僕は恋ができない。

佐藤太郎

第1話 「一目惚れです、私と付き合ってください」

 恋愛は、誰もが自由にできるものだと思われているが、必ずしもその全てがそうではない。

 例えば、戦国時代、戦国大名が同盟関係の締結のために自らの娘を政略結婚に使うことは当たり前であった。また、現代においても、政略結婚は少なからずおこなわれているという。

 一方で、仮に恋愛をする機会に恵まれていようとも、自らそれを拒むものもいる。その中の一人がこの春、高校二年生になった月島つきしまひかるである。

 月島は、とある理由から、青春の醍醐味ともいえる高校時代に恋愛をする機会を自ら放棄しているのである。

 そのため、月島は恋愛はおろか、人と関わることさえできるだけ避けるように生活をしているのである。


 そんな月島の生活を、いい意味でも悪い意味でも変えたのが、彼女だった。

 彼女と出会ってから、何かと振り回されて・・・。単調に、平穏に過ごすはずだった高校生活が色づいていっている気がした。あの日以来、感じていなかった胸の高鳴りを感じ始めた。そうあの時、彼女の存在が消えたあの時までは・・・。


◇◇◇


 月島光は、この春から練馬第一高校の2年生となった16歳である。外見は、身長が170センチに少し満たないほどで、あまり整えられていない少し長い髪がやや印象に残る。しかし、傍からみると一般的な男子高校生であることには違いはない。


 目を覚ますとすぐに顔を洗い、リビングに顔を出す。いつものように月島の母は既に仕事に出て言ってしまっているようだ。

 月島は、ダイニングにつくと、いつものように、朝のニュース番組をつける。続けて二枚のトーストにバターを塗り、それをトースターに入れ、冷蔵庫からヨーグルトを出す。

 トーストが焼き終わるまでの間、インスタントコーヒーの入ったガラス瓶から小さじ二杯分取り出し、カップ入れ、そのままお湯を注ぐ。

 インスタントのコーヒーは決しておいしいものではないが、朝一番にカフェインを接種しておかなくては眠さで一日が始まらないのである。

 

 トーストが焼き終わると、そのままテーブルに着き、そのまま音声だけ聞いていたニュース番組に目を向けながら、朝食を頂く。

 この日のニュースのトピックは若者の恋愛ばなれについての議論であるそうだ。アナウンサーと有識者の大学の先生、そしてゲストのお笑い芸人のきんにく太郎が早速、議論に移るようだ。

 はじめに、有識者の大学の先生がデータを示しながら、若者の恋愛ばなれの実態と影響について理路整然に語っている。


「内閣府の調査によると、二十代独身男性の約六十六パーセント、独身女性の約五十一パーセントが恋人、配偶者がいません。これは出生率に大きな影響を与え、長期的に国の経済に大きな損失を与えます」


 それを受けてアナウンサーが慣れたように応じ、お笑い芸人のきんにく太郎に誘導する。


「それは大変ですねー。きんにく太郎さんはどうお考えですか」


 お笑い芸人きんにく太郎は、これぞとばかりに応えていく。


「いやー、最近の若い子はメンタルが弱いっすよ。本当に。メンタル鍛えないと恋愛に限らずやぱいっすよ」


 お笑い芸人のきんにく太郎の答えは若干、話題の趣旨から逸れている気もするが、大学教授はお笑い芸人のきんにく太郎の意見をできるだけ否定しないように返答する。


「そうですね。前向きな気持ちは、恋愛離れ解消の大切なファクターの一つですね」


 そんな会話を聞いているうちに、月島はやや少ない朝食を済ませて、左手にコーヒーカップを持ち、余った右手にスマホを持つ。そして、いつものようにテレビで見たトピックと同じネットニュースのコメントに目を通す。


「今日もコメント欄は地獄だな」


 月島は、代わり映えしないネットニュースのコメント欄の構図に唖然としながら、独り言を漏らした。

 実際、このコメント欄は、匿名を盾に、言いたい放題である。若者はメンタルが弱いという派閥が六割、コストパフォーマンスが悪いという派閥が三割、残りが一割というところである。


 しかし、今日は特にひどい。二人で五十回近くのコメントの言い争いをしている人たちがいる。こういうのが最近、よく言われるレスポンス・バトル、略してレスバとやつだろうか。


 月島は、朝食を食べている間、テレビで話題のニュースを確認し、朝食が済んだ後、コーヒーを飲みながら同じ話題をネットで見つけ、そのコメント欄を見るのが毎日の日課なのである。

 月島が、この行動をする理由は特にないのだが、言い訳をするならば、いつぞやに出題されるであろう小論文に対して、多数派の意見と少数派の意見それぞれを把握しておくだろうか。

