第13話 エピローグ


 絵画修復の手法を東方の国で長らく学んだゲオルグ・フォン・グンター教授に気に入られた私は、基礎の基礎から手法を叩き込まれた。結果、三ヵ月という約束だった研修期間が半年になってしまったが、これに関して全く悔いはない。それほど充実した日々を過ごす事が出来たのだ。国に帰っても満足する成果を上げられるに違いない。今まで気になっていたが手を出せずにいた傷んだ絵画の修復が出来そうだ、明るく先の展望が開けたようで本当に嬉しくなった。


 ジークフリード様は、皇国でも宰相付きの見習い補佐官として忙しい毎日をおくった。シュバルツバルト本家との遣り取りもあり、婚約者として二人で過ごせる時間は微々たるもので、隠すことなく大いにぼやき、会えた時には片時も離れようとせずに私を構い倒した。四ヵ月後、先に帰国することになった彼を宥めるのが割と大変で、この先この人と短期間でも離れると面倒なことになるなと、閨の中、頭の片隅で考えた。たった二ヵ月、されど二ヵ月。そうして私がいざ帰国するとなった時には無理矢理のように用事を捻じ込み、皇国までわざわざ迎えに来たほどだ。日々甘やかされて、こんな人だったかしらと再認識せざるを得ない。


 帰国してからも暫くは、報告書を纏めたり、国王陛下や宰相閣下又は大臣方を前に結果報告をしたり、絵画は元より他の文化財の保護状況の調査を行ったり。研究所内外のことで本当に忙しく、のんびりと二人で過ごす時間はほぼ皆無だった。申し訳無くも思うが、トリアの思うようにすればいいと言う彼の言葉を信じて本当に好きにさせて貰っている。その代わり時間が取れた時には、こちらからも思う存分甘えて、端正な顔が嬉し気に緩むのを喜びを以て眺めている。


 王宮では変わらず枯草色の髪を後ろ一つに纏めて地味な眼鏡を掛けたアン・トレイシーのままでいるが、出立前の夜会での私の変身振りが伝説のように語れているらしい。時折何を勘違いしたのか同僚男性からお声が掛かることがあるが、婚約しましたからとすっぱり断ると魂が抜け落ちたようになって去っていく様子が、申し訳なくも面白い。


 一方、誰が話したのか、シュバルツバルト補佐官がウィンチェスター公爵令嬢と婚約したという話は、私たちが皇国へ向かうと同時にあっという間に広がった。しかし補佐官は研修中、公爵令嬢は社交界に出てこないから(いないから当たり前だが)本人から話を聞けず、加えて両家共に具体的な話をはぐらかし続けた。二人共が社交界に出て来ないので、噂はだんだん収まっていったとは、私がいない間それはもう仕事の量が増えて大変だったとお怒りのセシルの談。


 ジークフリード様が先に帰国した際には噂話がいろいろ再燃したらしいが、彼の口からきっぱりと婚約は事実だと言い切られて、諦めて氷結倶楽部を去った人、遠くから眺めるだけでもと残った人、と反応は様々だったそうな。帰国した彼と私は、以前と変わらず、政敵よろしく会議で議論したり言い争ったりしているが、私が婚約相手だとは皆さん終ぞ思わないらしく、それもどうなのよとも思ったりする。彼は面白いから放っておけと言いつつ、衆人環視の前で私の腰を引き寄せてキスしようとするのを何とか押し戻し、止めてくれと言うのは日常茶飯事のことだ。


 もう、バレてしまってもどっちでもいいやと投げやりになっている。忙しさに余裕がないのもあるが。


 それから、あの夜会の顛末はこうだ。


 私たちがあの場を離れた後、ルパート様とルーファスは拘束されて王太子殿下の指示で尋問を受けた。しかしルーファスは何か薬を盛られていたらしく、支離滅裂な言葉を吐き続けて埒が開かなかった。ルパート様はがんとして何も知らないとの一点張りで、弟がすまなかったと要らぬ謝罪を口にし、後はメイヤー家の方で片を付ける、と言うだけだったという。一緒にいた二人の護衛は雇われたばかりで詳細は何も知らされていなかった。メイヤー伯爵にも話を聞く必要があるが、何分はっきりとした証拠がない。無事だったことに加えて、私に媚薬を盛った証拠も消え失せてしまい、何かの罪に問うのも難しく、今のところはどうしようもないと、殿下のお使いとして秘書官のマイクロフト様が皇国まで来た時に、報告していただいた。納得は出来ないが、致し方ない。今後は殿下にお任せするのが一番だろう。


