あの頃の、”ちいさなお母さん”だった私へ

ほしときの

第1話 ちいさなお母さんが、赤ん坊だった頃

私は子供の頃、”ちいさなお母さん”と家族から呼ばれていた。

ギャンブル狂の祖父、糖尿病の合併症の為にほぼ失明した祖母、ある日突然やってきた赤ん坊だった弟。

明らかに普通じゃない、こんなメンバーで構成された『家族』のなかで、”ちいさなお母さん”と呼ばれ続け子供らしく過ごす時代を搾取された私へ向けて思い出を振り替えろうと思う。


私は昭和50年前半にこの世に誕生した。

予定日は12月25日だったらしいが、母の出産を担当した医師がクリスチャンだったらしく、ミサだから何だかわからないが25日に産気づかれては困るとの事で陣痛促進剤にて23日に誕生したと聞く。

思えばこの時から、誰かの都合に左右される人生のスタートである。アーメン。

働かない父、若き母との間に生まれ、今でいえばこの時点でちょっと詰んでいたように思える。

父は働かなかったが、ときに実家へふらりと帰り食材を拝借してくる事があったという。

実家にたかる前に仕事探せと言ってやりたいが、それでもどうにかなっていたのが昭和という時だったのかもしれない。

しかし働かなければご飯は食べられないし、赤ん坊だった私も育てられない。

だが働かないという父の意思は固く、結局若かった母が夜の仕事に出る事になった。

働かない夫と赤ん坊の娘の世話に追われる日常から離れた、華やかな夜の世界は母にとって安らぎと現実逃避ができる場所だったろう。

そこでやはりというか、なんというか。

母に男が出来た。

それでも父は働く意欲を見せず、母は私を父の元に残し男と駆け落ちをしてしまったのだ。

こう書いてみると、私は望まれて生まれてきた訳ではなかったのかもしれないと思う。

『子供が生まれたから頑張って働くぞ!』と父が思えるほどの活動源にもなれず、また母が駆け落ちを思い留まるほどの抑止力にもなれなかった。

父と母にとって、私はきっと厄介なお荷物だった。

じゃあなぜ産んだのかと聞けば、きっと『できちゃったから』などと悪びれること無く答えるだろう。

実際にささやかな反抗期を迎えた中学生の頃、誰もが一度は言う『生まれてこなければ良かった』などと言ってみると、母は『しょうがないじゃん』と答えた。

しょうがないってなんだよ、と思ったが、なんだかその『しょうがない』の一言に自分の存在の軽さを感じ取ってしまい、そのまま口を結んでしまった。

こういった複雑な家庭で育った人は、咄嗟に怒りを表に出せない事が多いと思う。

私の場合は後から怒りがふつふつと腹の中で煮えくり返り、妄想の中で言い返し続けいつまでも嫌な記憶を忘れられないでいる。

その頃、母は駆け落ちした男とはまた違う人と再婚をしていた。私を祖父母宅へ十数年も預けたままだ。

話を戻そう。男と消えた母、乳飲み子を押し付けられ父はある決断をする。

──就職。

ではなく、私を道連れにした親子心中である。母に見せしめたい気持ちもあったのだろう。アホか。

泣きじゃくる赤ん坊を車に乗せ、父が向かう先は飛び降り自殺の名所だった。

飛び降り自殺の名所は、たぶんどの県にも一、二箇所はあるだろう。

私が生まれたT県は、その中に某観光名所である滝も含まれていた。

その滝は写真を撮ると自殺した幽霊が映り込むという話が有名で、オカルト好きになった小学生だった私を大変震えあがらせた。

夏休みになるとコンビニにオカルト雑誌が並び、心霊写真コーナーを立ち読みするのが好きだった。

家にファミコンもローラースケートも無かった私の楽しみは、そういったオカルト雑誌とちびまる子ちゃんのコミックの立ち読みだった。

私がそういった子供に育ち、現在に至るという事は……父は親子心中にも失敗したのだ。

就職も親子心中も失敗した父は、その後フィリピン人の奥さんを貰う事に成功したが、そのやる気をもっと早い段階で出して欲しかったと今でも思う。

もし、父が働いていたら。

母が夜の仕事に行かなければ。

私はきっと、私からいつも遠くにあった『普通の家族』の一員だったかもしれなかったのだ。

心中に失敗した父は、私を母の実家へ預けた。父からは長い間、養育費が毎月振り込まれていたから、養育費を引き換えに私を母の実家へ引き取って貰ったのだろう。

その後、父と母はどう連絡をつけたのか二人は離婚した。

預けられた私を迎えに母はこず、代わりに養育費が振り込まれるようになった。


私は養女として、のちに祖父母の子供になった。

生活保護費をギャンブルですべて溶かす祖父と、糖尿病の後遺症で失明し透析を受けながらの生活に精神を病んだ祖母。

喧嘩が絶えずお金の事で言い争い、離婚届を丸めてぶつけ合う。

そんな穏やかとはかけ離れた環境で、私は次第に”ちいさなお母さん”、ヤングケアラーとして生活していくことになる。


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