第26話 先生の推しは怪盗ヴェール!?
赤城先生が熱烈な怪盗紳士のファンだということは知っていた。
付きまとわれたり、余計な詮索されるおそれがあったため、あえての怪盗乙女で登場することになったのだ。
でも、落胆した顔をされると……どうも怪盗のプライドが傷つくんだよね。
口元に手を近づけて考える仕草をすると、声帯にグッと力を入れた。
「そうですか……希望に添えなくて申しわけございません」
女性の声から、男性の声に変化していった。声優顔負けのテクニックだ。
赤城先生は、驚いたように目を見開いた。姿さえ見なければ男性の怪盗ヴェールだと信じてしまうほどに、完璧な変声だった。
「声だけ男性……!? これは驚きました……」
彼女は両手を胸の前で合わせて、感嘆の声を漏らした。その目はキラキラ輝いている。
私は赤城先生に近寄りながら、口を開いた。
「お嬢さんが男性をお望みのようだったから、なるべく希望は叶えてあげたくてね」
「……そ、そうなんですね」
赤城先生は顔を赤らめて、私から目を逸らした。
私は彼女の瞳を覗き込むようにして、顔を近づける。
「お嬢さんの希望は何かな?」
赤城先生はそっと息を吐いた。
「私……実は、男性のヴェールさまを模写したかったんです。ほら、ヴェールさまのプロマイド、たくさん持っているんです。それだけじゃ満足できなくなってしまって。でも、難しいですよね……」
彼女は照れたようにモジモジとし始めた。
チラリと視線を移すと、キャンバスにノートサイズの小さな絵が立てかけてあった。ピンク色の花が目に入る。ターゲットの『ハマナスの咲く湖畔』で間違いない。
「もうすぐ追手が来るから、モデルとしてじっとしている時間はなさそうだ」
キッパリと断ると、赤城先生は「そうですよね……」と残念そうに肩を落とした。
「だけど、お嬢さんには今回だけ特別にプレゼントをあげる」
「えっ?」
私は赤城先生の手を優しく取ると、その手にそっとフィギュアをおいた。
その瞬間、彼女は耳まで真っ赤にして、その場で固まった。
彼女が怪盗ヴェール推しであることは知っていた。男性の姿で行ったら、付きまとわれそうだとも。だから、怪盗ヴェールの精巧なフィギュアを用意しておいたのだ。男性版の蛍光紫のコスチュームを着た怪盗ヴェールを。絵をいただけるのなら、これくらいの出費は高くはない。
警察官たちの足音が近づいているようで、微かな地響きがする。
ゆっくりとおしゃべりする時間はないようだ。
「貴方とはもう少し話をしていたかったが、私はもう行かなくてはならない。……ところで、この絵はいただいてもよろしいでしょうか?」
私は紳士として丁寧に許可を取る。同意されなくても、盗む気は満々だが。
「はい。推し……ヴェールさまからプレゼントをいただけるなんて、光栄です」
彼女は顔を赤らめて、フィギュアを胸元で握り締めた。
「ありがとう」
小さな絵だから、小脇に抱えて走るのも可能そうだ。
よっ、と絵を持ち上げると、揮発性油のにおいが鼻を突いた。
「あの……ヴェールさまは峡雨の絵を集めているんでしょう? 何かお手伝いしましょうか?」
「ええと……私の手伝い?」
「はい、ヴェールさまが絵を手に入れられるように協力したいんです」
赤城先生は恍惚とした表情だった。
絵から黒い
早く彼女を絵から引き離さないといけない。そうしなければ、人生がうまく行っていると錯覚する代わりに、寿命が吸い取られてしまう。
「心配ご無用さ。これは私の仕事だから」
「そうですか……」
丁重に断ると、彼女は落ち込んだ表情をした。
……心苦しいけど、悪者になるのは私たちだけで十分。
「怪盗ヴェール! そこにいるな!」
私は扉が開かれるのと同時に、その扉の隙間に入って身を隠した。鍵がかかっていたはずなのに、強い力に耐えきれずに外れてしまったようだ。
赤城先生が驚いた演技でもしたのか、ドサッと床に倒れる音がした。警察官は彼女の方へ駆け寄る。
「大丈夫か!」
「は、はい……」
「怪盗ヴェールに何か盗まれていないか!」
警察官の問いかけに、赤城先生はすぐに返事をした。
「──いいえ、何も盗まれていません」
「そうか……もし、後で盗まれたものが気づいたら、警察まで連絡ください」
警察官は慌ただしく部屋から出ていく。校舎の中をしらみ潰しに探しているのだろう。
ドアの後ろに隠れた私はそろりと抜け出す。
「私はもう行くよ。私のために、嘘ついてくれてありがとう」
「……嘘はついてないわ。要らないものを人にあげるのは、盗まれたとは言わないからね」
「そうですか……。ありがたくいただきます」
同意をもらって絵を回収できるのは幸運だ。
「貴方にも幸運が訪れますように……」
心を込めて笑顔で言うと、赤城先生ははにかんだ笑みを浮かべた。
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