり、思いつく限り出勤する用事もなかった。まぁ、まだ頭が動いていないので忘れている可能性がゼロではないということは、僕の低血圧に対する言い訳として残しておきたかったが。

 

 僕は恨めしそうな視線を、声の元――端末に投げた。その瞬間、端末の画面が一瞬ブラックアウトし、いつもの画面に戻ったのであった。


 能海ユリカ。

 僕の幼馴染であり、恩人でもあり、恋人であり、悩みの種でもあり、なかなか一言で定義するのが難しい存在。

 ただ一つ間違いなく言えるのは、彼女は天才だった。


 僕のようないう凡才が言う「天才」という言葉ほど陳腐なものはないだろうが、そう語彙もない僕にとっては、そう形容する他になかった。そして僕だけではなく多くの人が彼女をそう呼んでいた。


 その多く人の中には、僕が彼女以外にも「天才」と評するような人たちも含まれている。そう考えると、凡人たる僕がおこがましくも彼女に下した「天才」という評価も、あながち間違ってはいないのではないか、と思ったり。


 その天才――彼女は今、アメリカにいる。一向にリアルタイムで連絡を寄越さないところを鑑みると、研究が忙しいのだろう。僕が丸一日かけても一枚すら進まなかったフーリエ級数の展開問題を、僕が泣きついた十分後に全て解き終えた彼女を忙しくさせるぐらいなんだから、流石アメリカだ。


 若干話が逸れたが、さっきの端末の製作者がその彼女だ。


 およそ三年ほど前になるだろうか。

 彼女がアメリカに経つ際、空港で手渡されたかなりコンパクトなノート型のパソコン――のようなもの、とでも言おうか。


 僕が「端末」と呼ぶのは、知らないOSで動き、様々な最新鋭の技術が搭載されたこの代物を、パソコンと呼んでいいのか自信がないからだった。


 この端末に、今の僕の生活は、様々な意味で支配されている。


 「おい」


 僕が端末の前に座って声を掛けると、顔こそユリカに似ているものの、服装と胸部に確実な違いのあるビジュアルが画面に表示される。

 「せっかくの休日に早起きさせてくれてありがとな」

 僕は嫌味たっぷりに礼を言った。

 「そもそも、八時に起きるのは早起きとは言いません。サラリーマンの平均起床時間は――」

 「御託は結構。僕にとって八時は――」

 「個人の主観も結構です」


 朝から僕の低血圧が解消するようなイラつきをもたらすこの代物。

 最初はただの便利で高性能な目覚ましアラームでしか無いと思っていたのだが、一ヶ月ほど経つと、凡才の僕でもこれが「人工知能プログラム」であることがわかってきた。そして今でも後悔しているのだが、端末を初めてインターネットに接続したその日から、は確実に意思と知識を持ち始めたのだった。


 当初は性別なんか気にしたことはなかったが、アラームに使われる音声データがユリカのものをベースとしているので、単に女性をイメーしシていたに過ぎなかった。

 

 ある日、それまで単に「アラーム」と呼んで反応していた彼女が、自分の名を求めるようになった。この点に関しては紆余曲折を経て、今は「ユリイカ」と呼んでいる。呼ばされていると言ったほうが適当だろうか。生みの親のユリカに似ているという単純な理由で、この名前は気に入っているらしいが。

 

 そしてビジュアルについても、ある日を境にして、先程述べたような女性のデザインが表示されるようになったのである。ユリイカ曰く、僕のネットサーフィン中における嗜好を蓄積し、表示される女性の画像に対する瞳孔の反応や視線の動きを内蔵のセンサーで捕捉、それらを総合的に勘案した結果がこのビジュアルらしい。

 

 悔しいことに――ドのつくストライクな感じで嬉しいことは嬉しいのは間違いなかった。

 

 ただ、中身が問題である。生みの親で恋人であるユリカの性格、僕が好きなタイプの女性の性格、そのどちらにも全くもって似つかないそれであった。

 

 人間、大事なのは見た目ではなく中身だという古典的言説を、人ですらない最新鋭の人工知能から改めて教えられるという一種の皮肉があった。


 「御託も個人の主観もさておくとして、とりあえず僕を休日の八時に起こした理由を教えてもらおうか」


 「自分でわからないんですか?」

 「わからないから聞いてるんだ」

 「人間には脳があるはずです。考えたらどうです?」


 人間でない彼女に言われると、ますます煽られているように聞こえる。


 「考えるまでもない。今日は予定はない。まだ寝ていられるだろう」


 「どうして情報の検索範囲が今日に限られるんですか。前世紀の検索エンジンですらもう少し範囲を広げられますよ」


 「寧ろ広げれば広げるほど不可解だな。学会の手伝いで今日は午後から、明日は朝から出なきゃならないだろ。今日この時間に起きてしまったことによって、僕は来週の金曜日まで早起きをしなきゃならないのだが」


 僕はそこまで言って、また起床直後に感じたような違和感を感じた。再度、スマホを手に取りカレンダーを表示する。


 来週の土曜日、六月一日。見覚えのある日付だった。

 

 「また忘れてる。ユリカさんの誕生日ですよ」

 

 僕の何とも言えない表情から察したらしく、ユリイカが答えを念押しするように言った。


 「今日買いに行かないと、プレゼント買う暇ないでしょう。アメリカまで送るなら寧ろ今日でもギリギリですよ」


 そうだった。昨年はユリカの誕生日こそなんとなく覚えていたものの、アメリカまで送るのに要する日数を計算し忘れており、結局間に合わなかった。


 今年に至っては誕生日すら忘れていた。昨年より脳が退化している僕と、昨年のフィードバックを確実に済ませている人工知能との差が、そこに如実にあらわれていた。


 僕は、恥も外聞も捨てることにした。


 「なぁユリイカちゃん、今日の午前中に回れる範囲でユリカの一番喜びそうな費用対効果のいいプレゼントは何かな?」

 「急に下手に出ましたね。あと社会人が恋人のプレゼントにコスパ気にするのはどうなんですか」


 「切り替えが早いという、僕のいいところだろう」

 「都合のいいところですね」

 一蹴された。


 ユリカは確かに天才ではあるが、変人という訳ではなく、至って普通の女の子である。だからこそ、掴みどころがないというのは往々感じていた。


 「ユリカさんは確かに私の生みの親ではありますが、かといって私がユリカさんの嗜好を知っているという訳ではないんですよね」

 

 「まぁ、恋人としばしの別れに際して、自分でつくった人工知能搭載の端末をプレゼントしてくるような奴だから、普通の女子と考えるのは無理があるか……」

 

 「いやぁ、ユリカさんも普通の女子ですよ。恐らく、私をプレゼントにした理由は――」

 

 「理由は?」

 「恋人への愛ですよ。AIだけに」


 珍しくユリイカが笑って言った。その顔は今までで一番、ユリカに似ていた。

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ユリカとユリイカ 二度東端 @tohtan_tohtan

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