ワインの道を歩む先人たちの熱き魂 後編
NZへの留学生活、30歳を過ぎてからのキャンパスライフも終わりが近づいてきていた。
この頃になると、学科修了となるために必要となる様々なレポートの提出が大量にあった。
その中に、ブドウ畑の設計も含まれており、これが現在も非常に役に立っている。
ブドウ畑の設計の基本として、その地域の気象条件や生育期の温度帯・降水量、地質や地形などの土壌を考慮し、そこから適した品種を選び、その中の個体差であるクローン、さらに組み合わせる根の部分である台木の選定をする。
そこからさらに栽培方法の1つである様々な仕立て方から列や間隔の距離を設定し適した収穫量の計算、他にも様々な要素があるが、カジュアルな低価格帯向けかプレミアムな高価格帯向けか、出来上がるワインの方向性を決めていく大事な作業になる。
これらの基礎を学ぶための座学が多くあり、気象学や地質学など他にも様々な講義があった。
これらの知識の裏付けや参考例を実地で学ぶため、様々な視察もカリキュラムの一環にあった。
苗木についても地元ギズボーンに本拠地を構えるNZのワイン産業支える
企業秘密かもしれないので詳しくは語らないが、病原菌対策や大掛かりな生育方法の導入など、コスト管理までも徹底的に行なっていた。
東欧からの移民である社長の言は印象的だった。
「毎年のような気がする最低賃金の上昇のせいで、人件費が圧迫してNZでの経営が年々苦しくなってきているんだ。ラインの効率化とか生産方式でも色々と対策している。もちろん、多少の値上げで価格転嫁もしているが、そんなものは微々たるものだ。最近は一般労働者をやっている方が割に合うよ。でも、従業員の生活も守らないといけないし、苗木を提供して生産現場を支えている。それは大事な使命だと思っているよ」
このようにして、ワインのみならず農業界は支えられているのだろう。
苗木、つまり次の世代が育てられなければそこに未来は無いのだから。
次に訪れたのは
この当時からすでにNZの各主要産地でワインを造り、5万トンものブドウを扱っていた。
さらに吸収合併の末、現在ではNZを代表する名門VillaMariaを迎え入れ、生産量は更に増え、NZの輸出ワインの20%近くを扱っているという。
こちらのギズボーン支部ワイナリーは、工業団地のような地区の中にある。
ワイナリーへはワイン造り実習が始まる前に行っているので、この時には行かなかった。
あの当時は初めての大規模ワイナリーの内部に入り、その規模に圧倒されたものだった。
外観はギリギリ飲料メーカーの工場のようで、ワインを扱っているとは思えないほど銀光眩しい巨大なタンク群が異彩を放っていた。
今回はIndevinグループのブドウ畑へ行った。
畑も畑でその規模が桁違いであった。
すでに1年近くも住んでいたので、何度もブドウ畑のある地区を通ったことがあり、流石に驚きはしなかった。
ただ、日本で置き換えると分かりやすい規模感はこんな感じだ。
山の麓まで続く一面の田園風景があるとしよう。
それが全てブドウ畑なのである。
さて、ギズボーンにあるブドウ畑で栽培管理責任者と待ち合わせをしていた。
我らがワイン学科講師ブレントの運転するマイクロバスであったが、畑が広大すぎてどこにいるのか分からない。
ブレントは電話をかけ、それから3分後に車でやってきた。
どうやら畑の反対側にいたらしい。
ようやく合流し、栽培管理について説明をしてくれた。
参考となることは色々とあったが、やはり大規模ワイナリーらしさのある話を語ろうと思う。
ギズボーンはNZのワイン産地の中ではそれ程大きくはない。
しかし、最大規模を誇るIndevinであるので、ギズボーンだけで何百ヘクタールもある。
当然、機械化は必須となるわけだ。
とはいえ、農業機械はどれを取っても高額で、大型トラクターになれば新車のフェラーリ並みである。
それ故に、無駄なく利用するために大型トラクターには様々な作業に合わせたアタッチメントを装備するのが基本となる。
伸びてきた枝を切り揃えるトリミング、草刈りのモア、農薬での消毒、他にも様々な用途に使われる。
