第11話 健太視点 警察からの依頼

 警視庁本部の応接室に通された俺は、皮張りの黒いソファに腰を掛けた。向かいに座る二十代半ばの刑事は、怪盗ヴェールの捜査で何度も顔を合わせている。


「わざわざ桐生くんに来てもらったのは、一つお願いがあったんだ」

「お願いですか……」


 急に改まって言われて、俺は身構える。怪盗ヴェールについては常に情報を共有している。では、別の案件なのだろう。しかし、何も思い当たることはなかった。


「ああ……。アレルヤ教会で麻薬を密売しているらしい」

「麻薬……⁉︎」


 刑事は歯切れ悪く話し始めるのと同時に、俺は記憶を探った。

 アレルヤ教会は仁王子駅から車で十五分。歩くには時間がかかるが、都会に近いながらも山や田園風景が残り、多感な時期を過ごすにはちょうど良い場所だろう。

 

「その神父が男色らしくてね」

「……男色ですか」


 その言葉を口にするのは嫌悪感があって、思わず顔をしかめた。アメリカに留学していたときは、同級生に同性愛者がいて俺にはあまり良い思い出はない。

 

「男の子ばかり孤児を集めているらしい」

「あの、俺にお願いとは?」


 中々本題に入らないことに痺れを切らして、刑事の言葉に被せるように問いかけた。


「ああ。実はな、警察内部でもその神父のことが問題になっていて、内々に強制捜査を検討していたんだ」

「強制捜査?」俺は声を上げた。

 

「そうだ。アレルヤ教会で密売しているのなら、取引場所も当然アレルヤ教会だ。……そう。桐生くんにお願いしたいことは……潜入調査だ!」

 

「え? 俺に?」俺は自分を指さした。「俺、高校生ですよ」

 

 刑事は力強く頷く。

 

「もちろんわかってるよ。だから、こうしてお願いしてるんだ」

「なぜ? 俺じゃなきゃいけないんですか?」


 俺は矢継ぎ早に質問した。刑事は少し困った顔をした。

 

「なぜ、その調査を探偵である桐生くんに依頼するのか? ってことだね」

「ええ」俺は頷いた。


 大きな背中を丸めるように、刑事は俺の手をがっちりと握った。思わず俺は後ずさった。


「こんなことを頼めるのは桐生くんしかいない。護身術……柔道もかなりの腕前と聞いている」

「……それなりに護身術はできますが、もっと警察の経験豊富な人に頼んだ方がいいのでは」


 俺は必死に理由をつけて断ろうとしたが、刑事は首を縦には振らなかった。


「それじゃあダメなんだよ。孤児院にいる子どもは上は二十歳くらいまで。研修が終わったばかりの警察官では、心もとない。適任者は若くて頭の切れる桐生くんしかいないんだ」

 

「俺は探偵を名乗っているとはいえ一般人ですし、怪盗ヴェールの対応とは、また違った捜査になるので俺が力になれるかどうか……。ところで、俺の父は何か言っていましたか?」


 息子を心配する父ならば、危険が伴う案件は断ってくれるのではないか。そんな甘い期待は次の言葉で打ち砕かれた。


「『愚息をくれぐれも頼んだ』と言われた。桐生警視総監には既に了解は取ってある」

「そんな……」


 俺は肩をガクッと落とす。周囲を固められていたため、拒否権は最初からなかったのだ。

 手を握られたまま、アラサーの大男から至近距離で期待のこもった瞳で見つめられる。その圧に耐えきれなくなって、俺は諦めたように目を逸らした。


「……が、頑張ります」


 口が曲がりかけた。こう頼み込まれては断れない。怪盗ヴェール関係での潜入調査は遅かれ早かれ通る道なのかもしれない。経験を積むにはいい機会だろう。俺の心は決まった。


「ありがとう!」

 

 刑事は声を弾ませ、俺の両手を掴んで大きく上下に振った。

 

「それで、俺はいつから潜入すればいいんですか?」


 刑事はニヤッと口角を上げた。

 

「明日だ」


 明日はゴールデンウィークの初日だ。何も予定はなかったけれど、今日からでも準備をしないと間に合わない。

 

「警察が持っている情報を全て教えてください。頭に叩き込んでから行きますので」

「さすが桐生警視総監の息子だな。話が早い」

 

 刑事は歯を見せて笑った。俺は苦笑いをした。

 

 その後、アレルヤ教会の神父についての情報を頭に叩き込んだ俺は、早朝のミサの時間を狙ってアレルヤ教会へ向かった。

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