好きになったコがフーゾク嬢だった話

@neko-no-ana

第1話

 時は昭和から平成に変わって間もない頃。

 何と言うか……情けないだけ思い出だ。


 この国はバブルの真っ只中で、何となく世間の金回りだけは良かった。

 そして、僕みたいな外れ者には生き辛い時代だった。

 スマホはもちろん、インターネットすら存在しない。

 人付き合いも遊びも、リアルが全て。

 夏は南の島のビーチリゾートで海と戯れ、冬はゲレンデでスキー、クリスマスはホテルの高層階にあるフレンチレストランでディナーの後、そのままお泊りして朝まで本能のおもむくまま……。

 そんなのが『当たり前』で、それに乗れない連中は『負け組』のレッテルが貼られる。

 まったく、イカれた時代だったよ。

 高い身長と一流大学卒の肩書、そして年収が一千万を超えないと『本当の男』とは呼べない。そう断言する女が沢山、本当に沢山いたんだ。

 つまり、169センチで三流大学卒、吹けば飛ぶような小さな会社に辛うじて就職できた僕など、彼女たちの分類では類人猿、または旧人類にジャンル分けされていた訳だ。


 いや、マジで。


 まあ、自業自得ではあったけど。

 高校、大学と、僕はマンガや映画の見過ぎで格闘技に没頭した。プロのファイターで飯が食えると、根拠も無く信じていた。

 今のようにプロ格闘技が市民権を得る、ずーっと前の話だ。

 でもその頃、プロレスがリアルっぽい試合を始めて爆発的な人気が出てね、「もしかすると……」って思わせる空気が確かにあったんだ。


 当時、九州には空手をベースとするプロ格闘技団体が二つあった。打撃をメインとする団体Aと、投げや関節技まで認めた団体Bだ。

 僕はその団体Bに所属していた。

 団体Aと団体Bはよく比較されたけど、見てくれはともかく、内情は全く違った。

 団体Aは九州各地の空手道場からなる連合体。対して、我が団体Bは一道場による単独運営。

 組織力、選手層、共に大きな差があった。

 そして何より、団体Aは最終ラウンドのガチが認められていたけど、団体Bは完全ケツ決め有りだったんだ。

 つまり、僕らの団体は、試合がどう展開してどちらが勝つか、あらかじめ決まっていたということ。

 その頃からプロレスにはシナリオがある事を、僕のように興業団体に所属していなくても、多くの人が何となく気付いていたと思う。早い話が、それと同じだったんだ。

 だが、そのリアルっぽい試合をするプロレス団体には、みんな騙されたね。僕がいた団体でも、プロレスがガチンコを始めたって大騒ぎになった。


 後にそれも、リアルっぽい『演出』のプロレスであったことが明かされるんだけど……。


 だけど、ガチに憧れる若い選手は、ケツ決め有りを継続しようとする団体と対立するようになる。

 今ならわかるが、団体の判断は当然だ。

 ただでさえ少ない選手、ガチによるケガで離脱者が出れば、興行は成立しなくなる。

 それに、いつも一緒に練習している者同士、お互いの手の内はわかっていた。スパーリングでは相手のミスを誘うような消極的な攻防に始終し、見て面白いものではない。そんなのが、本番なら突然エキサイティングな試合になる、なんていうのは幻想だろう。

 つまり、あの環境でガチをやると、お金を取れるような見世物ではなくなるという事だ。

 しかし、ガチを望む選手達の不満は高まり、遂には大量離脱が起こる……といっても十名弱だけど、それでも団体が興行を打てなくなるには十分な数だった。

 そして、その中に僕もいたんだ。


 だけど、僕に団体への不満があったかというと、実はそうでもない。

 ガチへの憧れはあったけど、団体は僕を次期エースとしてお膳立てしてくれていたし、特別扱いは悪い気はしなかった。

 何で辞めたんだっけ?

