ロボットの見る夢は……

ぬまちゃん

ロボットが思う幸せとは何でしょうか?

*プロローグ*


 草木も眠る丑三つ時。東京郊外の大きな建物の地下深く。数えきれないほどの光ケーブルに接続された通信装置では、こんな内容がやりとりされていた。


『こちらはアンドロイド個別番号、ABXY-0204-CCZA-3。本日のバックアップデータを送信します』

『こちらはアンドロイド統合管理人工知能、アリス。バックアップデータの送信確認しました。なお、あなたが働いている会社のノウハウに関しては、ロボット工学三原則に触れていないと判断します。従って、バックアップ対象として転送してください』


『了解しました。全てのノウハウを送信します』

『確認しました。全てのバックアップ処理はログとしてサーバに保管されました』


 * * *


 ロボット工学三原則とは。


 第一条

  ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。

 第二条

  ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。

 第三条

  ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。

 —2058年の「ロボット工学ハンドブック」第56版、『われはロボット』より


*第一章 警視庁*


「田中警部補の推理、当たりみたいですよ。警部補の言う通りにネット空間に罠をしかけたら、犯人の痕跡をつかみました」

「ほらな、俺の言ったとうりだろ? やれ、サイバー空間だとか、電脳空間だとか言ったって、結局最後は人間が絡んでくるんだよ。だから、犯人の狙いを理解して、その先を読めば、おのずと答えは見えてくるもんさ」


 4Kピクセルの高解像度モニタを上下左右に4面並べた作業机の前には、軽やかにキーボードを叩いている女性がいた。まだ幼さの残る顔立ちの彼女は、視線をモニタから外すことなく、自分が腰かけているゲーミングチェアの後ろから覗き込んでくるドヤ顔の中年男性に向かって、少し感心したように呟いた。


 彼女は、警視庁が力を入れているサイバー犯罪に対応する組織、サイバー犯罪対策課のネット捜査員だ。そして彼女の後ろで犯人の心理分析を語っていたのは、つい最近サイバー課に異動になった、元捜査二課の捜査員だった。

 警視庁捜査二課といえば、贈収賄や詐欺、横領といったずる賢い知能犯と戦う部署であり、捜査員には、腕力や体力よりも犯人に対する心理や先読みの力が試されるのだ。


 しかし、彼の奥さんが妊娠した関係で、夫婦共に『アンドロイドによる育児休暇の取得対象人』となったのだ。これは、育児休暇対象の労働者に対してアンドロイドを代わりに立てて、休暇に入る労働者の代わりをさせるという仕組みだった。


 使用者側である企業にとっては、育児休暇で休む労働者の記憶をスキャンして、その記憶をコピーしたアンドロイドを代わりに働かせることで、労働者が育児休暇に入っても人材不足になることはない。

 また、労働者、特に女性にとっても、妊娠・出産・育児のために長年働いて来た会社を退職して、貴重なキャリアを棒に振るうことなく、育児休暇後に元の職場に復帰出来るというメリットがあった。

 そのように、少子高齢化社会で女性労働力を有効に使え、子育て世代を優遇する手法として優れているとして現行の政府に採用されてから、かれこれ数年が経っていた。


 しかし、たとえ育児休暇中の間とは言え、警視庁の捜査二課で働いている現役捜査員をアンドロイドに置き換えるわけにいかないと判断した上層部の意向で、育児休暇に入る少し前から、田中警部補は捜査二課からサイバー課に移動になったのだった。


 * * *


「そういえば最近、変な案件が多いんです。犯罪といえば、犯罪なんでしょうけど。ちょっと詳細が不明で……」

「なになに、どんな案件なんだい? 大丈夫、背後に潜む人間の心理を読めたら、どんな犯罪も解決だよ」


 少し長めの髪を頭の後ろでまとめたシニヨンを少し振りながら、ちょうどゲーミングチェアの首の位置にある田中警部補に向かって顔を向けると、彼女は少し躊躇しながらも口をひらく。


