第25話 急転

 エフィーが落ち込んでいる。

 夕食後。向かい側で紅茶を飲んでいる彼女を盗み見ながら、ギールはそう結論づけた。


(俺の前では平常をよそおっているが、どこか無理をしている……)


 帰宅したときに違和感を覚え、エフィーの様子をこっそり観察し続けた結果である。


(一体何があった……? もしかして何かを思い出したのか?)


 例えば、既に死亡しているであろう両親の事とか。

 或いは自分が犯した「罪」についてなど。

 彼女が落ち込む原因としては、今はそれくらいしかギールには思いつけなかった。

 しかしいずれにせよ、彼女が取り繕おうとしている以上、無理やり聞き出す事もはばかられる。


(もう寝るだけになったら、少し話をしてみるか……)


 エフィーは、あと二日とちょっとで死ぬかも知れないのだ。

 だからこそ、最期の瞬間に余計な悩みを抱えていて欲しくない。


 ——そう、考えていたときだった。


 緊急案件を知らせる電子音が響いた。エフィーがビクッと肩を跳ね上げさせる。

 テーブルの上で振動するスマホ。フラッドからの着信を知らせる通知が液晶に表示されている。

 ギールは即座に呼び出しに応じた。


「はい、ギールです」




『メリンダ・フォンダンが誘拐された。至急、第四支部に集まってくれ!』




「なっ……!?」


 フラッドの緊張を帯びた声に鼓膜を叩かれた。背筋に悪寒が走る。

 ユート・フォンダンの母親——メリンダ・フォンダン。


(誘拐? 何故……? いや、ユートさんの母親だからこそ、なのか?)


 ユートが目覚めたときに泣いて抱きつき、彼の事で思い悩み、目元に深いくまを残していた彼女の姿が頭に蘇った。

 息子のために一生懸命だったメリンダ。

 それだけではない。あの心優しい女性は、自分にもお守りを買って安全を祈ってくれたのだ。


(絶対に救い出す……!)


 瞬時に動揺を抑え付け、ギールは思考を巡らせた。


「他の人には?」

『もう伝えてある。全員支部に向かっているはずだ』

「承知しました。俺もエフィーも連れてすぐに向かいます。聞きたい事があるので、電話はこのままでも良いですか?」

『ああ。俺もそのつもりだった』

「ありがとうございます。準備しますので、少しお待ち下さい」


 一旦スマホをテーブルに置く。

 ギールは立ち上がり、不安げにこちらを見るエフィーに顔を向けた。


「メリンダさんが誘拐された。今から第四支部に向かうから、エフィーも一緒に来て欲しい」

「っ……!? わ、分かりましたっ!」


 エフィーが驚いたように頷き、玄関に向けて駆けていく。

 ギールはスマホを掴み、帰宅後ソファーの上に置いていたショルダーバッグを拾い上げた。

 バッグにはメリンダがくれたお守りがついている。

 ギールは奥歯を噛み締め、すぐにエフィーを追いかけた。


「トマスさんは?」

『今のところ無事だ。彼からメリンダが帰らないと連絡があった』


 既にコートを身にまとったエフィーが、ギールにもコートを差し出してくれた。


「ありがとう。代わりにこれをお願い」


 バッグを床に置いてコートを着ながら、通話をスピーカーモードにしてエフィーに手渡した。

 野外用の靴に履き替え、バッグのストラップを肩にかける。


「ちょっとごめんね」

「えっ、きゃあっ!?」


 エフィーを横抱きに抱え上げると同時、ギールは玄関から飛び出した。


「舌噛まないように口閉じていてね」


 夜の街を疾走する。顔が冷たい風に煽られる。

 魔力で強化された肉体が、通常ではあり得ない速度を生み出していた。

 同時に、精神干渉魔法による『認識阻害にんしきそがい』を発動する。

 周囲の人間から見えなくなったギールは、車の通行が激しい大通りに飛び出した。

 車にぶつかるスレスレを駆け抜け大幅なショートカット。

 行き交う人々の間をすり抜け、突然の突風に見舞われた彼らの悲鳴を置き去りにする。


「フラッドさんは今、どこにいるんですか?」

『車でユートの家に向かっているところだ。安全のため、彼とトマスを第四支部に連れていこうと思ってな』

「家……そっか、ユートさんは二日前に退院したんでしたっけ」


 結局、彼の両親に呼ばれたあの日以降、ユートと会う機会はなかった。

 未だ和解できていない彼と会うのは気まずいが、致し方ない。


「メリンダさんはどういう状況だったんです?」

『二時間前に夕飯の買い物に出たそうだ。その前にユートとケンカしたようでな。彼を一人にするのは不安だからと、トマスは家で待機。メリンダだけが買い物に向かったらしい』


 妥当な判断だ、とギールも思った。今回はそれが仇となってしまったが。


『いつもは長くても一時間程度で帰ってくるはずが、現在も音信不通との事だ。そろそろユートの家に到着する。あとは支部で、彼らも交えてだな」

「了解です。また後ほど」


 通話が切れた。スマホの表示が、午後八時になった事を知らせていた。

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