これに合わせて、農薬を散布するためにも大量の水が必要になる。
その水も各所に巨大なため池を造って、節水にも努めている。
さらに、農薬散布も節水する為に、ブドウ栽培専用のアタッチメントもある。
スピードスプレイヤーよりも圧倒的に効率的で農薬散布量も少なくなり、より効果的に農薬散布される機械である。
そこまで節水する理由は、当然であるが農業だけでも栽培されているのはブドウだけではないのである。
他の作物も大体同じ時期に大量に水を使うことになるので、それだけでとんでもない水量が必要となる。
そうなれば生活用水は一体どうなるのだ? という話だ。
他に、収穫も機械化され専用の機械もある。
これがトラクター以上に高額な上に、これまでは収穫期にしか出番がなかったが、他にも有効利用できないかと考えられた。
まずは夏場の除葉、葉っぱを一部取り除く作業があり、そこで使われるようになった。
他にも冬場に剪定作業にも使われるアタッチメントもある。
ここまでして機械化しないといけない理由は、どこでも同じで人手不足である。
加えてNZの人件費の高騰もまた、人手不足を後押ししている。
高額な機械を買う方が、人件費よりも数倍安上がりとなってしまっている現実がある。
未熟な作業員を一人前に育て上げるにも莫大なコストが掛かることになり、若い世代の農業従事者が少なくなっていく現状となっている。
短期アルバイトで外国人労働者を大量に雇っても、それでも費用対効果は機械どころか羊の放牧にも劣るのである。
だが、大規模でやることによる利点が大きいこともあるし、それほどの大生産者になった責任もあるわけだから必要なことはやらねばならないのだ。
そのために、管理者は重要なポジションになる。
日本でいえば、ある程度の企業の部長クラスと思えば分かりやすい。
そんな企業であれば、現場の意見を取り入れる社内会議が月に一度あるのは、それほど珍しいことでもない。
集まるのは各現場管理者から上の経営陣になるらしいが、その重圧はかなりなものらしい。
「でも、それが管理者だろ? 高い給料をもらっている分、現場が動きやすくなるように考えていくのが仕事だ。改善点を常に探して実現できるようにする。だが、そいつは簡単じゃない。そのアイデアが良いことだけとは限らないからな。失敗することだってあるし、責任を取らされることもある。しかし、失敗を恐れて会議で何の意見も言わなかったり、何の行動もしないことだけは一番やってはいけないことだ。そんなヤツはクビになっても仕方がない厳しい世界なんだ」
Indevinに限らず、大規模ワイナリーの主力商品は大量生産の格安ワインであることが多い。
現地では1本当たり千円以下で買えるワインであるが、その総量は何百万、何千万本以上になり世界中を相手に商売をする。
その生産現場は徹底的なまでの合理主義で、そこに妥協はない。
僕はこの数年後、IndevinのグループワイナリーであるVilla Mariaで働いたことがあるので知っているが、様々なノウハウはマニュアル化され後進に受け継がれていた。
良き会社というのは人材育成がしっかりしているのである。
最後に訪れたのは大規模ワイナリーとは対称的な
ミルトンの成功によって、NZで数多くの自然派ワイナリーが後に続くことになった、NZ自然派ワイン界のレジェンド的存在である。
ブレントの運転するマイクロバスは、ギズボーン南部に位置する河口に近い
川沿いの緑豊かな集落からさらに奥地に進み、整然としたブドウ畑が見えてくればミルトンに到着だ。
ブドウ畑から駐車場に停めると、ワイナリーの
「やあ、ようこそMilton Vineyardsへ」
と、気さくに一人一人と握手をしていくワイナリーオーナー、ジェームス・ミルトンが出迎えてくれた。
「ん? また来たのかね、君は」
と、ジェームスと僕は笑い合う。
実はこの日の先週末、ギズボーンでワイン祭りがあり、各ワイナリーでそれぞれのイベントがあった。
その時に僕はミルトンへ行った時に、ジェームスと知り合った。
メガネ姿は学者のようで気難しそう見えるが、陽気で不思議なオッサンだなとその時は思った。