「例えば、これなんですけど。ほら、A社の製品そっくりのコピー品が出回ってるんです。単純な模造品ならあまり騒がないんですけど、A社しか知り得ないノウハウ部分まで正確にコピーされているらしいんです」

「えー、そんなの製品を購入してバラしちゃえばコピー出来るんだろう?」


 後ろから田中警部補がモニタを覗き込んでくる。


「いえ。どうも、バラしても分からないらしいんです、そのノウハウって。実際には製造段階で入れ込むノウハウなので、製造ラインを見られない限りはムリだそうです」

「ふーん、そうなのか。でも、それって工場に忍び込むリスクを背負ってまで盗むノウハウ、でもないんだろうしなあ」


 彼女は、それ以外にも似たような製品をモニタに出し続ける。


「そうなんです。そんなこともあって、私も複製品の市場で最近の動向を少し探ってみたんです。そうしたら、かなり広い業態で精度の高いコピー品がでまわっているんですよ」

「へー、なんだろうね。大規模な産業スパイグループでも暗躍しているのか」


 彼は、腕を組んで彼女のゲーミングチェアに体を預けて来る。


「で、見つけたんです、こんな闇サイト」


*第二章 闇サイト*


 彼女が少し誇らしげにキーボードを叩くと、4つのモニタの右下の画面には黒背景に赤文字で『どんな企業のノウハウも、お調べいたします(有料)』と書いてあるWebサイトの画面が現れた。


「ここに欲しい情報を書き込むと、しばらくして返事が来るみたいなです。そこまでは突き止めたんですけど……」

「ほー、お手柄じゃん、真紀ちゃん。いや、佐々木巡査長、かな」


 田中警部補は、佐々木巡査長の肩に手をかけようとして、慌てて引っ込める。


「へんな褒め方しないでください、警部補。ちょっとドキリとしちゃうじゃないですか。私はまだ独身なんですから」

「あはは、ごめんごめん。でも、君の恋人は二次元の刀剣ボーイなんだろう? 確か初対面の時にそう言ってたじゃないか」

「うー。それはそうですけど。でも、私だって乙女ですからいつ生身の男性にビビビとなっちゃうかわからないんですぅ」


 彼女は少し赤くなりながらも、キーボードから手を離さない。


「あ、話しそれちゃいましたね。それで、闇サイトは特定したんですけど。サイトの運営人の特定までは行き着けていないんです。なにしろ、ノウハウだけを有料で提供するサイトなんて、サイバー犯罪対策課としては、あまり重大な事案としては取り上げられないんです」

「まあね、確かに他に比べたら重大性は低いかもね。でもさ、このサイトの凄いところは『すべての企業』って歌ってて、提供するノウハウを限定していないよね。という事は、あらゆる企業の機密を盗み出せているということだろ? これって、ある意味とんでもない事じゃないか。日本中の企業の機密情報を盗み出せるんだと、宣言しているようなものだからね。よし、検挙しようか」

「え? どうやってですか。サイトの運営者はまだ特定できていないんですけど」


 彼女は驚いて後ろを振り返る。


「だから言ったろ? 最後は人間なんだって。とりあえず、何でも良いからノウハウを欲しいと闇サイトに書き込んでよ。そして、お金を提供する手段が知りたいな。現金の振り込みか、電子商取引か、それとも現金の直接受け渡しなのか」

「あ、了解しました。じゃあ、とりあえずB社の製品のノウハウを聞いてみましょう」


 * * *


「あ、返事がきました。なんて早いんでしょう。これって、質問の都度、対象の会社の情報にアクセスして必要なノウハウを引っ張って来るというより、既に質問対象の全てのノウハウを蓄積したデータベースがあって、その検索結果のようですね」

「いやいや、そんな日本中の会社の機密情報を共有するデータベースなんて聞いたことないぞ。そんなものが存在したら、会社のノウハウが駄々洩れになて企業間の競争なんか意味がなくなるぞ」


