人質としての価値

 質実剛健という言葉が頭に浮かんだ。グンネル国は小さく、国境を越えてから王宮までたった2日でたどり着いた。自国では国境まで10日近くかかった事を思うと、地図で見る国の大きさの違いが体感として納得できる。


 国境を超えてから、村や町の色調がくすんで見えるとは思った。春を終えて色とりどりの花よりは生い茂る草木が優勢になっているだけではない。見かける人間の服装には装飾が少なく、家の屋根の色は茶色や灰色が多く、飾りの色ガラスや置物のようなものも見当たらない。


 王都に入ってもそれは変わらず、鮮やかな色と言えば屋台に並ぶ野菜や果物くらいしか目に入らない。


「あの、殿下。この国はもっと豊かだと思っていましたが⋯⋯」


 王都に入ってからの王子は、今までの緩んだ雰囲気を改めて、真剣な顔で町を眺めていた。ヴィオラも本を置いて窓の外を観察している。王子は視線を窓の外に向けたまま教えてくれた。


「資源が採れるから豊かだと思っていたか? 確かに家庭教師に渡されるような教本には、産出量や貿易額しか書かれていないから、君が無知という訳ではないが。見た通り、この国は貧しいよ」


 すぐに聞くと、また馬鹿だと言われてしまう。理由を考えてみる。


「海が無く、山が多く、酪農にも向かない。農作物も十分とは言いがたい量しか得られない。資源を売ったお金以上に、それらを輸入するお金の方が必要?」


 考えながら言うと、ちらりを視線を向けてくれた。


「ちゃんと物を考えるようになってきたじゃないか。弱みにつけこんで、資源を安く買い叩いたり、その金すら惜しんで国土を奪おうとする周辺国とも戦わなければならない。兵士を抱えて鍛え、武器を確保する費用も馬鹿にならない」

「私達が豊かな暮らしをしている一方では、こういう事が起こっているんですね。知識として知る事と、実際に目にするのでは全く違いますね」


 ヴィオラの声も沈んでいる。ため息をついて髪の乱れを直した。


「王宮に入っても同じような感じのはずだ。驚きを顔に出すような失礼な事はするなよ」

「はい、承知しました」


 王子に聞いていなかったら、驚きを露わにしてしまったかもしれない。私達が暮らす王宮の必要以上に華美な内装とは全く違う。余計な装飾は無く、兵士の詰め所に近い様子だった。


(妃殿下が毎日華やかな装いをして私達を着飾らせて楽しんでいたのは、その反動なの?)


 スヴェアヒルダ妃殿下の私室があれほど簡素なのは、こういう生活に慣れていたからだろうか。それとも、華やかさを好むのは見せかけなのだろうか。


 こっそり窺った妃殿下の顔は、久しぶりに故郷に戻った喜びに満ちていた。


「お帰りなさいませ、王女」


 挨拶に来る人、行き交う人々、全ての人から最大の敬意を感じる。妃殿下の振る舞いにも威厳を感じる。


 子が授からない事を軽んじ、華やかさだけを好み何の力も持たないと蔑む視線、好意的な言葉など欠片も期待出来ない毎日だった。華やかさは欠片も無いけれど、私にはここでの妃殿下の方が、何だか妃殿下らしいと思えてしまった。妃殿下の気持ちを全く知りもしないのに、勝手にそんな事を思った。


 ヴィオラは何かが気になるのか、時折小声で王子に質問をしていた。


「ここで私は、故郷に戻った一人の娘として羽を伸ばします。道中が寂しいと思って無理にあなた達を連れてきてしまったけれど、ここに滞在している間は自由に過ごしなさい。私の相手はこの国の者がしますから」

「ありがとうございます」


 妃殿下は私とヴィオラの手を取った。黄金の瞳がしっかりと向けられる。


「あなた達の国のような華やかさは無いけれど、それでもこの国にも良い所はたくさんあるの。滞在を楽しんで、この国を少しでも好きになってくれると嬉しいわ」


 王子からは、この後に仕事の話をすると言われている。私達は部屋に案内されるとすぐに、休む間もなく荷ほどきを始めた。手伝いを寄越してくれるとは聞いていたけど、自国では無いのだから甘えずに出来る事は自分でしなくてはならない。


「ねえ、ヴィオラ見て。これ持って来たの」

「可愛い! ふわふわ!」

「まだ夜は寒いかもしれないでしょ? はい、ヴィオラの分もあるの。色違いだよ。どっちがいい?」

「いいの? ありがとう。⋯⋯迷う!」


 並べた部屋用の靴下を真剣な顔でヴィオラが選ぶ。私達はとっておきの寝間着を見せ合い、カティの居場所を整え、ヴィオラの家の犬の写真を飾る。普段の私達は部屋を行き来するけれど、寝室に入ったりしない。旅の途中も一人ずつ部屋をもらっていたので、同じ部屋で誰かと寝起きするのは初めてだ。普段は冷静なヴィオラですら、気持ちが高ぶった様子ではしゃいでいる。


