巻き込まれた薬師の日常

白髭

序章

第1話 訪問

「ふう、外来が終わった。今日の外来も急性の感染症が多かったな」


 ここは関東近郊の地方都市。定時での通常業務が終わった。今は運転の最中だ。 店の周りは、田園風景が続く畑道。車のヘッドライトを頼りに進んでいく。 内勤の仕事は終わったが、不足分の薬剤を配達する仕事が残っていた。


 私は小売業兼医療系接客担当、薬局の店員だ。周りからは薬剤師と呼ばれている。管理を司る役職を背負っている。今の職場は薬局だ。以前は薬の製造と研究を担う職場を経験していたが、過酷な労働環境に辟易し、現在の職種で落ち着いていた。


 転職により労働環境は確かに改善した。薬局は定時で帰れると周りから思われているくらいだ。そう思われても仕方が無いことかもしれない。たしかに今の店は定時で閉まることが多く、体の負担は減った。内情は異なることが多いから、困ったものだ。季節の変動と流行り物の病で超過勤務は多い。閉局としても、別に動くこともある。電話対応なども受け持つ、気の休まらない時間もある。即時対応することが必要となることも多い。どの職場でも種類は違えど、問題点は抱えているものだ。


 そんな内勤メインである薬局でも、外勤の仕事がある。そう、薬の配達を担っているのだ。配達と説明。この業界では訪問指導と呼ばれる。外来とは対照的に、自宅へ伺う配達と言えばわかると思う。以前は独居の年配者が多かった。最近は感染症が広がり、急性期の薬の配達が多くなっていた。


 今回の事例は付き合いのある医院からの依頼だった。独居老人に訪問する仕事となる。急性期の感染症に加えて、迅速に対応しないといけない案件だ。この事例では倫理上断ることはできない。薬の有り無しで生死に直結することもある。すべて、"はい"か"YES"の案件となる。今までは、同僚と案件を分散させ、それぞれで対応して凌いできた。管理者がすべて対応していたら、ブラックな職場環境と思われてしまうだろう。


 自動車を運転すること30分。勤務先の周辺は関東近郊とはいえ、山が近かった。周りの田園風景を抜け、果樹園が並ぶ街道を通る。進路を北へ、産業トラックが多く走る道を抜ける。次第に街灯が少なくなっていく。民家の少ない集落に到着した。ここはかつて鉱石の採掘で栄えた地域だった。戦前から高度成長期の話だ。この地域の鉱石は、建築の材料に加工され、専用の列車により都心へ運ばれていた。その当時は人通りも多く、にぎわいがあった。現在の移動手段は、鉄道からトラックへと移り変わった。物の流れも変わり、人の流れも変化する。名残の鉄道は役割を変え、学生の通学電車となっている。高度成長も止まり、徐々に町の活気も落ち着いている。ただ他の地域に比べ公共物が整い、裕福なのは間違いなかった。思いをはせながら、この地域で旧家と言われていた老人宅に到着する。


 ギギギギギ・・・と昔ながらの屋根付きのいかつい門扉を広げ、敷地へ入る。玄関は、旧字体での彫り物にて名前が彫られていた。伝達事項では、チャイムは押さなくてもよい、との申し送り書を確認している。うちの事務員さんの応対も良くなってきたと思いながら玄関を開ける。患者さんからの伝言は、ドアも呼び鈴も鳴らさずに無遠慮に開いてしまってよいとのことだ。この対応を即行動に移せるのは業界にずいぶんと染まったものだとしみじみ思う。


「ごめんください、アケル薬局です。薬を届けにきました」

「中に入ってこい、入って突き当たった扉の向こうにいる」

 と奥から声がかかった。年配の老人のガラガラとした声だ。


 玄関にある大天狗の置物の隣を抜ける。薄暗闇の中、ギシギシと音がなる板間を歩いていく。この地域の習性として、大天狗の置物を玄関に置くようだ。夜中に訪れたらホラーだ。初めて夜に訪問したときは驚愕した思い出があった。残念ながら女子社員には任せられそうにない。この地域に訪れる案件は、もれなく男子の仕事となるだろう。 


 扉をノックして中へ入る。部屋の中は鉱石や本などの雑多なもので埋め尽くされていた。部屋の端のベッドに座っている爺さんは、姿も衣服も比較的小奇麗だ。意外だ。いつもはきれいに整えているところに、病気で少し乱れてしまったのだろう。老人は、息をするのがしんどそうで呼吸が荒い。


「ご苦労なことだ。すぐに届けられるとは思わなかった。助かるぞ」

 ゴホゴホ言いながら老人。当然こちらは想定内だ。対疾患の完全装備にて応対している。

「早めに飲まないと治りが遅くなりますから。すぐに飲んでくださいよ」


 老人も流行の感染症の疑いで、専門職を呼んでいた。診察が終わり、薬局へ薬を手配するからしばらく待つようにと指示されていたようだ。個人情報はすでにファクシミリでもらっている。処方せんは後日届く。今回の配達代と薬代は政府持ちとなっていた。故に先方からの金銭譲受は無い。最近はこのようなケースが多くなった。退社後の一仕事となりつつある。今回の案件はリスクが非常に高く、対疾患用の新薬を持参していた。


「これは今罹っている****に効果がある新薬です。早めに飲めば重症化が防げるでしょう。すぐに飲むように先生から言われていますよ」

「ああ、こんな田舎まで悪いな。いつもは元気なのだが。婆さんが亡くなって、後片付けをしていたら体調が崩れてしまってな」

 いったん断りを入れてから、台所から水を汲みにいく。同居人の話があった。こういう年配の家庭は介助者達が入ることが多い。家の出入りは慣れたものなので、家族は気にしないことが多い。

「すまんな。代金も支払わず動いてくれて」

「こういう場合は国から支給されていますから、気になさらず」

「でもな、こっちもそのまま返すのも気が引ける。・・・そこの引き出しに、昔から婆さんが持っていた鉱石が出て来たから、持っていけ」


 引き出しを開けると、紫色の布に包まれた黒色の鉱石が出てきた。刻んだ線が多数ある鉱石は、数個あった。


「よくわからなかったモノだが、昔から婆さんは大切にしていたものだ。周囲に散らばっている鉱石も婆さんが集めたモノだ。たくさんあるから、そこから一つ持っていってくれ」


 配達に行くと、色々もらえるが多くなった。基本はお断りのスタンスをとる。その後のトラブルの元になりやすいからだ。それでもお伝えが来るときは純粋な好意とみている。ここでさらに断りを入れるのも、先方の気分が悪くなる。見た目にも高価な石とは感じない。鉱石は初めてだなと思う。お礼を言い、数あるうちの一つを貰うことにした。


 薬は飲んでくださいねと最後に念を押し、老人宅から離れる。一番印象に残る内容は、最後に言ったことだ。老人からわかったとの返事を聞き、こちらも満足する。

 

 今日の配達が完了した旨を依頼先に報告し、帰宅の道を急いだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る