治薬の万能性

遭難と保護

第3話 遭難


 目が覚めると森の中だった。

 新緑の匂いが鼻腔を満たす。小鳥の囀りがあちこちで聞こえてくる。夜だった時間は、いつのまにか朝の時間帯になっていた。体は土まみれだ。手足は動く。むしろ体は軽く感じられた。頭は痛いが、外傷ではなさそうだ。ペタペタ触って体のどこにも問題が無いことがわかった。光っていた石が近くに落ちていたことは、現実に有ったことを物語っていた。これは夢ではない。実際に起こったことだ。眩しかった発光はとっくに収まり、道端に落ちている石に見える。


 着ている服が違うことに気づいた。あの時、パジャマからチノパン+ワイシャツの外行きの格好に着替えたはずだ。そうだ、石が輝きを増し、祠に近づいた後に何かあったと思う。ビルから落ちた浮遊感があった。記憶が交差した。ここはどこだろうと思ったが、いつもより思考が纏まりが悪い。混乱しているせいか? 落下するような、ジェットコースターは苦手だ。"ジェットコースターってなに?"運動も苦手。"僕も苦手だよ" そういうことはどうでもよい話だ。脳内に別の声が響くようにも感じる。


 内外の情報が多すぎて思考が混乱する。脳内の記憶も交差する。2人の感情が1つに詰め込まれたような、記憶に異変があるように感じた。脳が混乱した場面は何度かあったのを思い出した。人の死に初めて直面したとき。自損事故を起こしたとき。軽いことでは何人もの多数の薬剤を並列で確認しなければならないときだ。混乱からの収束は、お前は何度となく経験しているだろう、と自分を鼓舞する。これは想定内の出来事だ。落ち着け。まずやることは深呼吸だ。息を吸い、吐き出す。2、3回実施して心の沈静化を図る。さらに自答する。自分の取柄は何だ? 冷静に、客観的に、合理的に物事を見ることだ。昔の同僚に言われたことを思い出す。次々と生み出される、無駄な心の疑問点をバッサリと切り離し、空白な思考を取り戻す。よし、心は落ち着いた。思考はクリアになった。いつもの自分だ。これで冷静な判断が下せるだろう。


 現状把握をしよう。まずは体から。来ていたワイシャツが麻の貫頭衣に変わっている。チノパンは履いていない。頭はボサボサ。腕にはあざがあり、鉄のような手枷が落ちていた。頭には血がついているが、手で触る限り傷口は無いと感じる。その他五体は満足そうだ。四肢は問題なく動く。靴は履いておらず、裸足だ。そういえば内臓に違和感を生じる。鈍痛などの痛みは無い。視力は悪かったのでメガネをしていたことを思い出した。無くても森の中が鮮明に見渡せた。視力が回復している。腹の違和感と共に、異常なことだ。持っていた携行品は全て紛失していた。


 周りを改めて確認すると馬車らしきものが散乱している。状況を察するに、岩に激突して大破したらしい。肝心な馬は見当たらなかった。御者らしき人は死亡しているのか、"ぴくり"とも動かない。現場保存は必要だが、周りには誰もいない。呼吸音、頸動脈をチェックし、生存の有無を確認する。残念ながら生命反応は認められない。手を合わせ冥福を祈る。

 

 周囲の状況は掴めない。ここは森の中だ。さらに死亡案件に遭遇している。頭は混乱しているのか、幻聴が鳴り響く。心を一区切りとしたが、思考は侵入してくるのだ。構わず考えを巡らす。こんな時、どうするか・・・確か以前にやった。就職した時に行った、生存訓練の講習会の話だ。必要なことは生き残ること。"生存訓練ってなに?" 炎上する飛行機から脱出した後、生存するために必要な物事を決定するにはどうしたらよいかという思考訓練だった。"飛行機?" 品物を選定する必要があり、持っていっていくものを決める。その後の意思決定の方法を決めていく話だ。まさか本当になるとは。水筒、食物らしき物、手枷、髪櫛、短剣、紐、木の棒が散らばっている。ひとまず持てるだけ持っていこうと心に刻む。"*******があるよ" たびたび幻聴が聞こえてきた。頭がいつも以上に混乱しているのかもしれないと自己分析する。さらに深呼吸をしてシャットアウトする。


 もう一度、念入りに周りを確認することにした。ここは森の中だ。馬車らしきものがある。轍はあるが舗装はされていない。轍がある以上、十分な往来があると推測できる。右左の両方に道は出ているようだ。"もうどっちだがわからないね。多分左が****村だと思うけど" 荷台の形状から馬の車だとして、馬の最大速度は60km/時くらいか。昔、馬をバイトで扱った経験を思い出した。これは荷馬車だ。荷馬車で長距離を走破するには、襲歩しゅうほでの移動は当然無理だろう。"そんなに早くは無理だよ" 駈歩もしくは、速歩での移動と思われる。道は舗装されていないので、馬で移動するにはそれほどスピードは出せない。せいぜい速歩での移動だろう。荷物の運搬が主なら並足なみあしだ。昔の江戸時代の旅は十里歩いたという。一里は約4km。民家まで最大40kmくらいだろうと見積もる。この距離以上には、民家が離れていないと推測する。大人の徒歩で踏破するには、8時間くらいと目星をつけた。"*****まではそのくらいだね"


 轍があるなら、8時間で必ず民家へ移動できるのだ、と自分を安心させる。周辺を見回す。植物の感じは温帯に近い。倒木を見るに熱帯雨林のような森ではない。植物は以前のようではないのは確かだ。植生がおかしい。日陰で育つ植物が日向に育っていた。同じ形状なのに一角だけ黒っぽい草もある。"**だね"気温は寒くもなく暑くもない。"そう、**だよ" 太陽の位置は地平線と天井の真ん中の位置。通常で言うと10時頃だ。"今は**だね、" 踏破するのに8時間としてぎりぎりだ。そうなると、まずは水の確保が必須だろう。食事は二の次でよい。


 付近を散策すると幸いにも近くに小川が流れていた。落ちていた水筒にて水を掬う。瞬間、水面が鏡となり自分の顔を確認することができた。若い。それもかなり。30歳台中盤のはずだが10歳台中盤に見える。貫頭衣を脱ぎ、体を洗う。自分が14、15歳くらいだった頃の体つきだった。いやまて、自分は成長が遅かった。通常は12歳くらいの身長だったはずと記憶が蘇る。"12歳だよ" 頭は血がこびりついていたが、きれいに洗うと修復された跡があった。"岩にぶつかったとおもうけど・・・" 触っても違和感あるくらいで後遺症はなさそうだ。


 ようやく、水源を確保し一息つけた。最悪、食わずとも人里に行ける予想もついた。状況を察する。鏡のように映った自分を見て、これはではないことを悟った。黒い石にて移動?転落?転移して違う世界の十代の男子に憑依したのか・・・自分は頭が狂ったのかと思ってしまいそうだ。ちょっと待て、さっきから頭の中で聞こえてくるのは本当に気のせいなのか?


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