第2話 神余

 東京メトロの出口一つ間違えると

思いの外、目的地までの時間を

費やされる。普段、利用しない

路線の確認は念入りにして来た

つもりだったのに。


漸く目当てのビルに滑り込むと、

小走りでエレベーターホールへ。

 途端、守衛に呼び止められた。


「どちらに御用ですか?」


 初出勤である。


本来ならば受付を経由するべき

だったか。

後悔は、二度も後には立たない。

 質問には出来るだけ丁寧に

答えるが、そもそも説明自体が、

下手なのだ。正直に話しても

下手に取り繕っても、どの道

不審者扱いされかねない上、

此処に居る、という事自体に


 自分自身が腹落ちしていない。


「本人確認書類を拝見します。」

折角、早めの到着を逆算して

来たというのに、結局ここでも

時間を要してしまっている。


  今まで、そんな事ばかり。


『本人確認書類』というのが

運転免許証で事足りるのもすっかり

放念していた。





 物心つく頃には、親の関心からは

すっかり外れていたのだと思う。


 古くより代々続く家系の末として

絶対的に必要な『感覚』が、

私にはない。

 今にして思えば幸いなのかも

知れないが、血族という閉鎖的

コミュニティに於いては疎外感しか

齎さなかった。

自分なりに努力もしたし、ならばと

相当に譲歩した代価案も幾つか

練ってはみたが、無駄だった。

 それでも義務教育が終わるまでは

諾々と耐えた。しかし思春期を迎え

耐えきれなくなり家を出た。 

 何か思う処があったのか、

それとも単に見栄を張ったのか。

皮肉にも後の生活は『家』からの

援助によって成り立ったが、

それは自分の中途半端な甘えに

他ならず、大学院にまで勉学の

範囲を広げたのも、

決して意趣返しなどではない。




 漸く解放されて、小走りに

エレベーターへと向かうや、

目当ての階のボタンを押す。


と、長身の男性が滑り込んできた。


「何階ですか?」

すぐに気を取り直すが、敢えて

顔も見ずに淡々と聞く。

「国森顕子さん。お待ちして

いましたよ。」四十代の中ぐらい。

五十には届かないだろう。

チャコールグレーの三つ揃えには

薄くピンラインが入っている。

体型に合わせて誂えたのだろう

その出立は、地味めに抑え込んでも

尚、人の目を惹く。

「失礼ですが、何方様ですか。」

答えなど、既に分かりきっている。

きっとロビーでのひと悶着を

遠巻きに伺っていたのだろう。


「この度の辞令で、室長を拝命

致しました。御厨忠興と申します。

今後とも良しなに。」


 そこで初めて私は男の顔を斜めに

見上げた。端正な美形の部類には

入るのだろうが、穏やかな笑顔にも

関わらず、底が知れない。


一体いつから待っていたのだろう。


「とにかく分室に参りましょうか。

会って早々こんな所で立ち話も

なんですから。」そう言いながら、

御厨と名乗った男はエレベーターの

『閉』のボタンを押した。






 斯くして私は、警視庁公安部に

連なる新たな組織に『出向』扱いと

なったのだった。

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