黒い傘は赤い雨より

おくとりょう

あの日の愛しい友の手は

「もうやめて」

 ヒーローらしからぬ弱々しくかすれた声。それが私の口からでた声だと気づくと、自尊心が崩れたゼリーみたいに胸の奥でぷるぷる震えた。持ち慣れたはずの刀を握った手の震えも止まらない。彼女の首にあてた刃の先までぎこちなく震えていた。


 だけど、彼女は身じろぎもせず、黙って私に微笑んだ。いつものように堂々と、いつかのように寂しげに。

 深い瞳が少し潤ったようにきらめいて、長いまつ毛がまぶたを下ろした。血の気のないまぶたにきらめく青いラメは、昔おそろいで買ったアイシャドウととてもよく似ていた。

 コンビ結成記念で遊びに行ったショッピングモール。憧れのコスメコーナーから出たあとに、お互いの冷や汗を笑いあった、あの晴れた日のことを思い出す。

『悪者は怖がらないくせに、お洒落な店員さんは怖いんだ?』

 ――あたしの可愛いヒーローさん。


 ふいに、闇に浮かんだ彼女の白い手。それは震える私の手ごと、そっと刀の柄を包み、そのまま彼女の首へぐっと引き寄せた。透き通るように白い肌に赤い雫がじんわりにじんで、私の刀を滴り堕ちる。


「やめて!」

 思わず叫ぶ私の口。すると彼女はカッと目を開き、唇を歪めて高笑いした。それはまるで他人事のように。

 赤黒い裂け目のような口元から、真っ白な歯と鮮やかな舌がちろっと覗いた。


 ――どうせあなたも同じくせに。


 開かれた瞳は真っ黒で。暗くて、深くて。見ているだけで吸い込まれそうで。


 たまらず私は刀を振り抜いた。ゆっくり傾く彼女の頭。朱い唇が薄く開かれ、誰かの悲鳴が頭を満たす。

 彼女がいつも着ていた黒い外套。その襟から覗く淡い桃色の肉。それはまだ朱い飛沫を噴き出さない。止まったみたいな世界の中で、彼女の笑顔が遠のいて、今度は私のまぶたが幕を下ろす。

 そうだ、これは夢だ。何度も何度も見た悪い夢。


 だから、私は知っている。


 次に帳が上がるとき。倒れた彼女の周りには、まるく血だまりが広がっていて、そこには私が映ってる。吐き気がするほど鮮やかで、醜く寂しく朱い鏡。びしょびしょに濡れた私はわめきながら、ただただ刀を突き刺し続ける。何度も何度も何度でも。彼女の姿が無くなるまで。私が映る鏡に向かって。


 あぁ。あの日、伸ばしていた手の先は一体何処に向かっていたのだろう。


 ……誰に対してでもない問いを胸に、私は静かに目を開ける。

 今朝も空は青く爽やかなのだろう。暖かな日差しを頬に感じて頭の隅でぼんやり思う。


「ヨウコ姉、やっと追いついた。もう、こんなことは終わりにしよう」

 哀しげな視線を向けるのは、久々に会う幼馴染み。彼の頬から汗が滴るのを見て、私は晴れた空を思い浮かべた。懐かしい初夏の澄んだ色。


「久しぶり、タツキ。いい天気ね」

 だけど、私は傘をさす。赤い雨を世界に振らせて嗤う魔女だから。

 もう空なんて見たくはないから。

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