第5話 美術館へ潜入

 夕日が落ちると、等間隔に配置された工事用ライトが美術館を眩く照らした。予告時刻の午後六時が近づいてきた。通常なら夜六時に閉館するが、怪盗が現れるという今日は、一般人を巻き込まないようにと臨時休館だ。


 駐車場には無数のパトカーや特殊車両が配備されていて、現場の緊張感は高まっている。


「予告の時間は後三十分だ! 気を抜くな!」

「は!」


 美術館の入り口に集められた警察官たちは、この場を取り仕切る警部に揃って敬礼する。その警部の隣には、健太の父親の桐生警視総監の姿があった。

 

 ……今日はいつもにも増して気合いが入っているわね。

 周囲の警察官の様子を観察しながら、私は気を引き締めた。

 

 警察官の数は約百名。敷地の広い美術館の警備にあたり、各所から応援が来ているようだ。


 このように、美術館の入り口で警察の動き堂々と観察できているのは、もう怪盗として侵入しているからだった。

 見た目は警察官の姿だ。ごく一般的な──イケメンでも不細工でもない、印象に残りづらい人物に変装していた。


「異常があったらすぐに知らせろ!」

「は!」


 周囲の警察官と調子を合わせて、男性の声を発して返事する。

 ちなみに変装が得意なのと同じくらい、声を作るのも得意だ。老若男女の声を演じ分けることができる。


 予告状を送るのは、人数が多くなった警察官に化けやすくするための手口だ。わかりやすい手口ほど、案外気づかれないものだ。その証拠に私たちは、昔からその単純な方法で盗みを成功させている。


 現場の様子を見守っていた桐生警視総監は、警察官たちに向かって大きな声を張り上げた。それは、今までの警察の行動ではなかった。


「怪盗ヴェールが警察官に化けた可能性がある! 全員、一列に並ぶんだ!」


 桐生警視総監は勝ち誇ったように「そこにいるのはわかっているぞ!」と声を張り上げた。


「え? 俺たちの中に……?」

「まさか、怪盗ヴェールがいるのか?」


 警察官たちからは動揺が広がり、痺れを切らした桐生警視総監は厳しい口調で言う。

 

「動きが遅い者は怪盗の可能性がある。疑われたくなかったらさっさとしろ!」

 

 桐生警視総監の横に、警察官の身体検査という案を出したと見られる健太の姿があった。

 スーツを着て、長身の健太には悔しいぐらいに似合っている。


 私は表情に出すことはなかったが、特殊マスクをしていなければ顔が青くなったことを隠しきれなかっただろう。健太の入れ知恵に違いない。彼の案にまんまと引っかかってしまった。


 ……身体検査なんて、冗談じゃない!


 変装は完璧だが、入念に検査されては、顔に特殊樹脂のマスクをしていることや、胸にさらしを着けていることがバレてしまう。

 身体検査はもう始まっていて、晴れて容疑から解放された警察官は意気揚々と警備に戻っている。


 逃げるか、シラを切るか。それとも、この発煙筒に引火させて混乱させるか。

 さて、どうする?

 

 そして、私の順番が回ってきた。


「さあ、お前も両手を広げて──」


 私は素直に両手を上げるフリをして、足に力を入れた。


 ここで捕まるのは、まっぴらごめんだ。

 目にも見えぬ速さで警察官の脇をすり抜けて、出口を目指す。


「くっ! 怪盗ヴェールがいたぞ! 捕らえろ!」


 警察官の上げた声に、他の警察官が取り押さえにかかる。

 一人の警察官から腕を拘束されそうになり、隠し持った発煙筒を引火させた。

 ボムッと破裂音がして怪盗ヴェールが消える。

 

 私は素早く物陰に隠れて、混乱する警察官たちを観察した。遠くまでは逃げない。下手に動くとかえって目立つからだ。


「煙を吸うな!」


 スーツの袖で口許を覆いながら健太は叫んだ。怪盗ヴェールの発煙筒で咳が止まらなくなった苦い経験が、無意識に反応を早めているのだろうか。

 間に合わず煙を吸ってしまった者からは、咳とくしゃみが聞こえてきた。


「ゴホッ! 怪盗ヴェールを見失いました!」


 警察官の声を聞いた健太は、それでも希望を失っていなかった。

 怪盗のターゲットは絵画の一点だ。餌に釣られて、すぐに姿を変えて現れるに違いないと踏んだようだ。


「俺は特別展示室に向かう!」


 まだ混乱の収まらない現場から、健太は走り去った。


 ……さて、健太を待たせるのも申し訳ないから、私も向かうとしますか。


 こっそり顔の特殊マスクを剥がすと、その下から別の男の顔が出てきた。

 こんなときのために、二重の変装マスクを用意しておいて良かった。


 私は警察官の一人に戻り、混乱する現場に乗じて、健太の後を追いかけて行った。

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