かんたん詠唱ゼミナール

二度東端

かんたん詠唱ゼミナール

 「ナスミフ先生の講座は人気ですねえ、今年も」


 教授室に入った私を見るや否や、学長が嫌味ったらしい言葉を投げかけてきた。この人は嫌味でも何でもなく、バカ正直なので事実を言っているだけなのだが、結果として私が嫌な目に合うのは例年のことなので、実質的には嫌味に等しい。


 私は微笑んで返す。

 「やっぱり私が美人だから、人気があるんですかね」


 学長は私の返答に対して笑って言った。

 「うーん……僕はエクス先生のほうがタイプかな! いつも笑顔でいいよね」


 このように、バカ正直なのである。まぁ、正直なバカの可能性もあるが、一応は学長なのでそうじゃないことを祈りたい。私は嫌味で、貼り付けたような笑顔を学長に向けてやった。


 学長は手本のような苦笑をした。



 私の専門は「詠唱」である。所属は魔法専攻で、基礎科での履修を終えた学生を主に担当している。


 先程の嫌味にあった「講座」とは『詠唱の基本』である。


 『詠唱の基本』は魔法専攻の基礎演習にあたり、学生から人気があるのは結構なことだが、学内派閥や学外からの人気がない点を忘れてはならない。その点で、私は嫌な目にあっているのだ。


 ここの大学に入学した学生は、基礎科に1年在籍した後、5つの専門課程から一つを選んで学問を修めていく。


 まずは戦術専攻について。主に戦士を育成する専攻であるが、端的に言ってしまえば、物理攻撃のスペシャリストを育成する専攻である。小さな村の生まれで名を挙げたい――といった使命感に満ちたフィジカルエリートのような特待生も多い。


 続いて、治療専攻。

 学外からのニーズは絶えずあるものの、在籍する学生がそれほど多くない専攻ではある。それは、治療役という立場があまり目立たない為ということもあるが、履修するのに必要な知識や技能が多岐にわたり、基本的なステータスが高い学生でないとそもそも専攻に入れないという事実がある。

 

 政治専攻と技能専攻については、ほぼ特待生で占められている。政治については良家の学生しか学ぶ必要がないし、技能専攻は一芸で全てを捲くるような特殊能力を持った学生の受け皿にしか過ぎない。


 よって、フィジカルエリートでもない、頭が良い訳でもない、良家の血族でもない、一芸があるわけでもない、そんな学生が魔法専攻に溜まってしまうという構造が生まれているのだ。


 私はそういった不満の論理を脳内に展開しながら、決して声に出すことはなく、学長から履修希望書の束を受け取る。一応に眺めてみると悲しいかな、予想通りに、基礎科の成績も冴えない凡庸な学生20人分の紙切れがあるだけだった。



 私はその紙切れの束をバッグに入れ、教授室を後にした。



 今日はその『詠唱の基本』の初日である。私は毎年そこで、学生たちに最初の魔法をかけることにしている。それが功を奏すことはほとんど無いと知りながら、講義室へと向かう。



 入るとやはり、講義室内の雰囲気は明るくなかった。戦術専攻の血気走るような雰囲気や、治療専攻のように学習意欲が溢れ出ているような雰囲気もない。凡庸、惰性が支配しているような雰囲気である。まぁ、これもまた例年通りなのだけれど。


 私は心を無にして、教壇に立った。



 

 おはようございます。はじめまして。

 魔法専攻のナスミフです。専門は詠唱。詠唱とは、第一に言葉です。次に、その言葉が環境に干渉します。換言すれば、何かを伝えることでもあります。


 皆さんは魔法専攻で、何を修得して、何をしたいのかというビジョンを明確に持っていますか? 


 例えば、魔法使い……正確には魔法師、になりたい。このパターンが多いように思います。


 しかし、魔法師というのはそれほど需要がありません。なぜなら、ある程度高齢になっても務まるため、人材の代謝が悪いのです。


 魔法師を配置するには、戦術的なコストがかかります。詠唱の最中に守ってくれる戦士が必要になりますし、ダメージを受けた場合に回復してくれる回復役も必要になります。


 コストがかかる割に、できることは魔法を唱えることだけなのです。そう考えると、新規の需要というのも戦士や回復役に比べると、少なくなります。


 また、キャリア転換が難しいのも事実です。戦士は軍の上層部に転換したり、民間の護衛集団に転職したり、土木や農業への転換もあります。回復役は教会などの宗教系への転換、医学系への転換があります。それに比べて、魔法師のキャリアは次がありません。使い物にならなくなるまで、魔法を唱えたり術式を構成し続けなければならないのです。


 以上のような事実を踏まえた上で、皆さんは魔法専攻で、何を修得して、何をしたいですか? 挙手して発言をお願いします。





 講義室を静寂が支配する。当然、挙手するものは居なかった。

 

 これが学生たちに最初にかける魔法――その詠唱である。詠唱とは第一に言葉であり、環境に干渉するものなのだから。


 どうやら、私の詠唱もまだ錆びついていないようだった。

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