 ―さすがに毎日見ていると、だいたいコメント欄の予想がついてくるな。内容は相変わらずひどいものだが・・・。


 そんなことを心の片隅で思いながら、月島は、ニュースの続きに耳を澄ませながら食器の片づけや学校の支度をしていく。

 こんな風に毎日のルーティンをこなしていくと、時間はあっという間に過ぎていき、ニュースは次の話題へと移っていった。


 最近、全国で体調不良を訴える若者の事例が、増加しているという話題だ。


「最近の若者はメンタルが弱いっすね。もっと筋肉つけた方が良いですよ。僕が高校生の時は・・・」


 このトピックに対してもお笑い芸人のきんにく太郎は、自らの高校生の時の武勇伝を語りながら、先ほどのニュースと同じような意見を声高に、そして、永遠に主張する・・・。


 ◇◇◇


 月島は支度を終えると、制服のブレザーを羽織り、少し早く登校する。特に、早く登校しなくてはいけない理由はないのだが、少しでも通学路が空いている時間に登校したいため、敢えて早く家を出ることにしている。


 また、この少し早い登校には、もう一つ理由がある。それは人のいない教室で勉強することである。家でもできるのではないかという反論が聞こえて来る気がするが、朝食後すぐに勉強することはやる気があってもなかなか難しい。一度、外の風を浴びることで、食後の眠気をリセットすることができるのである。


 月島は、青春のピークともいえる高校時代の恋愛を自ら放棄しているわけだが、目標がないわけではない。国立大学に入学し、給料のいい企業に就職することである。高校入学前から学歴と就職の相関関係についてはお得意のネットニュースで予習済みだ。


 月島の通っている都立練馬第一高校は、偏差値が六十にぎりぎり満たない程度の学校である。偏差値の割には進学実績が良いことで有名であるが、都内の中では田舎の方にあるせいか人気、偏差値に影響したのであろう。

 幸い、月島は昨年、この高校へ自転車で通える圏内へ引っ越してきたため、通学にはそこまで困っていないのであるが、ここから、国立大学を目指すのであれば、高校一年生の時から勉強するのが定石であろう。

 こうした目標や朝学習の成果もあって、月島は高校に入学して以来、定期テストで学年一位を取り続けている。


 そういうわけで、今日も家を早く出て、高校まで自転車をひたむきに漕いでいく。しばらくして、最寄り駅の練馬駅を自転車で横切る。四月とは言え、日によってはかなり暑く感じる。月島は練馬駅に隣接するタワーマンションを恨めしく横目に流してペダルをこいでいく。


「あぁ、こんなタワーマンションに住みたい・・・」


 月島は、高校に着くと、自転車を自転車置き場に置き、下駄箱に向かっていく。自転車をこぎ、少しの疲労を感じながらも、せっかく来たのだからと、瞬時に教室へいき、勉強をしようと足早に動く。


「三十一番、三十一番・・・。」


 月島は、新学期でまだ慣れない出席番号を小声で口ずさみながら、上履きを探していく。

 三十一番の番号を見つけると早速、勉強時間を確保するため、すばやく下駄箱の取手を引っ張る。下駄箱を開けると、見知らぬ封筒が見えた。


「何だ・・・。これは・・・」


 明らかに月島ものではないのに、はっきりと「月島君へ」と記載されている。予想もしていなかったことに、月島は驚きを隠せず、とっさにその封筒を下駄箱にしまい、辺りを見わたす。どうやら運がいいことに、月島がこの封筒を見つけた様子を見ていた生徒はいなかったようだ。こんな様子を見られていたら、誰にどんなことを言われるか想像もつかない。


 月島は、少し冷や汗を流しながら、考えを巡らせる。しかし、よくよく考えても思い当たる節がない。こういった下駄箱に手紙というシチュエーションはよく、恋愛小説でみられるが、そもそも、月島にとって色恋沙汰は関係ないものである。


 そうなると、「もしかして・・・ドッキリか?」。月島は、閃いたと言わんばかりに小声で呟いた。月島が、こう考えたのは、何か月か前のネットニュースで、学校の同級生からおふざけで告白された高校生が不登校になってしまったという記事を読んだことを思い出したからである。そんなことがあるから、若者の恋愛離れが進んでいくだろうと月島はため息を残した。全部が全部そうではないと思うが・・・。


 しかし、そんな推察をしてもこれがドッキリかどうかは種明かしがされなければわからないのである。つまり、今こんなことを考えていても意味がないのである。


 そのため、月島は取り合えず、封筒の中身を確認してみないことには始まらないと考え、辺りを見わたす。人がいないことを確認すると、下駄箱に一度しまった封筒を即座に手に取りカバンにしまう。

 そして、下駄箱を再度閉じ、何事もなかったかのように、教室へ向かっていく。幸い、この一連の行動の間に人は来なかったが、傍からみれば泥棒のようにみえただろう。月島はそんなことを考えながらも、教室へ急いでいく。


 階段を二階分登っていく。昨年度、一年生の時は一階分、つまり二階の教室であったが、今年度、二年生になってからは三階である。月島にとって、四月になってから一番つらいことであるかもしれない。呼吸を荒げながら登り、廊下の一番端までたどり着くとそこが月島が在籍する二年七組である。月島は先程の封筒の中身が余程気になっていたのか、いつもより意気揚々と扉を開けた。


