神の血に溺れる~Re:キャンパスライフPART4
出っぱなし
旅に出るということ
人生は旅のように例えられることが多い。
旅人が目的地へ一歩一歩前に進むように、人生は一分一秒と死という最終地点に向かっていく。
その過程で様々な苦楽を味わい、経験値を重ねながら前進していく。
たとえ目的のない旅であろうとも、いずれはどこかにたどり着くことになる。
目標もなく日々を無為に過ごしていこうとも、いずれは死へそして無となる。
大雑把に比べても似通っていると思うが、本当にそうだろうか?
旅に出ると人は幸福度が上がるという。
旅のスタイルによっては苦難の道もあるものだが、人生は幸せよりも辛いことの方が遥かに多い。
自分の足で立って生きるということは、何かとの戦いの日々なのである。
だが、その戦いから逃げることは本当にいけないことなのだろうか?
決してそんなことは無いと僕は思う。
変わらない毎日に身も心もすり減り、精神が闇に染まっていくのならば逃げてしまえば良い。
自暴自棄になり、自身や他者を害するくらいであれば、ちっぽけな世界からさっさと出ていけばいいだけの話だ。
どこぞの知識人などが、逃げ出した旅など無駄で何の意味の無い時間の浪費と偉そうに宣うこともあるだろう。
そんな雑音は知ったことでない。
自分にとって本当に大事なものは自分の中にある。
現実の辛さに押し潰されて視野が狭くなっているのに、自分の中にある大事なものを見つめろなど不可能な話だ。
そのために、一度日常から離れて自分を見つめ直し、自身と対話する必要がある。
その手段の一つが旅なのだ。
昨今はネットで簡単に旅の情報を手に入れることはできる。
しかし、誰かの発信した情報など真実の中のほんの断片に過ぎない。
実際に自分の目で見た光景、耳で聞いた風景の旋律、肌で感じた踏みしめる大地、訪れた土地の匂いや味、自身の五感で何を感じ何を思ったのか、それが旅であり人生だと僕は思う。
その中で自分の本当の姿が見えてくる。
さらに語れば、コスパだとかタイパだとかいう「無駄のない人生」というものを最近よく見聞きする。
将来性の見えない現代日本で努力して地道に生きる虚しさが漂っているようにどこか思える。
何とも閉鎖的でつまらないことである。
ここではっきりと断言しよう。
そもそも、人生というものは何の意味もなければ、何の価値もない。
人生自体、無駄の産物なのである。
それ故に、テンプレのように他者と同じように画一的に生きたところでただ虚しいだけでしか無い。
同じ無駄な人生であるならば、有限の道のりを少なくとも自分だけは楽しんだ方が遥かに良い。
もしも共感してくれる誰かが、人生という旅路を共に歩んでくれたならばより楽しくなることだろう。
しかし、やりたいことをやって楽しみたいだけではあるが、人生には様々な壁が立ちふさがる。
その壁を乗り越えていくことは大変な労力を必要とすることが多い。
乗り越えた先に何があるのかは、やってみれば分かる。
その先に見える景色は、一人ひとりが違うのだから。
自分だけの宝物を見つけること。
それが旅であり、人生というクソゲーの楽しみ方だろうと僕は思う。
さて、偉そうな前置きが長くなってしまったが、今回は実際に修学旅行のような実習に行った話になる。
これもまた日常から離れた旅であり、普段とは違った景色に身を置くことになるわけだ。
どんな旅であったのか、ワインと食事を楽しみながら思い出していこうと思う。
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