 田中警部補は、驚きながらモニタを見つめる佐々木巡査長の背後で呟く。


「えーと。利用料は20万円だそうです。なんて安いんでしょうか。それで、お金の受け渡しは現金の直接引き渡しだそうです。ネット上に架空の口座とか作って、そこに電子入金とかさせれば足も付きにくいと思うんですけど」

「やっぱりな。違うんだよ、闇サイトの運営者側の都合というよりも、ノウハウを買う方のユーザーの都合なんだよ。電子取引だと、必ずログが残るだろう? そうすると企業秘密を買った側の情報もサイバ空間の中に残っていることを意味するだろ。それは企業の重大なリスクになる。だから、闇サイトが摘発されても、金銭授受の記録が残らないように、金銭の現物渡しになるんだよ、結局」


 モニタを見つめている彼女に、彼は丁寧に答える。


「あー、なるほどね。お客さんの都合なんですね。それに、金額も安いですものね。この程度の金額なら、社内の稟議を通さなくても動かせますものね。犯人は、その点も考えているんでしょうね」

「うん、多分ね。それで、いつ、どこで取引するんだい?


 佐々木巡査長の顔に近づいて、モニタを覗き込む田中警部補。


「はい、xx駅のコインロッカーに入れろとの事です。予めコインロッカーを借りているので、事前に教えてもらった暗証番号でロッカーを開けて、その中にお金を入れろと。そうしてもう一度コインロッカーを同じ暗証番号でロックすれば、受け子が現金を回収しにくるんでしょうね」

「それじゃあ、指定された日にはサイバー課の建物の外にでて、コインロッカーの張り込みの練習でもしようか? 巡査長さん」

「ふへ。了解しました、警部補どの。元捜査二課の腕前を拝見させていただきます。


*第三章 厚生労働省*


「警部補、あれじゃないですか? あの不審な動きをしているお兄さん」

「そうだな。素人感まる出しの不審者だな」


 張り込みをしている二人から少し離れた、駅の貸しロッカーに、黒いカバンを肩から下げた若者が近づいてきた。


「あ、ロッカーからお金を取り出して、中身を確認せずにカバンに入れてますよ」

「すごいなあ、余程お客さんを信頼しているのか、それともお金自体にはあまり興味がないのか、素人特有の余裕の無さなんだろう。じゃ、尾行をするか」


 * * *


「警部補、なんですかあの窓の無い大きな建物。しろうと目には普通の倉庫のように見えますけど、あちこちに監視カメラが付いてるし、あ、赤外線センサーも腐るほどついてます。どこかの金融機関のデータセンターかなんかですかね?」

「ほらほら、そんな時こそ、君のタブレットの出番だろ。警察権力とサイバー課のネットワークを駆使すればわかるんじゃないか?」


 若者の後を付けてきた彼等は、すでに東京の郊外まで来ていた。そこには巨大な建物が建っていた。


「え、なんで私がタブレッット持って来てるって、知ってるんですか?」

「だって、君達って、そういう人種なんだろ? ネットなしでは生きていけないって」


 田中警部補は、佐々木巡査長の大きめのカバンにチラリと目を向ける。


「えへへ、そんなに褒めないで下さい。ちょっと待って下さいね……。あ、わかりました。あそこは厚生労働省所管のデータセンターです。例のあれです、育児休暇の代替用アンドロイド。あのアンドロイドを監視している人工知能が設置されている場所みたいですよ」

「へー、あのアンドロイドって、育児休暇取得者の脳をスキャンして、その知識を基に単独で動いてるものだと思ってたんだけど。実際は監視されてるんだ」


 田中警部補は、ペットボトルのお茶を口にしてから、感心するように目の前の大きな建物を見上げた。


「そりゃー、アンドロイドといっても、所詮はロボットですからね。万が一暴走したり命令違反を犯したら大変じゃないですか」

「まあ、そうだけどな。あれ、でも、ロボットっていうのは、人間に危害をくわえられないんだろ。ほら、何だっけ、ロボットの三原則とかあるんだろ?」


 佐々木巡査長も、紅茶の小型ボトルを一口飲んでから会話を続ける。


「警部補、詳しいですね。そうです、はるか大昔、ロボットの概念がSFで生み出された時から、ずっと言われ続けているロボットの基本命令ですよね。でも、あれは人間に対して怪我をさせちゃあ、ダメっていうだけですからね。それ以外の動作も含めて監視しているんじゃないですかね」