 ダンスのあと私から離れたジークフリード様は、あのエミリー・グラントに話があると強引に外へ連れ出された。先日まで雑務とはいえ宰相室で勤務していた人間相手にそう無下には出来ず、付いていくといきなりしな垂れかかって自分の一方的な想いを告げ、それから私のことは諦めろ、今頃メイヤー様のものになっていると高嗤いしたんだとか。エミリーも思えばおかしな色の瞳になっていたと、後日ジークフリード様は話してくれた。


 そして近くにいた近衛騎士にエミリーを拘束させ、王太子殿下に頼み込んでマイクロフト様や近衛の護衛騎士の方々と私のいた部屋に飛び込んだと。


 妙に居心地の悪い結果ではある。そう、何もかも中途半端さが拭えないのだ。


 どうやらルーファスもエミリーも媚薬ではない何かの薬を使われていたらしいが、それに関してまだ分析出来ずにいる。悔しいことにその手の技術は他所に比べて我が国は遅れているのだ。だから、自国で可能な限りの分析結果を持って、マイクロフト様が皇国へと解析を依頼しに行ったという訳だ。現品がないので難しいかもしれないという話だった。私がいる間に解析が終わったとは聞いていないので無理だった可能性もある。


「洗脳されたみたいでしたよね?」

「そうだな、俺もそう感じた」


 ここはシュバルツバルト侯爵家のタウンハウスの離れだ。婚約した私たちの為に侯爵夫妻が部屋を用意して下さった。忙しくてどうしようもない時用に文官用の宿舎にも部屋はあるが、侯爵夫妻の勧めもあり、余裕のある時はこの離れで過ごさせていただいている。私の実家であるウィンチェスター家のタウンハウスも勿論あるのだが、王宮から少し距離があるのに加えて、もう嫁に出したのだからあちらでお世話になりなさいと実の両親に突き放されてしまった。ジークフリード様はいったい私とのことをどう話したのだろう?


 リラックス効果があるというハーブティーを戴きながら、寝台に並んで座り、ぽつぽつと話をする。明日は久しぶりに二人ともお休みで、休みの日の前には必ずこうして二人で過ごしている。


 再度婚約したものの忙し過ぎて婚約式もしないまま、私が帰国してからそろそろ二ヵ月が経つ。


 婚約式は昔に一度やっているからもうしなくてもいいのではと私は言ったのだが、ロウィーナ様が納得して下さらずに困っている。でもあれから八ヵ月も経っているので今更だと思う。それよりも結婚式を考えた方がいいと思うのだが、それはそれで面倒に思えてしまう。今のままでも十分に満たされているからだろう。しかも再婚約した時に書類は体裁を整え提出しているから、実際のところ書類上は既に夫婦ではある。あるのだが。


「ねえ、結婚式をどうするか考えてくれましたか?」

「うーん、そうだな、このままだとやっぱり、……拙いよな」

「結婚してくれって言ったのは貴方ですよ、もう、やる気がないのですね」


 呆れた、と私はそっぽを向いた。そうじゃない、と後ろからぴったり寄り添うように抱き込まれ、耳朶を甘噛みしながら囁いた。


「二人だけでなら、すぐにでも」


 それだ、そうなのだ。両親や親戚たちだけでなく、王太子殿下夫妻や宰相閣下など要人たちも絡んでくるから面倒なのだ。


「これでもウエディングドレスは着たいと思っているのです。ドレスの準備が出来たら、どこかで二人きりで式を上げていただけますか?」

「……姫の仰せのままに」


 ころりと寝台に転がされ、覆い被さってきた彼の首に腕を巻き付けた。長い夜がこれから始まる。


 ――― Ende ―――


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