第37話 黒伯爵と銀の髪 21


「おい、これは何だ?」


 紋章入りの袋の中身を確かめていた一人の外交補佐官が声を上げた。


 今行方不明になっているメイヤー伯爵の荷物が、皇国から返されてきたものを順々に皆で開けているところだった。基本的に外交官は外交特権を行使できる立場にある。公的な文書や私的な荷物も入国する際に調べられることはない。特に王国の紋章とメイヤー伯爵の紋章が入った袋の中身は絶対不可侵なものとして扱われる。相手国に見られては拙いものなどは、この袋に入れておくのが通例である。しかし。


「これは、紅茶か? お茶の葉っぱにしか見えないが」

「それは今王都でも人気の『黒馬』ラベルの茶葉だな、、、しかしこっちの包みは、薬草?」

「ふつうは書類を入れたりするんだが、お茶の葉なんぞ入れてどうするつもりだったんだ?」


 違うテーブルで作業していたマイクロフトが見に行くと、例の王宮で出されたものと同じブレンド品の茶葉と何らかの薬草を確認した。そうして渋い表情になる。


「――これはきっと、麻薬だ。すまないが誰か、医局の薬学専門の医官と、王太子殿下を呼んできてくれないか」


 それからは一転大騒ぎとなった。この紋章入りの袋を使っているということは、メイヤー伯爵が麻薬取引に関わっていた大きな証拠となる。いったい何処から仕入れていたのだろう。


 さっそく医官が分析すると、先日セシルが買った茶葉に含まれていたものと同じ成分が検出された。これで麻薬の取引実態が確認された。しかも外交トップが関わっているとは。


 今まで特に瑕疵のない優秀な外交官として名を馳せていた人物の、裏の稼業が暴露され、外交庁は大いに揺れた。だが王太子により、とにかく店の捜索が済むまではと全職員に箝口令を敷かれた。


「情報が洩れなければ良いが。あの時あの場に居た人間が多すぎる。ちょっと難しいかもな」


 イライアスはぼやいていた。捜索は今日の昼から決行予定だ。店に手入れに入って証拠品を押さえたらすぐに、サリーフィールド西方辺境伯のタウンハウスへも踏み込むことになっていた。こちらでフォレスト伯爵の確保に動くつもりだ。


「クレイグは店で証拠を押さえたらすぐに、ジークフリードと一緒に西方辺境伯の処へ行ってくれ。頼んだぞ」

「御意に、殿下」


 ジークフリードは少々後悔していた。やはり頭ごなしに否定するのではなかったとも思っていた。あれからヴィクトリアが静かに怒っているのを感じていたが、忙しくてフォローも出来ずにいた。昨夜になって漸く寝室で顔を合わせられたので、念押しするようにパーティーには参加するなと釘を刺した。すると彼女は事も無げに、目録の印刷について印刷局と打ち合わせがあるので忙しい、遊んでいる暇はないと返された。そうして調べ物があると言って自室へと籠ってしまった。今朝はジークフリードが先に邸を出てきたので顔を見ていない。


 若干の不安はあるが、セシルが阻止してくれる筈だ。万が一のことがあっても、自分も辺境伯邸へ行くことになっている。大丈夫だろうと考えていた。


 ◆


 中心地から離れているとはいえ、サリーフィールド西方辺境伯の邸宅はかなり立派な建物だった。三々五々招待されたと思しき人たちが集まっている。皆、門の処で受付けの侍従に招待状を差し出していた。客は男性が多いようだ。顔見知り程度ならちらほら見当たるが、高位貴族の姿は少なかった。それより数少ない女性の姿を目に留めながら、セシルとアンは列の後ろに並んだ。