「ところで、君たちが今立っている所はどこだね?」
と、ジェームスは一同に問いかける。
悪人顔ウェインが特に考える間もなく即答する。
「え? 地面だけど?」
「違う!」
ジェームスのメガネの奥が眼光鋭くなる。
が、それはほんの一瞬のことですぐに元の穏やかさに戻った。
「この足元にあるのは、ただの地面ではない。地下世界の屋根上なのだよ」
ジェームス・ミルトン曰く、地中では様々な微生物活動が行われている。
その活動による影響がブドウのみならず、農業にとって重要な要素となってくる。
目に見えないものこそ、本来は大事なものなのだという。
ミルトンで行っているバイオダイナミックという農法は、科学主義者から見るとオカルトチックで非論理的だとみなされている。
しかし、その本質は月の満ち欠けや天体の動きという微細なものまで含め、自然世界による影響をより深く観察し、農業や人間活動へとどのように実践していくのか、だという。
「……さて、案内しようか」
こうしてミルトンの視察が始まった。
ワイナリーから斜面地にある畑へと案内された。
そこでは斜面下部や上部、山林に近いなど、品種の特性に合わせて区画分けをされている。
同じ1枚の畑でも場所によって、気象や土壌条件が違うことも理解し、科学的根拠に基づいていた。
またワイナリー前の畑に戻ってくれば、歩いて回る。
畑には様々な草花があり、そのことで微生物活動の多様性が生まれているという。
ブドウに悪影響を及ぼす虫がいれば、それらを食べる益虫も存在する。
益虫を増やすために、必要な栄養素を含む堆肥などを撒いたりする。
化学農薬の代わりに、病気に対抗できる化学成分を含む植物などから漢方のように成分を抽出させた雨水も撒くこともある。
これらの堆肥はバイオダイナミックの法則に基づいて自家製しており、様々な用途に使われる数多くの植物たちも自家栽培というこだわりっぷり。
さらに、バイオダイナミックは牛の角に牛糞を詰めて作る調合剤が有名だが、その牛ですら自家飼育でエサも自家栽培という凄まじさであった。
他にも、土がトラクターなどの重い機械で土が踏み固められないように、雨が降ったら乾くまで畑に入れないなど、多くのこだわりも教えられた。
しかし、そんなミルトンも始まりは苦難の道であった。
前例が無いことで栽培の難しさは当然あった。
だが最も多かったのは、バイオダイナミックなんてインチキくさいものなど碌でも無いという誹謗中傷、ギズボーンの気象条件でオーガニックなんて上手くいきっこないと冷ややかに見られたそうだ。
だが、ミルトンは折れることなく前に進み続けた。
そして、ワインを造り出すとすぐに結果を出した。
高品質で美味いワインを造ると評判となった。
さらに、数多くのコンテストで賞を取り、大々的に高評価されるようになっていった。
あっという間にNZを代表するワイン生産者に数えられるようになった。
ミルトンの世間での評価が高まると、批判していた者たちはあっさりと手の平を返してこぞって褒め称えるようになった。
しかし、ここでザマァと言ってスカッとするだけのような性根の腐ったヤツに成り下がりはしなかった。
後進が教えを請いに訪れれば、惜しみなく知識を授けている。
バイオダイナミックという特殊な農法であるため、近接する畑との間に緩衝地を設けて近隣生産者への配慮も行っていた。
自分だけが良ければ良いという狭量さはなく、自然環境のみならず周囲の人たちも大事にしている。
最後に、ワイナリーでテイスティングをしながらジェームスは穏やかに語った。
「私はブドウ栽培が好きだ。ワイン造りも好きだ。もちろん、ワインを飲むことも大好きだ。子供たちも同じように好きになってくれれば嬉しい。さらに次の世代も好きになってくれればもっと嬉しいよ」
この年、ミルトンに息子のサムがメンバーとして加わった。
熱き魂が受け継がれようとしていた。
そして、僕もまた大きな影響を受けた。
ジェームス・ミルトンは、僕の最も敬愛するワイン生産者である。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます