辺境の偏狭? ポツンと一軒
ランチを済ませた一行は再び青空の中へ飛び立った。
真珠はまたハンモックに揺られ青空を眺めていた。クルックスはヤシの木の上で昼寝している。
マッシュはフランクの頭の上で、望遠鏡から覗く光景と地図を見比べながら時折何かをメモしていた。
ハンモックに揺られ、心地好くなった真珠は夢を見ていた。海一杯に投げ込んだ煌きミミズを照らす太陽の光を、海の底から眺めている。ずっとこんな光景が見たかった気がする。あれ? これはなんだっけ……。
どれくらい眠ったのか、空がほんのりとイエローに染まり始める頃、マッシュが言った。
「あんなところに一軒だけ家が建ってるぞ」
その声で真珠とクルックスが目を覚ました。
「何が見えるんですか?」
クルックスがマッシュの側に飛んでいく。
「この望遠鏡で前方を見てくれ」
望遠鏡を受け取り、クルックスも前方を確認する。
「本当ですね……他に何もない平原にポツンと一軒だけ家が見えます」
望遠鏡を降ろしたクルックスが続ける。
「なんだか寂しいですね」
「行ってみる?」
フランクが少し眠そうに呼びかけた。
「そうだな……パット先生の地図にも書かれていないようだし。フランク、驚かせないようにちょっとだけ離れたところへ降りてくれ」
真珠はまだ眠い目を擦りながら三人の話を聞いていた。
――マッシュはフラシアス先生に会ってからすっかり冒険家気取りね。ま、それは前からか。
真珠は起き上がり、脱いでいたサンダルの紐を結んだ。
平原に映り込むフランクの影が、徐々に大きくなっていく。そして優しく着地した。
フラシアス先生のところを離れてから、フランクの飛び方が前にも増して穏やかになったわ。真珠はそう感じていた。
その家はただ一軒、ポツンと建っていた。遥か東後方には、大きな山々が連なり、南西に向かっていくつもの川が伸びている。
「水源はかなり遠くにあるようだが。住むには適さない土地だ」
地上に降りると、マッシュは速足で一直線に建物を目指した。
すぐ傍まで近づくと、じろじろと見ながら周りを行ったり来たりし始めた。建物は、遠くから見たよりも随分と立派な総木造の建物だった。
「ああっ。そんなジロジロ見るなんて、わたくし感心できませんよ。ドアをノックされては?」
クルックスは少し焦りながら、持ち前の礼儀正しさをアピールしたが、マッシュは気にせず歩き回っている。
「もうっ。驚かせないようにって自分で言ったのに」
クルックスはポゥと肩を落とした。
木枠の扉との家屋の間には、良く手入れされた花壇が配置されている。石に交じって流木のような複雑な形の木材が、花壇の仕切りとしてあしらわれていた。
家屋の北側に石造りの井戸があり、脇にはバケツが三つ、キチンと手入れして乾されてあった。井戸は干上がらないように、周りに木が植えられて日陰を保っている。なぜか孤独な寂しさは感じさせない。
建物の中から何やら音が聞こえてくる。木製だろうか、ハンマーで何かを叩く小気味よい音だ。
ハンマーの打音が平原に響き渡る。
「何をしてるんだろう」
フランクの声が心にこだまする。マッシュがさらに歩み寄って、東の窓から中を覗いた。
「ああ! そんな堂々と覗き見なんて! 見つかったら知りませんよ!」
クルックスは今から謝る気満々だ。
「ああ。怖い人とか偏屈な人でなければ良いのですが……」
「何か見えた?」フランクが訊ねる。
真珠も別の窓から中の様子を伝えた。「時計が沢山見えるわ」
「時計工房……だろうか」
マッシュはハンカチで窓の隅をこすって言った。
クルックスが時計工房という言葉に反応して大きく飛び上がる。
「なんですって!? 時計!」天にも昇る気持ちで万歳した。「もしや、わたくしの家がどこにあるのかわかるかも知れません!」
「コラ! クルックス! 声が大きい!」
クルックスの歓声に興味を引かれたのか、ガチャリと音を立て、建物のドアが開いた。
「これは失敬した。大声を出してすまない」
「大声? いや私は、窓から何かが強く光るのが見えたので様子を見に来たのだが……」
男はそう言うと後方にいるクルックスの光る頭に視線をやった。
「ああ!?」
これはしまったというように、クルックスは頭を両羽で覆った。
「ああ!」
クルックスの「煌きアタマ」にすっかり慣れてしまっていた一行も同時に納得した。
木製のドアから出てきた人物は、小太りで背の低い人間の男だった。だらしなく伸びた白髪と口髭には、黒髪がまだらに交じっている。薄汚れたブラウンのシャツに、ベージュのズボン、よれよれの薄紺のエプロンを掛けている。
突如平原に現れた奇妙な一行を一瞥すると「何用かね?」と訊ねた。マッシュが一歩進み出て挨拶する。
「驚かせてすまなかった。紳士よ。我々は旅の途中、この平原を南西から来た。水脈もなく、このような場所に佇むあなたの建物に興味が沸き、立ち寄った次第である。無作法で申し訳ない」
男は訝し気に一行を観察する。真珠に目を留めると、警戒していた表情が、驚きの色を帯びて軽くほころんだ。
「おや、人間のお嬢さんも一緒なのか、これはまた珍しい旅の組み合わせだ」