「かなり広いお邸ですね」

「ウィンチェスター公爵家のタウンハウスだってかなりなものじゃない?」

「もう少し王宮寄りにあるから、ここまでの広さも立派さもありませんよ。辺境伯のタウンハウスというからもっと無骨な印象だったのに、随分と洗練されているようで」

「ね、この格好で大丈夫かな」

「正式な招待状を持っているし、今は昼間だから大丈夫でしょう」


 そう、二人はいったん文化研究所へ出仕して、予定通りに印刷局へ行き目録の印刷見本について打ち合わせてから、セシルは事務服のまま、アンも文官服でここへ来たのだった。目的は、サリーフィールド辺境伯が持っているというスコイエの絵画を確かめることだ。仕事の一環だからと心に折り合いを付けていた。


「……黒伯爵が居れば、いろいろ話が聞けるかな」

「自分から罪を認めるとは思えませんけれどね」


 こそこそと話していると、順番が来たので招待状を差し出した。


「いらっしゃいませ。本日はようこそお越しいただきました。どうぞお楽しみくださいませ」


 慇懃に礼をする侍従に黙礼すると、会場である庭園に足を向けた。それは溜め息が出るほどに良く手入れされた素晴らしい庭園だった。弦楽器の奏でる音色がゆったりと流れる中、招待客たちはあちこちに置かれたテーブルに用意された菓子や飲み物を自由に楽しんでいる。他の客もカジュアルな服装で、悪目立ちしないことに少しばかり安堵した。


「セシル、こんなに人がいる中で薬交じりのお茶が出るとは思えないけれど、十分気を付けて」

「大丈夫。そんなにがつがつしないから。今日の目的は、絵画を確かめること、だもんね」


 そこここで客が談笑している中、邸宅の主人であるサリーフィールド西方辺境伯が姿を見せた。彼自身は勿論三十歳以下ではないが、邸宅の主人として挨拶をしに来たらしい。アンは身構えた。挨拶ついでに上手くいけば絵画を見せてもらえるかもしれない。あちこちのグループに気さくに声を掛けて回っている。国の構えである辺境伯らしいがっしりした大柄な体格の持ち主だ。しかし西方辺境伯と王家にはちょっとした緊張関係にあることを、アンは知っていた。先だっての内戦では、王家に反発した連合軍の旗印になっていたという。宗教色の濃い西隣の国とも距離も信条も近いとも聞いていた。彼からすると、王家と繋がりのあるウィンチェスター家を煙たく思っているに違いない。加えて奥方はあのメイヤー伯爵の娘だ。気を付けるに越したことはないだろう。


 よく来てくださいましたね、とにこやかに声を掛けてきたので、アンとセシルもにっこり笑って応えた。当たり障りのない会話の応酬が始まる。つと、アンの顔をじいっと見つめ、失礼ですがと改まったように言った。


「貴女には何処かでお会いしましたか?」

「まあ、それは何かのお誘いの常套句ですわね」


 ころころとわざとらしく口元を隠しながらアンは笑ってみせた。虚を突かれたような顔を見せた相手に畳み掛ける。


「先日の王妃様の誕生パーティーでお会いしましたよ。お久しぶりです。実は絵を見せて頂きたくてこちらのパーティーに参加いたしました。お願い出来ますでしょうか」


 はっきり物言うアンに、セシルは恐れ入ったというように横で黙って控えている。やはり地は公爵令嬢だ、この手の会話もお手のものなのだろう。


「――あの時の生意気な女官か」

「女官、ではありませんけれど。この姿の通り、専門技官だとお伝えした筈ですわ」

「どっちでもいい、お前には見せる気はない」

「無料で鑑定して差し上げます。これでも見分ける自信があるのです」

「それを信じる根拠がないだろう?」


「おお、これはこれはいらして下さったのですね、セシル嬢。嬉しいですよ」


 割って入ったのは黒伯爵こと、フォレスト伯爵だった。セシルは頬をほんのりと染めて挨拶を返した。いやいや、こいつは麻薬売買に関係しているんだと気を引き締めつつも、やはり微笑まれると弱い。心がすっかり高揚するのが分かった。