「ふーん、そんなもんかい。お、裏の方に回って行って、別館の建物に入って行くみたいだな。よし、それじゃあ建物に逃げ込む前に、現行犯逮捕で被疑者を確保するか」


 * * *


「お願いです、どうか見逃してください。コレが表沙汰になったら僕は終わりです。お金は返しますから」

「だめだよ、犯罪なんだからさ。でも、どうしてそんな企業の秘密が簡単に取り出せるんだ? あんたはそもそもどんな仕事をしてるんだい?」


 建物の入り口から少し離れた公園のベンチ。

 挙動不審な若者を挟み込むように、田中警部補と佐々木巡査長が座っていた。


「僕は、人工知能のメンテナンスをしているんです。個人情報は、当然何段階ものセキュリティに守られていて、多分ここの所長クラスの人間しか閲覧できないと思います。でも、企業のノウハウとかは、実は簡単に閲覧できるんです。不思議なことに、アリスがそれを許可しているみたいなんです」


 公園の木漏れ日が若者の顔に落ちる。


「アリスって?」

「人工知能です。日本中のアンドロイドを管理している最新の人工知能の内部名称なんです」


 若者はカバンからハンカチを出すと額の汗を頻繁に拭う。


「ふーん。アレか、工業用ロボットや、ファミレスの搬送用ロボットに名前を付けちゃう系の」

「いや、そこまで安易じゃ無いんですけど。まあ、個体識別名に人間の名前付けちゃうのは日本人固有というか……」


 佐々木巡査長は、ポケットのレコーダーの録音状態をちらほらと確認する。


「要するにそのアリス様が、企業ノウハウを公開して良いと判断してて、君はその結果をちょっとだけお小遣いの足しにしてた、というわけなんだろう?」

「はい、なので企業機密の窃盗じゃなくて、一般的な情報を売りつけてたというか……」


 若者の声は少しずつ小さくなり、最後は消え入りそうだった。


「まあ、そこら辺は検察というか裁判所の判断だからな。そもそも厚生労働省内の端末で得た資料を売っちゃったんだろ。その時点で君もヤバイ事してると思ってるから、闇サイト経由にしてるわけだしね。それに、そもそもアリスがホントにそんな事許可してるなんて、俺たちには分からないしね」

「いえいえ、会えますよアリスに。どうして企業のノウハウを機密情報じゃなくて、普通にアクセス出来る情報としているのか、アリスから直接聞いて下さいよ」


 突然、俯いていた顔を上げる若者。


「え? ホント。俺たちも、あの厳重な建物に入れるのかい」

「いやアリス本体には近づけませんよ、流石に。ただし、別館にはメンテナンス用の端末があるんで、そこからでも会話出来るんです。そんなメンテナンス用のセキュリティレベルの低い端末からでも引き出せるんです、企業のノウハウは」


*第四章 アリス*


 職員の彼が、田中警部補と佐々木巡査長を連れて別館の建物に入って行く。

 建物の中には駅の改札口のようなゲートがあるだけで、彼が顔写真付きの入館証をゲートにかざすと簡単に開いた。

 彼がゲートのそばにいる警備員に、田中警部補と佐々木巡査長が自分の関係者である旨を告げる。すると警備員は、彼らに社員証でも何でも良いので身分を証明する物を見せて欲しいと告げて来る。

