「ノア! ノア! おい! 返事しろよ! ノア!! 」


 振り返れない。ここで振り返ったら、死ぬ。


 ノアはどうなった? 聞こえたのは鈍い音。なら体当たり? ノアは気絶しただけ? 出血は? 後ろの足音が消えた。後ろの奴はどこに行った。確認する余裕なんてない。正面からじりじり近づいてくる。ノアの位置まで後退? そのまま抱えて逃げる? 俺が全力で走ったって逃げられるわけがない。一歩後ろにさがればそこで一匹口を開けて待っているかもしれない。何が正解だ。考えろ。考えろ。考え__


 「グルァァァァァァ!! 」


 「考える暇も与えてくれないってかよ、クソが……! 」


 俺がノアを巻き込んだ。ノアを危険に晒した。全部俺が悪かった。だからここは俺が………


 「切り抜ける!! 」


 「そこまでに、しようか」


 異様な気配に、足がすくんだ。


 身体が動かない。ここから動いてはならないと、本能が告げている。


 「物分かりのいい子は嫌いじゃないよ」


 聞こえてきたのはゆったりと落ち着いた中性的な声。声色とは裏腹にどこか底知れない不気味を感じ、警戒を強める。気づけば狼たちの攻撃の手は止まっていた。


 「誰だよ、アンタ」


 「おや、勇敢だね。それとも蛮勇というのかな? 」 


 「……さぁね」


 こいつが何者か、男か女かなんてどうでもいい。


 ……わからない。こいつは


 声はさほど大きくない。森にこだまする様子もない。つまりあまり遠い場所にはいないはず。問題があるとすれば……


 「声の方向が分からないかい?」


 「っ!! 」

 

 「そう驚くこともないだろう? 私はキミの何倍も生きているのだから、キミくらいの年の子が何を考えているのかなんて容易に想像できるさ」


 「そうかい、じゃあつまり誰だか知らないアンタは俺たちを助けてくれたってことでいいんだな?」


 「俺というと……後ろで倒れてる白髪の子のことかな? 」


 「……っそうだ! ノア! 」


 後ろを振り返ろうとしたカインを制止するように謎の声が割り込む。


 「おっと、振り返ってはいけないよ」


 「っ!!!!!! 」

 

 異様な気配が一気に接近してくるのを感じた。まるで喉元にナイフを当てられているような、息が止まる感覚。後ろに


 「勘違いはよしてほしいな。私は決してキミたちを助けに来たわけじゃない。ただ代価を払ってもらいに来ただけさ」


 「だ……いか……? 」


 声にもならないような声をどうにか絞り出す。


 「そう、代価だよ。君たちが私の領域に入った代価。だって、そういう契約だからね。」


 「へぇ……そう。見ての通り俺は今何も持ってないわけだけど」


 呼吸すら満足にできないなか、ただ、必死に、言葉を紡ぐ。俺は今脅されている。それも決して勝てないと分かっている相手に。頭を回せ。思考を止めるな。交渉は得意なはずだろ。どうにか被害を最小限に抑える方法を……


「キミが何を持っていようと変わらないさ。私はそこの白髪の少年を研究材料にさせてもらえればそれでいいんだから」


 「研、究……? 」


 その研究が何の研究かなんて、魔改造された狼の群れを見れば一目でわかる。

 ……これは、最悪の結果になり得る。


 「悪く思わないでくれよ、少年。私だって心苦しいのだけど、これは契約なんだ」


 それでも何とか時間を稼ぐしかない。時間を稼いだ結果、何が起きるかもわからない。それでも、今はただノアを守ることが最も重要だ。


 「お前、ノアを使って何の研究を……」


 「キミだって分かっているだろう? 身体能力の飛躍的向上。主による感情、行動の完全なコントロール。いずれにせよ、キミの望む結果は得られないだろうね」


 「なるほどね。でも実際オオカミさんに対しては成功してるんだからさ、わざわざ人間でやってみる必要もないと思うんだけど」


 「存外察しがわるいのだな? 少年」


 …………最悪のケースだ。


 「私の研究はヒトを支配して真に大成する。彼らはその前段階にすぎない」


 「……狂ってんな」


 間違いない。こいつは生かしておいてはダメな人間だ。誰にだって分かる、この世の悪を体現したような人物。普通に戦って勝てないのは火を見るよりも明らかだ。しかし奴はいま、明らかに油断している。俺に研究内容の話をしたということは、俺を生かすつもりもさらさらないのだろう。


 「話は終わったかな? 」


 どうせ死ぬと決まっているのならなおさら好都合だ。隙を見て、殺気を悟られないように、一太刀で……






 ……俺がコイツを殺す。


 

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