第16話 共同戦線の始まり

 早朝のミサ、館内の掃除、食事の支度。少年たちの生活は息をつく暇もなかった。寛太こと健太は、少年たちのペースに合わせるので必死のようだ。


「寛太くん」


 神父に呼び止められて、寛太は足を止める。


「服が曲がっているよ。……ちょっとじっとしていて」


 神父の手が伸びてきて、寛太の服の襟を正す。


「これでよし。さあ、掃除に戻りなさい」


「ありがとうございます」と寛太は頭を下げた。

 その様子を、私は遠くから見ていた。どうも神父の視線が熱っぽいというか、心酔しているというか……。

 

「いえいえ。……寛太くん」


 神父は寛太の頬に手を伸ばし、優しく撫で、唇に親指を滑らせる。


 「あ……あの……?」

 

 寛太は顔を真っ赤にした。

 「ああ、すみません」と神父は微笑んだ。

 

 と、寛太の長く伸びた前髪が横に流れると、端正な顔立ちが露わになった。神父はハッと息を飲む。


「……よく見たら君。綺麗な顔をしているね」


「いえ、そんな……」


「黒い瞳は吸い込まれそうだ」


「あ、あの……」

 

 寛太は困ったようにチラと他の人に視線を送ってきた。

 しかし、見て見ぬフリを決めているようで、誰も助けようとしない。他の人はその場から消えていく。

 

「君はいつも前髪で顔を隠そうとしているけれど、勿体ないよ」

 

 神父は寛太の頬に手を添えて囁いた。

 

「でも……」と寛太が言い淀んでいると、神父は怪しげな笑みを浮かべた。

 

「僕が切ってあげようか? その顔に似合うような素敵な髪型にしてあげるよ。……そうだ。この後、私の部屋でどうかな……?」


「あ、あの……まだ掃除が」

 

「そんなの後でいい。さあ……」

 

 神父は強引に寛太の腕を掴み、自室へ連れ込もうとする。その様子にさすがに我慢の限界だった。

 寛太は命の危険が迫れば自慢の俊足で逃げ出せるはずだけど……これ以上は見ていられない。

 私はつかつかと歩み寄ると、「神父さま」と声をかけた。

 

「あれ……? なんでここに景吾くんがいるんだい?」と神父が目を丸くしたので、私は平然を装いながら言う。

 

「神父様。見学のお客様が来ています」


「ああ……」


 神父は名残惜しそうに寛太から体を離した。寛太はホッとしているようだ。

 「すぐ行くよ」と神父は頷いた。そして寛太に向き直ると、妖しげな声で囁いた。

 

「掃除が終わったら私の部屋へ来なさい」

 

 その言葉だけ残して、神父は礼拝堂へ向かった。

 

 残された寛太は、その場に立ち尽くしていた。


「あの……ありがとうございます」

「……」


 ふと、どう答えたらいいものかな、と考える。

 どういたしまして? 災難だったね?

 探偵として潜入したばかりに、少年たちからのイジメといい、神父さまからのちょっかいといい……。思わぬ困難が降りかかるなんて……おかしくてたまらない。我慢しようとしたけれど、やっぱり無理。私は口の端を上げて笑ってしまった。

 

「まさか、君が神父さまに狙われるなんてね。ふふっ……おかしい!」


「……何がおかしいんだ」


「君は警察からの依頼……例えば麻薬の調査で、この教会に侵入した。違う?」


 澪が立てた仮説をふっかけただけなのに、当たっていたようだ。その証拠に寛太は黙り込んだ。澪の推察力、恐るべし。

 

「景吾……どうしてそんなことを知っている」


 警戒心から声のトーンを下げた寛太に、私は慌てる。


「待って、騒ぎを起こしたら、神父さまに見つかっちゃうよ」


「お前は誰だ」


「……今回は敵じゃないよ、探偵くん」


 怪訝な顔をした寛太に、私は歯を見せてにーっと笑いかけた。ところで、寛太じゃなくて、健太と呼ぶことにしようか。

 

 その作戦は思いつきだったけれど、今の状況の私たちならできる気がした。共闘しましょうってね。

 私の表情に見覚えがあったのか、寛太は私をビシッと指差した。


「お前……もしかして、怪盗ヴェール!」


「ご名答! さすが探偵くん!」


「……どうして、お前が教会にいるんだ」


「僕も目的があってね……。今は一時休戦にして、一緒に神父さまを懲らしめない?」


「……目的?」

 

 怪盗ヴェールの目的とは何かわかっているくせに、わざわざ聞いてくるとは。

 

「もちろん、怪盗の目的は絵を盗むことでしょ」

 

 私はニンマリと笑みを浮かべる。

 

「……」

 

 健太は無言で私を睨んだ。どうやら私の正体が怪盗ヴェールであることを信じたようだ。さすが、飲み込みが早くて助かるね。

 

「そう。君は麻薬を取り締まりたい。私は神父が隠し持っている絵が欲しい。二人で協力すれば、どちらも手に入るような気がしない?」


「なぜ俺の目的を知っている」


「ターゲットを追っていたら、君たち警察が動いていることを知ったんだ」


「そうか。だが、お前の世話にはなりたくない」


「またまたぁ。意地を張っちゃって。……でも、君にとっても悪い話ではないと思うよ。唇を奪われかけた探偵くん?」


「ヴェール!」


「しー! 誰が聞いているかわからないから、静かに!」


 人差し指を口に当てた私は、左右に視線を走らせる。物音がしないことを確認すると、ふーと気の抜けた声を出した。


「早速、作戦会議しようじゃないか」


「……手を組むとは言っていない。そもそもなぜ正体をバラしたんだ。俺がお前を捕まえてもいいのか」


「共通の敵を倒すのが先なんじゃないかな? 利口な君には、この意味がわかると思うけどね」


 このまま一人で調査を続けるのか、それとも味方を一人獲得するのか。天秤をかけたら明らかに味方がいた方が有利だろう。健太は諦めるように顔を手で覆った。


「……お前に従うのは癪だが、仕方がない。今回は手を組もう。怪盗ヴェール」


「よろしく、探偵くん。……そういえば、さっき君の言っていた正体をバラした理由は……僕の正義に反したからさ」


「お前の正義って?」


 健太と視線が合うと、私は不敵な笑みをもらした。

 

「弱い者いじめはダメってことさ」

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