第6話「雨の降る匣」

『かつての最強。……ン? かつて? ……否否! 現在も最強! 滅んでなお彼の国の技術力は最強! 世界中の技術者や権力者がその防衛力を欲しがる——その名は「クオンティ」!』


 雨が降る真夜中の歓楽街。人通りが絶えず、静寂とは無縁で、眠りを知らない街に、二人分の影が落ちた。


『クオンティは地球上で最も〝穴〟に近いエリアに位置しながら〝域物〟達の猛攻に全て耐えた! ……王国が滅びたあの日までは、領土内への侵入を一度も許した事のない最強国なのです!』


 行き交う人と人。例え目の前にいたとしても、互いが互いを意識することのないままにすれ違う。他人の存在に気づいていないのではなく、自分以外に反応する必要がないだけなのだ。

 だから、行き止まりの路地裏から突然姿を現しても、天袖とラスノマィに端末のカメラを向ける通行人はいない。


『私達が目指すのはそんな最強国が有する技術! 彼らの力が手に入れば〝域物〟の脅威に怯える事もなくなる! クオンティが滅びた原因である「孤立状態」も、全ての人類が団結した人類領域たる我々にはあり得ません!』


「……くあっ。眠いぞ、流石に」


「……おーなーか、すーいーた」


 眠気を引きずるラスノマィに、彼女以上に瞼が重そうにしている天袖。二人の入る傘の足取りはゆっくりとしていて、後ろから何人にも追い越されていく。一日中走り回った彼らはたった今仕事を終えたばかり。おまけに土砂降りの雨のせいで、疲労感は倍増している。


『参加される方はどのような身分、年齢であろうと構いません! さぁ! キミも調査隊に参加を!』


 ざあざあと降り注ぐ雨音のカーテンを突き破る程の音量。大きい音は、ただそれだけでも人の意識を塗り潰す。

 頭上でガンガンと爆音を鳴らす電子パネルを、ラスノマィは煩わしげに睨む。無視し続けるにしても限界はあって、しかも真隣で話し合う二人の声が全く聞こえなくなるのはどういうことだ。


「珍しく違う広告かと思えば、やっぱこんなこと。……夢見る連中にとって、公認の禁踏地への手段は渡りに船、いや話自体が〝白河夜船〟ってとこか」


 苦々しく、ラスノマィは吐き捨てた。


「話の中に嘘はなく、事実も話してる。だが真実がもっと隠れてる。おそらく、計画者当人も知らない真実が」


 こんなものでストレス発散にはならない。というか、いちいちストレスに勘定なんてしていられない。この街ではいつも〝こう〟なのだから。







△◯







 〝楽園〟、階層都市サリカ。都市そのものがひとつの超巨大複合型マンションと化している、人類領域で最も自然の淘汰された都市だ。

「科学技術の粋を集め、人々の暮らしの快適性を追求した」とはこの都市の謳い文句。人工雨を降らせることを可能とするほどに、この都市の科学力はヒトが求めるもの以上の結果を残してきた。

 階層都市が示す結果の中でも〝発展階層〟と呼ばれているエリアが特に有名で、サリカが「楽園」の二つ名を冠する理由の殆どを占めている。

 一体、何故に楽園? その答えは簡単で、施設の利用に「対価が必要ない」からだ。食事も無料、医療も無料。宿泊や娯楽を含め、ありとあらゆる施設の利用や提供が無料。対価が要らないというだけでなく、サービスの質も飛び抜けて高い。

 受け入れ上限の存在しない完全配給施設が〝楽園〟の正体であるのだが、人々の許容できる機能性と利便性の限界を超えて追求しすぎたその街の人気は、利便性の高さに反してあまり高くない。

 遊園地で遊ぶことは楽しくても遊び続けることには疲れるように、いつかその美味しさに慣れ、飽きが来て、嫌気が差す。

 美味しいものを食べたい。眠たい。二つ以上の生物としての欲求を併せ持っている人類にはたったひとつの何かを永遠に〝楽しむ〟という行為でさえ、続けることは不可能だ。

 だから飽きられた。

「人の為を思って作られたのに、人には好まれない」……それ故に発生した目的と結果の大幅なズレが招いた結末は〝発展階層の過疎化〟という、本末転倒な事態だった。

 人々は、より不便な場所、より開発されていない場所を求めてサリカの低階層へとなだれ込む。発展階層に暮らす人間と低階層に住む人間の数の差が、一〇倍以上にもなるほどに。それほどに人々は「労働と対価」の存在しない、ただ与えられるだけの無辜の幸福に耐えかねた。