真珠はおずおずと進み出て、ぺこりとお辞儀をした。
「突然お邪魔してごめんなさい。はじめまして。わたしは真珠と言います。こちらはマッシュにフランク、そしてクルックスです。おじいさんはここで何をしているんですか?」
「いらっしゃい、真珠」
礼儀の良い真珠の自己紹介に、老紳士は丁寧に返した。
「私はノラン。ここは私の時計工房で、時計を作ったり、修理したりしているんだよ」
小太りで、だらしない――そう見えた第一印象は、よく見ればふっくらした筋肉質だった。よれよれの身なりに関しては、仕事熱心な者によく見られがちな一心不乱さから来ているものだと思われた。
クルックスが突然会話に入り込み、ノランに自分の家のことを訊ねる。
「あの!? わたくし、家を探しているのですが! 家主の行方不明になったカッコウ時計をご存じないでしょうか!?」
「君は……カッコウ時計のカッコウなのか。そうか……木彫りなのはそういうわけなのだな」
「はい!」
「カッコウ時計か……。先ほどは君の、その……頭部の輝きに呆気に取られて気づかなかったが、君は楓でできているようだ。その胸部の縮れ杢が特徴的なんだが。おそらく名のある時計職人が時間をかけて製作したものに違いない。君のその時計は、大きいのかね?」
「ええ! ええ! こんなにも!」両羽を目一杯開いて説明する。「わたくしの家には、セコイアっていう名前のとても大きい木があります。川もあります。神様の名前みたいな難しい名前の魚が泳いでいます。茂みには鳥たちもいます! ご存知ないでしょうか!?」
「思い当たらない。すまないね」
「そうですか……」
クルックスはしょんぼりとした。
「君たちは、彼の時計を探して旅しているのかね?」
「はい。それからあちらにいるフランクがはぐれた白クジラの群れを探しています」
真珠がノランの問いかけに答える。
「そうか……すまない。役に立てないようで残念だ」
ノランは今一度一行の目を見る。皆まっすぐに、初めて出会ったノランを見つめていた。
「君たち、とりあえず中に入りなさい。カッコウの君はメンテナンスが必要だ。私で良ければ磨いてあげよう」
ノランは親心のようなものを感じて、旅の一行を自分の工房に招き入れた。
部屋の壁や床には、所狭しと時計が飾られていた。振り子時計にカラクリ時計、もちろんカッコウ時計もあった。大きな砂時計もある。
様々に折りなす時計の音が、この工房の中で縦横無尽にカチコチと音を立てていた。小さな山に延々と響くこだまのように、一行の心に流れ込んでくる。
皆思わず惚けて、ぼんやりと立ち尽くした。
中央には大きな作業台があった。深い木目の入った一枚板の大きな机の上には、複雑に分解されたカラクリ時計が置かれていた。
「ああ、そこは今少し細かい部分をやっているから、部品には触らないように気をつけてくれ」
ノランは隣の部屋から椅子と机を運んでくる。
「一人暮らしが長いので、椅子が足りないな」
マッシュがノランを手伝う。
「お一人なのですか? 寂しくはないですか?」
真珠も手を貸しながら、ノランの言葉を受けてそう聞いた。
「時計を作るには、ここはとても静かで環境がいいのだよ」
ノランは適当に椅子を置いて皆に勧めた。
「私も町に住んでいたこともあるのだが」
最後に小さな机を置くと、クルックスをそこへ呼んだ。
「さて、クルックス。こちらへおいで。楓の木は乾燥に弱いんだ。特に君のような緻密な彫刻が施されていると歪みを生じやすい」
ノランは部屋の引き出しから、何種類かの布や工具を取り出した。
「君のために新しい家を用意することもできるが」
「いいえ!」
クルックスはその申し出をはっきりと拒否した。
「わたくしを選んでくださったあのご家族の思いに応えたいのです。わたくし不在のまま、時刻のお報せがどうなっているかと思うと……。新しく生まれたお孫さんにもお会いしていない。どうしても戻らなければ」
「そうか。見つかるといいね」
ノランとクルックスは「煌きアタマ」を落とすべきかどうか相談していた。いつの間にか和んで楽しそうだ。真珠の丁寧な口調も少し緩んできている。
真珠は緊張していたのか――マッシュは部屋を観察しながらそう感じていた。それにしてもすごい職人なんだろうな。
隅には未開封の箱が積み上がっており、様々なタグが紐づけられていて期日のようなメモが書き込まれていた。ドアの脇に、一際大きい箱が真新しく置かれている。見慣れたマークが印刷された伝票がついていた。
「ああ、スパイキーのやつめ、次の配達先はここだったか。よく運んだな」
マッシュが思わずつぶやくと、その独り言にノランが答えた。
「あのカモメのことを知っているのか。最近では古いカラクリ時計の修理ができる職人がいないと見えて、各地から修理の依頼が入るんだ。おかげで自分の製作時間がなかなか取れない。しかしすべて大切な家族の時を刻んで来た時計だ。誰かが直してやらなければな」
そう言ってその新しい荷物を思い出したかのように、マッシュの方へ歩いてきて小包を手に取った。
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