「貴女が、セシル嬢のご友人のアン・トレイシー嬢なのかな? …っ、……いや、パーティーで見かけたウィンチェスター公爵家のご令嬢じゃないのか?」

「ウィンチェスター公爵家? まさか」


 辺境伯と黒伯爵の二人が揃って目を眇めてアンを見つめた。


「お分かりでしたか。トレイシーは仕事上で使っている名前なのです、それが何か?」

「……ウィンチェスター公爵令嬢だとすると、後ろにシュバルツバルト侯爵家がついているな。王太子の狗を釣り上げたか、しくじったな」

「その言い草は不敬ですわ、訂正していただきます」

「……ルーファスはトレイシー嬢が王宮での絵画鑑定の第一人者だと言っていたが。そうか、君か。君がウィンチェスター公爵令嬢だとすると、あの時のお嬢様だな」


 あの時のとは。アンは首を傾げた。


「――思い出したぞ、お前はあのウォルフォード公爵のお気に入りだった小娘だ。大した鑑定眼を持っていたな」


 辺境伯も幼き日のアンを見知っているらしい。セシルは慌てた。目算が狂った、と思った。主を思うと恐ろしくてこれ以上ここに居たくない、アンを連れて一刻も早く逃げ出したい、と考えた。


「もしかしてお二方ともあのお茶会に参加されていたのでしょうか」

「ああ、貴女の鑑定眼のお陰で、画商だった父は国外追放されてしまった」


 驚いたのはアンも同じだった。まさか贋作茶会の参加者がここに居ただなんて。しかも、フォレスト伯爵が画商ヨハネス・デュムラーの息子? 


「これも巡り合わせか。……ルーファスは君が公爵令嬢だとは知らなかったようだな、おかげで計画が狂う」


 ちょっとこちらへ来てもらおうか、と知らぬ間に護衛に囲まれた状態で、アンとセシルは背中を押されて庭園から邸宅の一室へと連れ込まれてしまった。ちょっとした広間になっていて、壁には大小の様々な絵画が掛かっている。


「なるほど、あのお嬢様なら鑑定眼は確かだな。せっかくだ、とりあえず観てもらおうか」


 サリーフィールド西方辺境伯の指し示した方向には、イーゼルに立て掛けられた例のスコイエの風景画が飾ってあった。アンは背筋を伸ばし顎を上げ、尊大に見えるようにゆっくり歩み寄った。


「―――これは、良く出来ていますが、偽物ですね。しかも、私の知っている筆のタッチです。今は何処に居るのか、……あの時いらしたのなら、覚えはないですか? バーントシェンナの髪を持つ南方の国出身の、モラン、そう、ユベール・モランという人物です」

「……っ、はっ! これは大したものだ。恐れ入ったよ。君には是非ともこちら側へ来てもらいたいね」


 しかしイーゼルの前のアンは、黒伯爵の言うことをほぼ聞いていなかった。目の前のスコイエの絵ではなく、壁に掛けられた大きい絵画に釘付けになっていた。目をいっぱいに開いて、驚きの表情を隠さない。


「―――どうして、この絵画がここに? サリーフィールド辺境伯様、何故ですか?」

「何故とは何だ? どういう意味だ」

「この絵画は、ここグリーンヒル王国の初代国王を描いたものです。『女神への献身』というタイトルで、領土を統一した逸話に基づき、二百年ほど前にクローデルという画家によって描かれました。長く王宮の壁を飾っていましたが、……内戦の折に行方不明になっています。ですから何故とお聞きしました」


 サリーフィールド辺境伯の方も心底驚いた様子だった。全く知らなかったらしい。アンは言葉を続ける。


「しかしながら、これは多分、最近の模写だと思われます。本物は何処ですか?」

「し、知らん、私は何も知らない。父からは何も聞かされていない」


 少なくとも二代前の辺境伯の仕業なのか。アンは模写でもいいからこの絵を王宮に取り戻したいと考えた。恐らくモランの手によると思われる、それほど見事な模写であった。


「メイヤー殿のところで、これと同じものを私は見たよ。……あっちが本物なのかな」


 黒伯爵が呟いた。思いも依らない展開だ、と彼も考えていた。そうしてゆっくりと、その場に居る顔触れを確かめた。


 さて、と彼は言った。昔話でもしましょうか、と。

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