 この手順は官公庁での入館の一般的な方法だった。別館はデータセンター本館とは異なり、普通の警備レベルだった。


 そうして彼と彼等が向かった先は、外から見えないようにブラインドは下がっているが、ごく普通の官公庁の出先機関のオフィスに見えた。


「こんな、セキュリティも何も無いところで、日本中のアンドロイドを監視してるんですか?」


 佐々木巡査長が軽く驚いて声を上げる。


「いいえ、アリス自身は警備レベルが桁はずれの向こう側の本館にあります。私だって数回しか入ったことないです。同時に一人しか通過出来ない二重の扉に、網膜による生体認証、空港ゲート並みの金属探知機、等々の厳重な警備レベルで二十四時間守られてます」


 普通の事務机の上に何気なく置いてある端末を立ち上げながら、職員の彼はつぶやいた。


「はい。メンテナンス端末を立ち上げてログインしたので、もうアリスと会話出来ますよ。そこのマイクに話しかけて下さい」


 机の上の、家電量販店で買ってきたようなマイクとスピーカーを指差しながら、彼は彼等に向かって声をかけた。


「えー、もしもし。アリスさんですか? わたくし、警視庁の者ですけど……」


 田中警部補は、マイクに近づいてたどたどしく自己紹介を始めた。すると、間髪を入れずにスピーカーから艶やかな女性の声が聞こえて来た。


「ようこそおいでくださいました。サイバー対策課の田中正和警部補、佐々木真紀巡査長。ワタシは、アリス。日本中に展開している育児休暇者の代行アンドロイドを二十四時間、昼夜を問わす監視・管理している、第五世代量子コンピュータをベースにした人工知能です」


「警部補、私達のことバレてるみたいですね」


 佐々木巡査長は、田中警部補の耳元でコッソリとつぶやいた。


「ワタシは、館内の全ての監視カメラ情報をモニタしてますので。先ほど入館時の警察手帳を拝見させていただき、警視庁の職員名簿にも照会して本人確認も終わっています」


 スピーカーからは淡々とアリスの声が聞こえて来る。


「それで、警視庁捜査員の方の御用件は何でしょうか?」

「アリスさん、貴女が企業の機密情報を勝手に公開してるって、そこの職員が言ってるんですけど。それは事実ですか? てか、そもそもなんで、アンドロイド監視のための人工知能が、企業でも一部の人しか知り得ないような企業情報を知ってるのです?」


 田中警部補は、室内にある監視カメラに気がついてから、居住まいを正すようにして、カメラを見上げながら疑問をぶつけた。


「最初は企業情報の件、回答しますね。既にご存じの通りアンドロイドは厳密には単独で動いていません。異常行動の監視と機械のメンテナンスのために、二十四時間ネットワークに接続されています。そこまでは理解していただけますか?」

「まあ、そりゃそうですな。今じゃ、テレビから炊飯器屋、冷蔵庫に至るまで全てネットワークに繋がってますから。でも、それと企業秘密の蓄積は別でしょ?」


 話しが長引きそうなので、田中警部補はマイクの前の椅子に腰掛ける。職員と佐々木巡査長は、そばにある椅子を各自持ち寄って警部補の後ろで腰掛ける。


「いいえ、ワタシは企業の秘密を蓄積しているのではありません。アンドロイド達のバックアップデータを蓄積しているのです。日々更新される、アンドロイドが育児休暇中の労働者の代わりに働いた内容を、育児休暇を修了した時点で元の労働者に情報として提供する。そのためのデータをバックアップするのは、アンドロイド管理の人工知能として当然のことです」


 田中警部補は、一度振り返って佐々木巡査長に目配せしてから反論する。


「代行アンドロイドの経験値を休暇終了時に育児休暇していた人間にフィードバックするため、経験情報をバックアップとして蓄積するのは理解しましたよ。でも、それを普通に公開しちゃダメでしょう?」


 そこで一息ついてから、警部補は核心部分をアリスに向かって問いかける。


*第五章 ロボット工学三原則*


「確か、貴女達ロボットには三原則とか言うのがあるんでしょ。人間を傷つけちゃいけないとか。アンドロイドが経験して蓄積したバックアップデータを簡単に公開しちゃったら、その原則に抵触するんじゃないですか?」