「ジェルマナ、そのドレスにはこっちのリボンの方が合うんじゃ無い? ちょっと付けてみてよ」

「鏡、鏡はどこかしら」


 荷ほどきをそっちのけに、遊び始めたところで扉がノックされた。


(まずい、仕事を忘れてた)


 二人で顔を見合わせ、どうせ王子だろうと渋々開けると、初めて見る少年が立っていた。華美な身なりではないけれど使用人ではなさそうだ。王宮にいるのだから、それなりの身分のはずだ。私達は慌てて目上の人間に対する礼をした。事前にこの国の礼儀作法は習ったけれど、まだぎこちないかもしれない。


「思ったよりも若いな。人質として本当に価値があるのか?」


 明らかに悪意がある口調に、思わず顔を上げそうになる。でも、目上に対する礼を当然のように受けた少年は、いつまで経っても顔を上げるように言わない。私の国でも、この国でも、目上の人間が許すまで姿勢を起こす事は許されない。背中が震えてきた。


(この姿勢、辛いんだから、早くしてよね)


 ちらりとヴィオラに視線を走らせると、彼女も少し揺れていた。この少年は私達の筋力を試しているのだろうか。


「はは。根性はありそうだな。顔をあげることを許す」


 悔しいので、さも何ともなかったかのような顔をして姿勢を起こした。お腹にしっかり力をいれたおかげで、よろけたりしなかった。でも視線はまだ床に伏せたままだ。


(人質って何だろう)


「殿下。この者達に何か」


 扉の前に立ちはだかる少年の後ろからランヒルド王子が姿を見せた。少年は王子に向き直り作法通りの礼をした。


「姉がわざわざ連れて来るほど気に入っている侍女達だと聞いて、気になっただけです。私はこれで失礼します」


 姉ということは、スヴェアヒルダ妃殿下の弟ということだ。この人もまた、グンネル国の王子ということだ。後ろ姿をぼんやり見送るうちにランヒルド王子が部屋に入ってきた。


「何だ、ずいぶん散らかしてるな」


 慌てて椅子の上に広げていた服を片付けて王子の場所を作った。


「ヴィオラの家では犬を飼っているのか。可愛いな。ジェルマナ、君も気味の悪い人形を捨てて、可愛い犬の人形にでも持ち替えたらどうだ」


 返事をしないと決めて、部屋に用意されていたお湯を使ってお茶を入れる。


「私達は人質と認識されているようですね」


 ヴィオラがため息交じりに言う。気になっていた事だ。手を止めて二人を見た。王子は面白がるような顔をして足を組んだ。


「あの弟の態度からみて、我が国はかなり憎まれているようだな。まあ、当然か。⋯⋯彼らにすれば、次期女王を無理に奪い去って人質のように置いているんだ」

「妃殿下は、ここではかなり慕われているようですね」

「ここにいた方が幸せなのかもしれないな」


 王子が心底そう思っているように感じ、町で見た妃殿下と王子の仲睦まじい様子、伯爵が私に吐いた二人の仲を疑う言葉が頭を巡る。


「でも、殿下。どうして私とヴィオラが人質って言われたんですか?」

「その人質には僕も入ってるよ。妃殿下はご自分の意思で里帰りした事になっているけれど追い出されたようなものだ。本当に戻れるかどうか、そもそもこの国が帰すかどうかも分からない。確実に戻るために、どういう手を打っておくといいと思う?」


 人質に関係があることだろう。知恵を絞る。


「えっと。こちらにいる間に、勝手なこと⋯⋯例えば離婚とかですか? そういう事をされないように、王子と私達が人質になってる。⋯⋯なりますか? ならないですね」

「惜しいな」


 王子が笑う。


「ヴィオラはどう考える?」


 わずかに視線をゆらしてからヴィオラが口を開く。


「妃殿下が不在なことを幸いに、裏切りの証拠が見つかったなどと濡れ衣を着せられて、武力行使に踏み切られる事を防いでいる⋯⋯でしょうか」

「正解」

「武力行使!」


 何と言うことだ。我が国がグンネル国に戦を仕掛けるかもしれないとは、何となく聞いていた。でもそれほど差し迫った事態だったのか。


「殿下! だからうちの父は、あんなに泣いていたのですね!」

「あはは、泣いていたか。それは気の毒な事をしたな。王子の俺は切り札だから最後まで生かしておくだろうけど、有力貴族の娘がどれほどの価値があるかは微妙だ。これ以上の侵略を続けるなら人質の命の保証はしないと脅すんだ。耳、そうだな指かもしれないな、一個や二個、国に送りつけるかもしれないな」

「私の? 私の耳と指? 切り取るの?!」


 腰が抜けて床に座り込んでしまった。大笑いする王子を横目に、ヴィオラが私の元に来て立たせてくれる。


「王子、遊び過ぎですよ」

「ああ、面白い。ごめん、ごめん。妃殿下はそんなこと許さないだろうけど、さっきの弟みたいなのはどうだろうな。ここは敵地だと思って、出来るだけ一人にならないことだ」

「はい、承知しました」


 声が震えそうだ。どうしてヴィオラがこんなに平然としているのか不思議で仕方ない。

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