 しかし、月島の視界が捉えたものは意外なものであった。何回も折った後であろう制服のスカート、今風のメイク、巻かれた髪が目につく女子三人が某ハンバーガーチェーンの朝メニューを食べていた。いわゆるクラスカースト一軍の女子というやつである。


 予想外の展開に月島も驚いたが、同時にあちら方も驚いていた。

 三人のうちの一人が状況を把握したのか、

「お、おはよう・・・」と声をかける。

 この挨拶は、本来の意味ではなく、おそらく照れ隠しが多少含まれているのだろう。いくら、クラスカーストが皆無の月島とはいえ、男子に朝からハンバーガーを食べているところを見られたのである。当然と言えば、当然かもしれない。

 月島はその状況を即座に理解し、


「おはよう・・・ございます・・・」


 と苦笑いで返事をして、扉をそっと閉じた。


 予想外の展開に驚いた月島であったが、あまりに予想外過ぎて、なんだか逆に落ち着きを取り戻しつつあった。月島は、冷静になった頭でまずは、教室以外に、誰にも気づかれずに封筒の中身を確認できる場所を探すことにした。この高校に入って一年が過ぎたが、基本は教室と家の往復。都合よく空いている教室を月島は知らなかった。


 とりあえず、校舎の中を巡回する。すると、図書室が見えてくる。月島が、図書室にいったのは昨年、学校案内で一度いったくらいであったが、尋ねてみることにした。確か、図書館には仕切りで区切られた自主スペースがあったはずだ。時刻は既に八時を回ったころであったが、まずはここで封筒の中身を確認し、残りの時間をその解読に使うことにした。


 図書室に入ると、カウンターの奥で準備をしていた司書さんが一人いるだけで、他には誰もいなかった。月島にとっては、幸運と言えばそうなのだが、今年受験の先輩方はここで勉強しておいた方が良いのではないかと月島はひそかにおもった。

 月島は、一番の奥の自習スペースにカバンを置き、カバンの中を封筒を取り出す。そして、封筒の封を切り、中身を確認すると小さな便箋が入っていた。


「八時十分に、屋上であなたを待ちます」


 そこに書かれていた内容は月島にとって、予想外と言えば、予想外なのだが、考え方によっては想像通りとも言える。


 この文面は、まるで告白をするためのシチュエーションづくりのための常套句みたいなものである。そういう意味では予想外なのだが、あまりに、コテコテすぎる。罰ゲームの告白と考えた方が自然と言えば自然だ。そういう意味では、月島の想像通りということになるだろう。


 月島も、むしろ罰ゲームであった方が、気が楽であった。しかし、月島の知っているクラスメイトのうち、おそらくそんなことをしそうな、いわゆる”一軍”の女子は今も教室にいる。これからそんなドッキリを仕掛けてくる可能性はあるが、さすがに今日はないだろう。また、”一軍”男子のうち、今ごろはカースト上位の部活であるサッカー部、バスケ部、野球部は朝練に勤しんでいる。


 つまり、本当の告白である可能性が高い。だが、月島には思い当たる節は全くないのである。


「そんな、小説みたいなことがあってたまるか。」


 月島は、なげやりだが、ほんの小さな声でつぶやく。時刻は八時八分。期待は全くなく、疑念しかなかった。そもそも、屋上が空いているかすらわからない。だが、ここまで来たらいくしないないと決め、月島は、図書室を出た。


 月島は、図書館から飛び出すと、階段を駆け上がっていく。そして、屋上の扉の前まで来るとひと呼吸おき、扉を開けた。


 日差しが月島を照らした。月島はとっさに手を顔の前に置き、日を遮った。屋上は、風通しがよく、地上よりだいぶ涼しく感じる。加えて、春特有のさわやかな香りが一層強く漂い、月島は特別な気分を感じた。


 月島は、目が慣れてきて、視界を前に向けると、そこには練馬第一高校の制服を着た女子生徒が月島に背を向けて立っている。後ろ姿だけでも、そのスタイルの良さが分かる。身長は、百六十センチを少し超えた当たりだろうか。引き締められたウエスト、すらっと伸びた細い手足、制服越しそれがわかるほどのモデル体型である。


 そして、彼女は月島の方へ振り向いた。


 後ろ姿から期待を裏切らないどころか、それを優に超える美しい顔だった。クリっとした大きな瞳に、悪目立ちしない鼻と口、作りものと言っても過言ではない輪郭に、可愛らしい笑顔を付け加えていた。その凛とした表情、たたずまいはまるで、精巧に作られた人形のようであった。色恋沙汰に疎い月島ですら、彼女の容姿に目を取られた。


 さらに、啞然としている月島の表情をよそに、彼女は月島の困惑に追い打ちをかけるように、告げた。




「一目惚れです、私と付き合ってください」

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