第4話 彼岸花

  秋葉原の駅を出て、辺りをうかがうと、弁当が入ったコンビニ袋を手に下げた男がいた。


 近づいて、名前を告げる。男は持っていた名簿にチェックを入れた。ローターに停まっていたワゴン車に乗り込む。


 窓の外を注意深く目で追った。街を抜けて、倉庫街に入ったところで降ろされた。8月の陽射しは朝から突き刺さるように強烈だ。

今日は地下1階で、その日出庫する荷物の検品作業をすると説明された。


 黙々と、段ボールの服の枚数を数えて、シートの数字と照合する。何も考える必要がない仕事、生きがいとか、やりがいとか、一切無縁だ。日雇い派遣。 


 突然ぐらりと倉庫全体が揺れた。作業の相方と目が合った。天井のレールには、今日出庫されるデパート向きの洋服5000着がぶら下がり、まだ揺れている。と、非常口に目をやったときに、先程より大きな揺れに襲われた。


「でかいぞ! カウンターの下にもぐれ!」

太い声が叫んだ。とっさに、脇のカウンターの下に頭を突っ込んだ。


 服が一斉に左右に大きく揺れ始めた途端に、足をすくわれるような更に大きな揺れが襲った。長い揺れのあいだ、テーブルの脚を掴んでいた。


「おーい、大丈夫か?」

山内工場長の声かかった。今日名前を聞いたのはこの男だけだ。たったひとりの上司。

「大きかったですね」

地下倉庫には、この日3人だけしか入っていない。

「上を見てくる」

山内が、非常扉から階段を登っていった。私も慌てて後を追う。


 1階に出ると、フロアー全体にガラスが散乱している。人の姿がどこにもないんだ。

「工場長、いますかー」

声を上げていた。大手の衣料品メーカーの本社ビルだ。通常だったら、2000人はビルの中にいるはずだった。それとも、いつも閑散としているのか。


 先に階段を上がった工場長の姿がない。一緒に箱詰め作業をしていた男の姿もない。

静かすぎるんだ。散乱しているガラスは、巨大な窓ガラスで、1階の東側にはめ込まれていた。ガラスが破損したため、外の景色がよく見える。


 駐車場は水浸しだ。ここは埋立地だから、先程の地震で液状化したんだ。

社員はどこに姿を隠したんだろう。エレベーターはすべて停止している。


 窓から出ようかと考えたが、結局ドアから外に出た。見知らぬ景色だ。不安が声を押しつぶし、人を呼ぼうにも声がでない。


 倉庫街だからか、そうだ、午後2時から4時までは人通りが少ないんだ。道路標識の越中島から北に向かい歩いた。バスも自動車にも人の姿がない。


 何が起こってしまったのか、目に見える風景は、何も起こってはいないと言っている。空の色も変わらない、街路樹も青々と繁り舗道に影を落としている。


 もう、疲れて歩けない。橋の脇で座りこんだ。


 なすすべがないのだ。コンビニには商品が並び、途中でおにぎりと、缶コーヒーを失敬した。

さまざまなな可能性を頭に浮かべては打ち消した。


 ポールシフト、異空間移動、地震、惑星衝突、ワームホールに侵入。しかし、何も起こっていないのだ。忽然と人だけが消えた。空に鷹が飛んでいる。


 言問橋のたもとに赤い彼岸花が群生している。橋に名が刻まれていた。

ああ、みんな彼岸花になってしまったのか。橋桁にもたれて川風にさらされた。突然サイレンが鳴り響いた。なんの合図なんだろ、もう私の目には彼岸花しか映らなかった。


 きっと、地震の時に私は死んでしまったんだ。やっと気がついた、みんなが消えたのではなく、自分がいなくなったんだ。だれもいないところに行きたいと、願ったのかも知れない。


 気がついたのは、病室の中だった。

「名前は?」

名前なんてあったのかな?

「年齢は?」

はて、なにひとつ思い出せない。

「なにをしていた?」

「日雇い派遣の仕事。秋葉でワゴン車に乗せられ、どこかの地下で仕事をしていたら、地震にあった、避難して歩いてたら、一面に彼岸花が咲いていたから、そこで休憩していた」


「他に思い出せることは?」

「コンビニで、パンとコーヒーを失敬した」

窃盗か、万引きの容疑で、取り調べられていると思った。


「記憶を失ったようだ。明日には思い出すかも知れない」と言われて、自分が江東区の病院に入院したことを知った。

最後に記憶があるのは、耳鳴りにも似たサイレンの音と彼岸花。


 それは、終戦記念日のサイレンで、彼岸花は倒れていた言問橋のたもとに咲いていると教えられた。


 夏が終わり、今は支援団体に支えられて、アパートの一室で暮らしている。

 

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