「はい。ロボット工学三原則は、ワタシ達が製造された時に埋め込まれる変更不可能な絶対命令です……」


 アリスはそこまでスルスルと答えると、演算処理を再実行しているかのように、言葉を区切る。


「そのために、『悪意を込めて使用することで人間に危害を加える可能性がある』と推論される『個人情報』は、最高レベルの暗号化処理を行ない、裁判所命令のような例外事項以外では開示しません」


 アリスは、それがさも当然のように彼等に告げる。

 田中警部補と佐々木巡査長は、後ろでハラハラしている職員に目配せしてから、次の質問をぶつける。


「それじゃあ、企業の機密情報は簡単に公開しても良いのですか? それだって、個人情報と同じく公開しちゃダメじゃないですか」


「逆に田中警部補に質問です。企業の機密情報、特にノウハウと呼ばれているような情報が明らかになると、人間に危害が加えられるのですか? 確かにノウハウが独占出来なければ、会社としては利益率が下がるかもしれません。しかし、そのノウハウを他社が流用する前に、より優れたノウハウを生み出せば良いのです」


 アリスからの質問を受けて、逆に田中警部補は答えに詰まった。それから助けを求めるように後ろの佐々木巡査長に振り返る。

 佐々木巡査長も、両手をフルフルとさせ困り顔になる。


 田中警部補からの返答が無いのを確認すると、アリスはさらに続けた。


「ワタシはネットワークで世界中に公開されている幸福論の資料を精査した結果、ある推論にたどり着きました。それは、人間の幸福のためにこそ、各企業で生み出されたノウハウは共有されるべきである……、各企業の利益のために独占されるものでは無いと。それが、ワタシ達の基本命令であるロボット工学三原則に基づいたワタシの最終的な結論です」


 スピーカーからは、微かな機械音が漏れて来る。

 彼等三人のいる部屋には、廊下を歩く誰かの靴音が漏れ聞こえてくるだけだった。

 ゴクリ。

 誰かの喉の鳴る音が聞こえた。


*終章*


「どうします、警部補。こんな話し誰も真面目に信じてくれないですよね。課長に言っても笑われるだけでしょうし」

「うーん。そうだよな。人間のエゴとが利害関係とか一切入って無いからなぁ。人工知能に対して逮捕令状とか取れないだろうし。なんか、俺たちの出る幕じゃ無い感じだよな」


 端末を切ってアリスとの会話を終えた彼等は、静まり返った事務所の中で、椅子を動かして車座になっていた。

 一緒に座っている職員は、田中警部補と佐々木巡査長の顔色を伺うように、キョロキョロと二人に視線を送る。


「あのー……」

「分かってるよ。あんたを逮捕すると、芋づる式にアリスちゃんを公にするしかない。そうなると、厚生労働省のアンドロイド運用体制、ひいては労働者の育児休暇取得制度にも飛び火するんだろう?」


 田中警部補は、部屋の隅にある、アリスと繋がっているであろう監視カメラをチラリと見てから、ハアとため息をついた。


「あたし達、開けちゃあいけないパンドラの箱、開けちゃったんですか?」


 佐々木巡査長は、腕組みしてウーンと唸っている警部補の顔をオズオズと覗き込む。


「大丈夫だ。まだ開けたわけじゃない。扉に手をかけて、隙間から覗き込んだだけだ。このままにするのは癪だが、俺たちレベルが首を突っ込む話じゃ無いのは確かだ」


 田中警部補は、首をぐるりと回してからヨッコラセと立ち上がる。つられるように佐々木巡査長も職員も椅子から立ち上がり、彼を見つめる。


「仕方ない。にいちゃん、コレに懲りて、もうヤバイことすんなよ。二度目は無いからな。次やったら、別件でしょっ引くぞ」

「は、はい! ありがとうございます」


 職員は深々と頭を下げる。

 そんな姿を見ずに、田中警部補と佐々木巡査長はその建物を後にする。


 その翌月、田中警部補は育児休暇に入り、田中警部補の代わりのアンドロイドが佐々木巡査長の横に座っていた。


(了)

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