第2話 自分が何者か分からない者
ふと、私はいったい何を夢見るのかわからずに全てが混沌とした冷たい世界に居るのだと感じてしまう。自分だけが仲間外れにされているかのような閉塞感、無力感。いっそのこと罵られれば諦めがつくのだろうかとも思ってしまうほどに私は疲れていた。精神的疲労には慣れているはずなのに、今の私は押し潰されてしまいそうなほど不安定だ。
朝、暁から東雲の頃 高層立体居住施設(マンションではない)のベランダから外を見ると秘密都市らしく偽装された学研都市が見えている。外部との隔離された塀は都市を囲むように設置された工業団地によってなされている。地下を経由しなければ出られない、そんな光景でも空が澄んだ色をしている事からも、私が知る同じ世界なのだと気がつく。
「凪咲?早いね おはようございます」
背後から聞こえるガラスのような声は私と同じ諜報局員であり、2年ほど後輩の少女だった。私は気持ちを切り替えていつものように・いつもの私のように おはようと と返す。
・・・
逓伝時報〈#3909〉2024.1.4 20:08JST
判断日まで後、96日。
(イ)
都市内の閉鎖ネットは通常どおり運用中。定期的な攻撃及び外部ネットへの匿名アクセスも不可である。
閉鎖ネット内での、変更事象としてTELNETから有線によるメタル回線への変更の案内が開始され、4月から運用開始との情報あり。
(ロ)
学生の間で掲示板による噂を確認。閉鎖都市内で人造人間(クローン)の開発に成功したというもので、根拠なし。ただ、b8地区に置ける電力使用量が桁違いに増加しており 何らかの実験等が行われたと推定されている。なおb8地区ではDNAやゲノム解析による実験や研究が行われており、過去に小動物のクローンを実際に製造したことが今回の噂にも関連していると見られる。
・・・
「先輩は何飲みますか?」
後輩...いや湯川桜はそう言ってテーブルの上に朝食を並べる。湯気が立つ味噌汁は白味噌で、豆腐とネギが浮かんでいる。白米の横にはスクランブルエッグ、ハムとクロワッサンが置かれ、男子高校生が食べそうなボリュームだった。
「オレンジにするよ。毎朝ありがとう」
「いいんですよ!先輩は代わりに晩ごはん作ってるんですから」
冷たくガラスのような声なのに、口調は明るく元気である。私とは正反対の性格というのも頷ける。
「今日、私 帰り遅れる。桜も今晩は仕事でしょ?」
美味しい匂いが広がる部屋の中で彼女は“うん。仕事”と答える。仕事というのは調査・情報伝達・諜報活動に工作などだ。彼女は電脳やシステムハックに特化した私の不足する部分を補うように聞き込みやアナログな情報操作などを行う。今日に関しては外部と通信できないこの都市と外をつなぐ諜報局のネットワークを使って人力で情報をやり取りするのだ。みんなは飛脚と呼んだりしている。
「凪咲先輩」
食べ終えた私に彼女は少し寂しそうに、怯えるようにして尋ねてきた。
「私がもし、この都市で素性がばれたら私の事はどうなるのですか?」
「私の事?」
私はほんの僅かな経験の中で答えを探す。
「この都市では無いけど、年間に何人の諜報局員が殉職するか知っている?」
首をふる彼女に私は続ける
「年間に約数十人。多いと見るか少ないかはあなた次第ね。でも多くの死因は公にされてはいないの。というのも閉鎖都市の中は統治国家外の独自の領域なのよ。だから軍部によって都合がいいように処理される。だから、実際に死体袋に入れられて戻って来る局員の死因は大概が拷問によるものか薬品による物が多いのよ」
聞いたことを後悔したといった表情の彼女に私は更に続ける。
「でも、そのような末路をたどった彼ら(彼女ら)は多くが自己中心的な行動による過剰な探究心とたちの悪い好奇心、そして無自覚な危機管理能力の欠如によるものが多いの。だから、桜が心配する事は特に無いはずよ」
深呼吸の後、立ち上がった彼女は涙を拭って食器を片す。
「先輩はなぜ、その事を知っているのですか?怖くて逃げたくならないんですか?」
刹那。水が流れる音だけが聞こえる。
「逃げられない。逃げようとも思わない」
「えっ?」
振り向いた彼女は手を止めたまま私を見た。
「私ね、私自身がある意味兵器そのものなの。電脳ネットワークを介してインターネット上の機器やサービスを感知できるの。第六感とも言えるわね。 だから、政府は私を監視下に置いて願わくば無力化したい。だけど、私に手を出すとどうなるのかわからないから鎖に繋いで静観しているの」
「それって。辛くないですか?」
「えぇ。どこにいても どこに行かなくて
も」
夜。
私は桜とは別に深夜の都市部を駆けていた。
