23 擬態
夜明けの祈りを込めた剣先が、火花を散らす。暗闇をするすると泳いで、舞って、やっと捉えたのは、美しく小指を立てたリーファさんの首だった。やさしい声が鼓膜を貫く。
「やくそく、だよ」
その一瞬、力を抜いたのが最後。リーファさんの心臓部は白く溶けて、そこから生まれた蛇に、腹部を喰われた。リーファさんの像が剥がれ、下から満面の笑みを浮かべた歌姫が現れる。
「やーい、引っかかった♡ バーカバーカ♡」
白く腐食し始めた身体を、子どものように無邪気に笑う彼女は、話を続ける。
「人間はバカねえ。今までもこうやって、やさしさが邪魔して死んだ奴がたくさんいたわ。妻を人質にしたら、命を差し出したり。愛猫の骨を見せたら、ボクも殺してくれって泣いたり。言われなくてもみーんな殺してあげるのに♡」
計画倒れの現実に、傘を下げて、ただ立ち尽くすロイド。装甲のワンピースはこの激闘を超えても、汚れひとつない。腹が溶け、意識が朦朧とするなか俺は、そんな機械人形の曲線美に、強がってピースをした。
刹那、爆発音とともに、自分の内臓が破裂する。そこから溢れるのは、秋刀魚に恋する寄生虫、アニサキス。うねうねと伸びる触手で、噛みついた蛇を包み込むように捕食する。
「ギャー! 棲家を奪いやがって、ふざけんじゃねえぞ。オレらには秋刀魚の永住権があんだ!」
「そうだ、そうだ! 私たちの家を壊すな!!」
「お前らは、他の寄生先を探すんだなあ」
各々が好き勝手に話すアニサキスは、気づいたときには店中に回っていて、歌姫も、ロイドも完全に捕らわれる。この部屋は、ナユタの胃袋だった。歌姫の甲高い悲鳴が夜に響き、ロイドはひとり、自分も一緒に死ぬんだって、プログラムでは予想できない事柄を学習した。
この店の全てがアニサキスに捕まり、腹に引きずり込まれた後。何事もなかったように月夜が佇む。埃っぽい部屋には全てを喰らい、眠る影がひとつあった。
そして、もうひとつ。部屋の隅っこに、大きなタコさんウインナー揚が何かを守るように落ちている。
「甲賀流忍術二ノ型——タコさんウインナー12円」
外を見ると、上海蟹の爪の中。夜達磨が怪我した身体で印を結んでいる。彼はいつか大切な人を殺されたその串で、今度は仲間を守ったのだった。
「ギリギリやったわ。ロイドちゃん、あんたはこんなところで殺られるタマじゃないで」
タコさんウインナーの足が開いて、自由になったロイドは、朝日が差し込む中、ありがとうございますってお辞儀をする。そして、真ん中に横たわるナユタに近づいて、あさがおに水をやるように傘を向けた。それは瀕死のナユタにとって、恵みの雨。
「hey——オマチ。むらさきでーす!」
❖
あれからどれだけ走っただろう。大きくサイレンが響いて、犬と少女が空を見上げる。振り返ると、大きな川の向こう側に、東京のビル群が朝日を浴びていて、空を走るヘリコプターが救助に向かう。
「終わったんだね、ぜんぶ」
「うん、きっとそうだね」
河川敷にふたりをおろして、任務を終えたいま、ボクのこころはさみしさが鳴っていた。
「ネコくん、ありがとう。たくさん守ってくれて」
「別に、自分の仕事をしたまでだよ」
まんまるの目を潤ませる彼女に、ボクはまたナユタの真似をして、かっこつける。すると少女もボクの鼻に触れ、わからない言葉で話した。その頬には、冷たい雪も溶かすような涙が伝う。
彼女は思い出したように、鞄に眠っていたレシートと、ボールペンを取り出して、なにかを書き、それを僕の首輪に挟んだ。それはボトルメールより不透明で、伝書鳩より素敵な伝達手段。
ボクは猫で、化け物だから、彼女の言葉はわからないけれど、それが悲しい涙だってことは理解できた。もしかしたら、ナユタが死んでしまったって思ってるのかもしれない。
でも、そんなわけない。ナユタは今まで、どんなにつらくて危ない仕事があっても、最後にはごはんを片手に、ボクを迎えに来てくれた。だからボクはボクなりの言葉で、叫んで、少女に、世界に教えてやるんだ。
「ナユタは、死なない! どんなことがあっても、ぜったいに。ぜったいに、死なないんだ!」
遠吠えのようにその声が宇宙に響いて、河川敷の草や、その奥の水も大きく揺れた。草野球の少年もバットを落とし、ボクを見る。そこにはもう、路地裏で餌を探すボクはいなくて、はじめて主人公になれた気がした。こんな風になれたのも、ぜんぶナユタのおかげだ。
ボクの声に気づいたヘリコプターが一台戻ってくる。蟹の装飾が施されたヘンテコなそれに、ボクは見覚えがあった。それは横浜市食物対策駆除課のもので、操縦席から顔を覗かせるのは、春蟹の
「ナユタくんのネコくーん! ナユタくんは無事みたいだから、安心して大丈夫ですよう。いま助けてあげますからねー」
上空からロープが垂らされる世界の中心にふと、やさしい風が通り過ぎて、季節はずれの秋刀魚が川を跳ねた音だけが、どこまでも響いていった。
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