 ただし「サリカ」はあくまでも人々への善意で発展を遂げた都市であり、都市の華のみを追求したり、発展階層から降りた人達を見捨てるつもりもない。

 楽しい場所にはみんながやってくる。そう信じて疑わないサリカは、人々の心を理解しきってはいないのかもしれない。







△◯







 定期的に放送されるようになった爆音広告は、サリカによる低階層の住人を発展階層へ引き戻す為の策のひとつだ。しかし発展階層を降りた者達の目には、発展階層以外の階層への降雨と共にただの嫌悪の対象としてしか映っていない。

 もっとも発展階層に〝立ち入れない〟ラスノマィと天袖にとっては関係のない話。広告がいつもの内容と違っていても、他に変わるところなど何もなく、ただうるさくて、ただ敵わないだけ。


「……どこが知ったかぶり?」


 というか、ただいまよりラスノマィはそれどころではなくなるのだが。

 イライラを右斜め上に向けるラスノマィが傘の外にはみ出そうになり、天袖は傘ごと身を寄せた。


「…………」


「らすのみ?」


 ラスノマィは半歩、天袖から離れる。どういうわけかその頬は熱く、彼女は襲いくる眠気を完全に吹き飛ばしていた。


「ち、違うよ。ボクだけどわたしだって、作戦に参加する理由は腐るほどある……。けど、そもそも奴らは自分達の現状を理解してない。『最強チームを組みました。絶対負けません。今から出発します』ならわかるけど、猫探しじゃあるまいし、禁踏地に人海戦術が通用する訳ないだろ」


 天袖がラスノマィに近付く。また、彼女は離れる。それの繰り返し。

 ……壁際の看板にぶつかりそうになって、ようやくラスノマィは逃げることをやめた。


 そもそも天袖がラスノマィの手を握っているから、逃げようがないのだけど。


「……?? でも、それくらいなら言う方も言われる方もわかってるんじゃないの? その上で何か秘策があるとか」


(この、能天気め……)


 お前のせいでこっちは心臓が張り裂けそうだ、という抗議の視線をラスノマィが天袖に向けたところでラスノマィの方が逆にノックアウトされてしまうことはわかっているので、彼女の仕返しは天袖の手を強く握るだけ。

 ……手を握る、繋ぐという行為がどのようなものだったのかを思い出し、またラスノマィは赤面した。


「くっ、クオンティがどこにあるかはわかるよな!?」

 

 天袖に対する気恥ずかしさを隠すように、声のトーンを張り上げた。

 ラスノマィの確認に天袖はこくん、と頷く。


「CMで言ってたし」


「……なら、クオンティで武器やら何やら手に入れた後はいいかもしれないけど、あそこに着くまではどうすんだよ」


「……あ」


 ラスノマィの指摘に、天袖は立ち止まる。何かに気付いた——思い出したのだ。


「ふげっ」


 ぽすっ。立ち止まった天袖に引っ張られて、ラスノマィの体が反転、天袖の胸の中に飛び込んだ。


「……そっか」


(……こいつ!!)


 結果が出るまでは好きと嫌いが同居する花占いの最中のように、苛立ちと羞恥心がごちゃ混ぜになって、ラスノマィの心は掻き乱される。


(こ……!)


 鼓膜に響く心臓の爆音と、掌から伝わる温かさ。天袖の華奢な体つきから知れる、柔らかさもだ。あと、埋もれた鼻で感じる衣服の匂い。

 ヒトに備わる五感のほとんどを天袖に占められて、彼女は混乱の極致に立たされていた。


(ボクだけどわたしだってのせいじゃないせいじゃない! 天袖の! 天袖のせいだ!)


 そんな中でラスノマィが行えたせめてもの反抗が、心の中で異議を唱えること。

 きゅっ……と天袖の服を掴む。


(……天袖の、せいなんだぞ)


 ささやかなばかりの抵抗は、ささくれほどの痛みも傷も、天袖に与えはしなかった。




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