背後には名前の知らない相棒。別の諜報局員がいる。消息を絶った諜報局員の「回収」の為に私達は最後の連絡があった研究施設前にあるマンホールから通信回線があるであろう共同溝へ歩みを進める。そこで私は埋設されている通信ケーブルを見つけた。3世代ほど昔の物だ。
「見つけた。だけど、私が出来るのはデータがある場合だけ。それに監視カメラとかがスタンドアロンだとここからは無理よ」
「OKだよ。その為に俺が居るのさ 変装と紛れる天才だぜ 見取り図だけでもわかれば問題ないよ」
古びた回線を辿っていくもやはり監視カメラは見つからない。見取り図は手に入れたけど、ほぼほぼ空白でわかるのは壁と水道の配管だけ。
「ごめん 情報らしい物が無かった」
「いいさ 行ってくるよ」
「インカムで逐一報告してね。あと、ネットカメラも...」
振り返るとそこには誰も居らず、私はため息をつきながらも暗闇を進む。
終端部には高台を望むように開口部があり、フェンスで塞がれている。その向こうには廃都市が広がり、様々な遺構が色褪せた状態で放置されている。
現在では廃物資の運搬だけでたまに使用される旧道だけが機能している廃都市だ。
そのフェンスをペンチで切り開けると崖の様になっていた。下を見れば数十メートルありそうで、薬品臭い生暖かい風が舞い上がる。その中で足場となる小さな通路があり、横方向に長く続いている。
命綱も無く、震える手を必死に壁を掴ませて目的地である受電装置がある部屋を目指す。そこには通信回線の末端もあるはずである。
普通に行けば5分程度でも実際には15分も掛かっていた。
ついた...
無施錠のドアを開けて中に入ると予想通りの通信回線の末端があった。外部と内部を取り繋ぐわけでもなくそれぞれが独立しており、いわば2系統で運用されているようだった。
暗号化されているものの容易に接続すると、施設内の防犯カメラの映像をハックして相棒を探す。
5分前...
10分前...
15分前...
辿っていっても彼は見つからない。一旦保留にして、施設内全体を捜索する。すると、無人で人気が無かったはずの地下のカメラに人影が映った。白衣を着た女性が2人の兵士らしき人物に連行されている。
抵抗する様子で暴れるも兵士は彼女の首筋に何かを注射して鎮静している。はだけた白衣を掴んでいるとカメラに彼女の表情が映る。
いや、彼だ。
あまり上手くない変装は、カメラ越しでもわかるくらいに嘘っぽい。厚塗りの化粧に不気味なまでのリップ。下手すぎだと突っ込まずにはいられない。
そんな彼はカメラに向かって口を動かす。音声など記録されていないてというのに。
仕方なく解析して見れば、慌てた様子も無く
「上手くいくと思ったんだけどな 失敗したよバディー(相棒)」と言っていた。
普段なら、本来なら作戦中止ともいえる状況だが私は彼が続けて言った「僕も実験動物になるみたい」という言葉に私はものすごく興味が湧いた。
興味本位ともいえる感情に私は素直に従って施設内部へと歩みを進める。自分を映す防犯カメラは全てダミーをかましたうえで彼が連れて行かれた地下実験室へと来る。
「こうなるなら銃でも貰っておけば良かったな」
思い扉を開くと実験の最中の研究者たちがこちらを振り向く。
「もう手遅れでしょ。続ければ?」
脳を解剖されている最中の彼の目は虚ろで常に動いていた。
「あははは なんと気持ちいいんだ。すべての痛みが消えて... あれ? 俺はどこにいるんだ?どこ?ねぇ!」
自分の事を探す彼に私は不思議と感情らしい感想は無かった。
「失敗か。まったく、クローンもあと少しで完成だというのに」
そう嘆く研究者の一人に私は尋ねた
「そっか。結局、身体は複製出来ても脳内のデータはコピー出来ないんだ。さっきだって途中まではリアルな方の彼だったんでしょ?」
顔を見合わせる彼らは重たい口ぶりで答える。
「そうさ。細胞レベルでは完璧さ。だけれども自我や自意識が欠如してしまう。また、精神疾患をもれなく罹患する」
人間らしいじゃないか。個体は一つ。唯一のモノであり、複製なんて臓器や皮膚などまでだと。
「で、彼はどうするの? もっと言えば1ヶ月前にも来た男はどうなっているの?」
一人の男がマスクを外す。口ひげをつまむように整えて狡猾に話す。
「俺らは雇われなんだ。知らないさぁ 今頃平和に暮らしてるのではないか?」
私もまた微笑んでこう返す。
「残念だがそれは無い」と
だが、これ以上いても仕方が無い。伝達役の彼にはこう報告しよう。
諜報局員2名は殉職した。そのうち送られてくるはずだと。
そしてついでに腹ごしらえでもしよう。
「気持ち的には海鮮丼かなぁ」
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