第26話 暗号(1)

『ルーナ』第四支部事務室には、既にフラッド以外の全員が集合していた。


「ギール、これ見て……」


 アミラに言われ、ギールは打ち合わせ用デスクの上に目を向ける。


『She will die at nine pm.』


 そう記されたA4サイズの封筒が置かれていた。


「『彼女は午後九時に死ぬだろう』……?」


 ギールは血の気が引いていく感覚に襲われた。


「僕たちが到着したとき、これが正面入り口自動ドアの前に落ちていたんだよ」


 カイスが腕を組みながら唸るように言った。


「監視カメラはどうでした?」

「それが、その封筒だけが単独で浮遊してきたみたいなの」


 レマがノートパソコンの画面を向けてくる。

 監視カメラの映像。ふわふわと漂う封筒が、自動ドアの前でポトリと落ちた。

 撮影時刻は午後八時。今から二十分前である。


「……なるほど」


 ギールは目を細める。

 物体を浮かせて届ける魔法。確か古代魔法に、そんなものがあった気がする。

 アミラが眉を下げてギールを見た。


「やっぱり『救世教会』の関係者だよね。禁書を盗んだ実行犯かなぁ。まだ捕まってないし……」

「可能性はあるかもね」


 ギールは封筒を見つめながら、そう答えた。


「どうしよう、フラッドさんが来るまで待つ?」

「いや、開けよう。リミットが午後九時までだとしたら、もう残り四十分もないから」


 ギールはハサミを手に取って封筒を切り開いた。

 中には数枚の紙が入っていた。


「ッ……! これは……」


 取り出して、ギールは思わず声をこぼした。

 怒りが沸々と煮えたぎり、頭が焼けるように熱くなる。

 それは、A5サイズの写真が印刷されたA4用紙。

 その写真に、椅子に拘束されてぐったりしているメリンダの姿が写っていた。


「何が入っていたの……?」


 アミラの不安げな声。

 ギールは黙ったまま、用紙を入っていた順に右からテーブルに並べた。




『V』と用紙上部に書かれた右足の写真。

『J』と用紙上部に書かれた右腕と『STOP』ボタンの写真。

『Q』と用紙上部に書かれた左腕と時限爆弾の写真。

『T』と用紙上部に書かれた左足の写真。

『P』と用紙上部に書かれた肩から上の写真と、余白に記された文章。


 その文章は全部で五行。上の三行と、下の二行がセットのようだった。


『Oqtvwk pqp fqngpv.

 vg fgwo ncpfcowu.

 Lwuvkvkc pgokpk pgicpfc guv.』


『I became the Knight.

 You are always under the sunshine.』




「何、これ……?」


 アミラの戦慄混じりの声に、カイスが『J』の用紙を指し示しながら答える。


「見た限りでは、九時までにこの『STOP』と書かれたボタンを押さなければ、爆弾が爆発するって事だろうね……」


 ギールは五枚目の『P』の用紙を指差した。


「メリンダさんの後ろ、かなり奥行きがあります。恐らくどこかの工場か、大きな倉庫などでしょう」


 その用紙の余白に記された文章。下の二行に指を当てて、レマが首を傾げる。


「『私は騎士になった。あなたはいつも太陽の光の下にいる』……? 何なのかしら? 上の三行はそもそも読めないし……」

「下の二行は、きっと上の三行を読み解くヒントなんだと思います」


 答えながら、ギールは顎に手を当てる。


「『騎士』『太陽の光』……重要な単語は恐らくこの二つ……だけど、何を意味している……?」


 そのとき、駐車場の方で車のエンジン音が聞こえた。

 アミラが窓の外を覗き込む。


「あ、フラッドさんが来たみたい」


 程なくして、ユートとトマスを連れたフラッドが現れた。

 ユートと目が合い、ギールは僅かに身を硬くする。

 向こうも同じだったようで、気まずげに目を逸らされた。

 ギールは唇を噛み締め、視線をテーブルに戻した。


「お前たち、何を広げているんだ?」


 フラッドがツカツカと近づいてきた。

 テーブルの上に広げられたメリンダの写真を見て、彼は険しい声で「これは……」と呟いた。


 ガタンッ! ドサドサッ! と激しい音がした。ギールは驚いて振り返る。

 トマスが虚脱したように崩れていた。その際、近くの書類を巻き込んだらしい。


「トマスさん……!?」


 ギールは咄嗟に駆け寄る。

 トマスの顔は真っ青で、目元のくまは先日よりも酷くなっていた。


「す、すみません……書類を……」

「そんなのはどうでも良いですからっ……」


 震える声で謝るトマスに、ギールは首を横に振った。

 エフィーが慌てて近くの椅子を運んできてくれた。

 肩を支えながら、ギールはトマスをそこに座らせる。


「ユート君も座って」


 カイスがもう一つ椅子を持ってきてユートの隣に置いた。

 だが、ユートは返事をせず、呆然とした様子で母親の写真を見つめているだけだった。

 だからギールは、努めて冷静な声で彼らに告げた。


「大丈夫です。メリンダさんは絶対に救出します」


 ハッとこちらを見た二人に頷いてから、ギールは暗号文に目を向ける。


(下の二行……一行目と二行目で人称代名詞が統一されていない。『あなたはいつも太陽の光の下にいる』……「あなた」、つまり読者である俺たちの事か?)


 太陽の光の下で、騎士となった「私」を見る?

『I became the Knight.』の文章を、ギールは凝視して——。


「そうか、そういう事か!」


 声を上げて、ギールはペン立てから赤いボールペンを引き抜いた。


「何か分かったのか?」

「ええ。多分、上の三行を読めるようにできると思います」


 フラッドに頷く。

 ユートとトマスも近づいてきた。


「『太陽の光の下にいる』、それはつまり『nightじゃない』って事なんだと思います」


 ギールは赤ペンで『night』の文字を消した。


『I became the Knight.』

 ↓

『I became the K.』


 アミラが当惑した顔で首を傾げる。


「『私はKになった』……?」

「いや、ここに引っ掛けがあるんだ。下の文に人称代名詞『You』があるから、つい『I』も人称代名詞だと思ってしまったけれど」


 ギールは赤ペンを置いて、ポケットからスマホを取り出した。


「これは多分、ただのアルファベットの『I』で良いんだ。すると『IはKになった』と読める」


 話しながらスマホを操作して、アルファベットの一覧表を画面に表示する。

『A B C D E F G H I J K L M N O P Q R S T U V W X Y Z』

 スマホをテーブルの上に置いて、ギールは再び赤ペンを持った。


「『K』は『I』の二つ後ろにある。つまり『二つ後ろにずれた』って言いたいんだと思う。だから、これを暗号文全体に適用させて二つ前のアルファベットに戻すと」


 ギールは余白部分に赤ペンを走らせる。




『Oqtvwk pqp fqngpv.

 vg fgwo ncpfcowu.

 Lwuvkvkc pgokpk pgicpfc guv.』

 ↓

『Mortui non dolent.

 te deum landamus.

 Justitia nemini neganda est.』




「これは、古代語……?」

「……ああ」


 困惑した声を上げるアミラに、ギールは文章から視線を外さずに頷いた。

 眉間にしわが寄っているのが、自分でも分かった。


「上から『死者は悲しまない。神であるあなたを褒め奉る。正義は何人に対しても否定されず』で合ってると思うけれど」

「何それ……まだ、暗号は終わらないの?」


 また意味の分からない文章。アミラの声は焦りと怒りを帯びているようだった。

 ギールも同感で、焦燥感に駆られ口の中が渇いていく。

 時計を見ると、時刻は八時四〇分になるところだった。

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