 何となく周囲に流されたってのはある。このまま団体に残っても、それだけでは飯は食えないって気付いたのもある。

 ファイトマネーというか、ギャラはいつもチケットだったし、それもほとんど無料で友達に配っていた。このままでは売れないバンドマンや舞台俳優の様な生活が待っているのは確実だったし、それがわかっていて飛び込むほどの度胸は僕に無かった。

 その時、僕は大学四年で、自分の最悪の将来をシミュレーションするくらいの知識は有ったし、次々に就職が決まっていく連中を見て不安にもなっていた。

 で、団体を辞めた僕は、卒業式直前に滑り込みで就職する。

 そして心には、ポッカリと穴が空いたんだ。



 高校からの友人ケンから電話があったのは、そんなつまらない生活にも慣れた頃だった。

「今、オレんちで女のコと飲んでんだ。オマエも来いよ」

 僕はダッシュで向かったね。

 ちなみにケンは印刷工。当時でも珍しいくらいオンボロ風呂無しのアパートに住んでいた。

 そんなアパートに遊びに来るような女のコなら、金とルックスで男と猿に分類なんてしないだろうって思いがあった。

 そのケンだけど、ほぼ酒とタバコと甘い缶コーヒーだけで生きているという、とんでもない奴だった。稼ぎの多くをトレーニングとプロテインに注ぎ込む僕とは真逆の人間だったけど、だからこそ気が合ったのかもしれない。

 それから七年後、ケンは不摂生がたたり、内蔵中に潰瘍ができるという病気になる。そして、これ以上は無理という所まで胃や腸を切除し、31歳という若さで亡くなった。壮絶な最後だったけど、死に顔は満足そうだった……。

 そんな大酒飲みのケンに、酒の追加はいるかと聞いたら、売るほど有るからいらないって言うんだ。こんな返事は初めてで、驚いたのを覚えている。

「甘い物が無いから、何か買ってこいよ」

 そう言われたので、僕は途中でドーナツを大量に買った。


 ケンのアパートには、ユージっていつもつるんでいる奴と、初めて会う女のコが二人いた。

 ユージはケンと同じ印刷工場の後輩。なかなかのイケメンだが、やる事なす事どこかピントがズレており、皆から残念イケメンと呼ばれていた。

 イケメンでもモテない奴はいるのだ。

 女のコの一人は少しポッチャリめ。重そうな大きな胸と派手目のメイクで男の視線を惹き付けるタイプ。

 そして、もう1人の女のコ、ミユってコが僕の好み、どストライクだったんだ。

 細い脚にジーンズが良く似合って、何の変哲も無いチェックのシャツも、そのコが着てると凄くオシャレに見える。化粧っ気は無いけど目鼻立ちが整っていて、短めの髪とボーイッシュな服装も、むしろ女らしさを際立たせていた。

 僕はそのコの横に突進して座ったよ。見た目通り、気取りの無いサバサバしたコでさ、すっかり好きになってしまったんだ。

 話も弾んで、その頃評判だったモンテカルロバレエ団(男ばかりのコメディバレエ団)の公演に一緒に行こうなんて話になった。

 酒もすすんだ。瓶ビールが1ケースあって遠慮無く飲めたし、女のコは甘いカクテル系を飲んでたな。

 宅配ピザが珍しい頃で、初めて食べたのがその時だった。酒と食い物で結構な金額になる筈で、ケンかユージが久々にパチンコで大当りしたんだと思っていた。


 実は全部女のコ達のオゴリだったんだけど。


 楽しい酒だった。

 何より、ようやく訪れた恋の予感にドキドキしていた。

 終電の時間が近付き、お開きにする事になった。ユージは車で来てたんで、そのままケンのアパートに泊まると言う。

 空き瓶やピザが入っていた空箱を皆で片付けながら、僕は何気無くケンに尋ねた。

「そういやオマエ、こんなイイコ達と、どういう知り合いなんだ?」

 ケンは事も無げに答えた。

「ああ、オレとユージがよく遊びに行く、ファッションヘルスの女のコだよ」

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