第7話 特別な力
怪盗ヴェールの変身に取られた館長の手から、私は絵画を奪い取る。
「しまった! か、怪盗ヴェールだ! 捕まえろ!」
館長は慌てて大声を張り上げた。
カツラと変装マスクを脱ぎ捨てた怪盗ヴェールは、さらさらとした金髪で、鼻筋が通り整った顔立ちの青年だった。女性だけでなく男性から見ても、いい男だと思われるような美形である。
警備員の服装も脱ぎ捨てて、「マジシャンくらいしか着ないよね」と言われるような派手な紫色がトレードマークのスーツに黒いシャツを着用したスタイルだ。
華麗に盗み出す舞台は出来上がったとばかりに、胸を張った私は魅惑的な笑みを口に浮かべた。
「この『紅葉の山道』は私がいただきます」
歌うように言い放った美声に、数名の警察官はうっかり聞き入ったようで、その後の反応が遅れた。
「何を立ち止まっている! 追いかけろ!」
「は、はい!」
館長に叱咤された警察官たちが動き出すよりも早く、絵画を抱えた私は特別展示室の出口へ走る。
「っ、怪盗ヴェール!」
健太にあっという間に距離を詰められる。早い。さすが小学校時代の俊足は、今も健在ね。
私を捕まえようと手を伸ばしてくるけれど、私は絵画を持ったままバク宙した。
「ちょっと失礼」
「ぐぇっ……!」
私が健太の頭を踏みつけると、健太はカエルが潰れたような声を発した。
そこに私を追いかけてきた警察官たちが飛び掛かってくる。
ひょいとジャンプして避けると、健太に警察官たちが覆い被さった。
「うわあああ! なんだお前たち!」
私に踏みつけられ、警察官たちにもみくちゃにされた健太は、たまらず叫んだ。
「健太くん、大丈夫か?」
「早く捕まえるんだ!」
館長と警察官たちが口々に言う。
私は絵画を抱えたまま特別展示室を飛び出し、廊下を走っていった。
「待て怪盗ヴェール! 逃さないぞ!」
まだ追いかけてくるのね……。さすがへこたれない男、健太。でも、大人しくしてもらわないと。
「一斉に警察官を身体検査された時は、流石に私も冷や汗をかきましたが……貴方は詰めが甘いですね」
私は彼を挑発するために、あえて余裕のある声を出した。
「詰めが甘いだと⁉︎」
健太が叫んで、強く睨んでくる。いいわ。よし、引っかかった。
私は胸元から手錠を取り出し、ガチャリと音をさせて健太の両手を拘束した。動揺させて、暴れる隙も与えない。挑発を真に受けてしまうところが詰めが甘いのだけど。
健太はガチャガチャと手錠を引っ張った。
「くそう! この手錠を外せ!」
「外すわけがないでしょう。そんなことをしたら今までの努力が水の泡です」
丁寧に答えてあげていると、後ろから走ってきて捕まえにかかってくる警察官がいた。
……ちょっと相手しすぎたみたい。普段から気に食わない同級生だったからかな。
ここから脱出して、拠点へ帰ることにしましょう。
「では、みなさんさようなら」
後ろから殴りかかってくる警察官の攻撃を軽く避けて走り出す。
そして、夜景の見える窓ガラスの手前で止まった。胸元から取り出したハンマーで窓ガラスを割って、退路を作る。
「く……くそう! 怪盗ヴェール!」
健太の負け犬のような遠吠えが後ろから聞こえてくる。
それには答えずに、私はフッと鼻で笑った。
隠してあった小型気球に乗り込んで、美術館を飛び立つ。
銃を使えば気球を撃ち落とすことは可能だけど、民家が近く住民の命も大切にしなければならない警察は、その手段は選べない。警察の痛いところを突いた撤退手段だ。
「怪盗ヴェールが現れました! 男性の姿です! このカメラに彼の姿を収めたいと思います!」
木の上に登って、登場は今かと張っていた動画配信者の声だ。
この場をかき乱してくれるのはありがたい。
外を張っていた警察官の行く手を阻むように、美術館の外で張りついていた動画配信者が追いかけてくる。彼らはライブ視聴者数を稼ぐために必死だ。
小型気球に乗り、騒ぎの音が遠ざかっていくと、私は盗み出した絵画を見つめた。
『紅葉の山道』には、黒い靄(もや)が渦巻いていた。作者が本当は描きたくなかったとされる絵には、怨念のような呪いが発動する。黒い靄は不幸を引き寄せる呪いの塊だ。所有すると、やがて所有者の体に溜まり、やがて死に至る。
作者の影山峡雨(かげやまかいう)は知る人ぞ知る明治時代の画家だ。繊細な油彩画の魅力に取り憑かれたファンも多い。だけどその絵画には……。
私は絵画のキャンバスをギュッと抱きしめた。
「どうか、絵の悲しみが消えますように……」
目を瞑って強く願うと、白い光に包まれて、黒い影は跡形もなく消える。
影山峡雨の一族が絵に触れると、禍々しい絵の力をなくすことができた。
私は影山峡雨を祖先に持つ、解呪の力を持った人間ということだ。なぜか直系の女性にだけに引き継がれる力とされている。私には姉妹がいないため、それができる唯一の女性だ。いとこの澪には、残念ながらその力はない。
「これで任務完了、と」
力を使った私は、小さな脱力感とともに、小型気球の壁に背を預けた。
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