第15話 矛盾

「息子が、本当に申し訳ございませんでした」


 共有スペースに着くなり、トマスが頭を下げてきた。隣でメリンダも同様に頭を下げている。

 ギールは慌てて首を横に振った。


「いえっ、大丈夫ですから。どうか顔を上げて下さい」


 本当は全然大丈夫ではない。

 ユートの言葉が鋭い棘のように突き刺さっていて、胸の奥からじくじくと痛みが広がっている。


 けれども、辛いのはユートの両親だって同じだ。

 二人が弱々しく顔を上げる。二人とも、目の下に酷い隈があった。

 トマスが、沈み込んだ表情で重そうに口を開く。


「……少し前までは、落ち着いていたんです。だけど何かが気に障ったのか、突然怒りだしてしまって……」


 その声は震えている。深い悩みが窺い知れた。


「ユートとどう接すれば良いのか、私には分からなくなってしまいました」


 言い終えてから、彼はハッとしたように頭を下げる。


「すみません。息子より若い人に、何を言っているのか。情けないですよね……本当に、すみません」

「いえ、そんな事ないですよ」


 応えながら、ギールは自分の両親の事を考えた。


「……俺にはもう、両親がいないんです。母は俺を産んだときに。父は五年前に亡くなりました」


 その記憶は今でも、思い出すたびに痛みを伴う。

 ギールは目を伏せて、けれども深刻にはなりすぎないよう、声の調子に気をつけた。


「父は俺と同じ職に就いていました。なので俺は幼少期から、父による厳しい戦闘訓練を受けさせられていました。きっと十歳になる前には、既に大人にも負けないくらい強かったと思います」


 思い返せば、当時は泣いてばかりだった気がする。


「そんな感じでしたので、昔は厳しい父の事が好きではありませんでした。ですが、父が亡くなってから思うようになったんです。あれは、父なりの優しさだったのではないのかと」


 不器用な人だったのだと、今は思う。


「危険な職ですから、自分がいつ死ぬかも分からない。だからこそ、何があっても俺が強く生きていけるように、という事だったのかなと……」


 言いながら、ギールはふと気がついた。

 自分は今、死にたいと考えている。

 なのに今でさえ、父の教えを肯定的に捉えていた。


(俺は……)


 ——本当に死んで良いのか? そんな疑問が浮かんだ。


 背筋が凍えた。鼓動がドクンドクンと加速する。頭がぐらぐらと揺れる。

 突如現れた矛盾に溺れそうになって、意識を逸らすためにギールは慌てて言葉を続けた。


「なので、ユートさんを心から想う気持ちがあれば、どんな接し方でも大丈夫なんだと思います。いつか、親心が伝わる日がきっと来ますから」


 泣き声が聞こえた。

 ギールは視線を向ける。メリンダが泣いていた。


「……ギールさん、すみません……ありがとう、ございますっ……」


 ギールは微笑んで頷いた。


「ユートさんが、早く元気になる事を祈っています」


 その微笑みの裏で、ギールはいまだ暴れ回る心臓の衝撃に襲われていた。


(……俺は、一体どうすれば……)


 強く生きていけるように、という父のメッセージ。

 だが、守りたかった人を喪ったこの世界で、もう生きていく希望がない。死んで、早く楽になりたい。

 しかし、そんな理由で死んだら父は怒るだろうか。悲しむだろうか。

 ——彼の親心を、無下むげにする事になるのだろうか。


(ダメだ、今は考えるな。今はまだ、やるべき事がある……)


 ギールは自分に言い聞かせる。

 エフィーの事。ユートの事。自分が死ぬかどうかは、それらの問題が解決してからの話だ。

 なのに一度気づいてしまった矛盾は、いつまでも頭から消えてはくれなかった。

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