第30話 「好きだったんだよ」
「ふ、」
黙っていたのだけれど、我慢できなくなった。
「あははははは!」
「ちょっと、笑い事じゃないでしょ」
大口を開けて笑い始めた私を、ノアが窘める。
だけれど、その声がわずかに震えていた。まるで、笑いを堪えているかのように。
「落ちてきて、誰かに当たったら危な……っふ」
もっともらしいことを言っていたノアが、ついに噴き出した。
「く、っはは、何あの速度、あんなの卑怯だって、ははは」
声を上げて笑い出したノア。
その笑顔は、私が知る記憶の中のノアよりも子どもっぽく見えて、私もまたつられて笑ってしまう。
しばらく二人で笑い転げて、やっとノアが「はー」と息をついた。
目じりに滲んだ涙をぬぐって、ちょいちょいと私に手招きをする。
彼に導かれるまま、魔法陣の前に立った。
彼が私の手をそっと包み込んで、後ろから二人羽織の要領でしゃがみこむ。
そして魔法陣に私の手を触れさせた。
「どうしたかったの?」
「え?」
「ランタン」
「え、ええと」
耳元で、ノアの声がする。
その声は今まで聞いた彼のどの声よりも優しくて、それでいて、まるで昔の彼のような幼い響きがあって――一瞬、言葉に詰まった。
どうしてか、心臓がばくばくと鼓動を刻んでいるのが頭の中に響いてきた。
こんなに至近距離で誰かと話すことは、あまりなかったかもしれない。それで緊張しているのだろうか。
「空に、浮かべたくて」
「どのくらいの高さ?」
「屋根より、上くらい?」
「分かった」
ノアが視線で、屋根との距離を測る。
魔力の出力を間違えるなんて、いつぶりだろう。
小さな頃に――それこそ今のアイシャよりももっと小さな頃にはあったかもしれないけれど、もう覚えていない。
ええと、こういう時は、魔法陣にこめすぎた魔力を、指先から吸い取るイメージで……
「それなら、もう少し出力を抑えないと」
「しゅつりょく」
「力を抜いて」
ノアが耳のすぐ横で囁いた。
これでは無理な気がする。まったく集中できない。
何とか指先に意識を向けてみるけれど、背後のノアにばかり気が行ってしまってうまくいかなかった。
どうしてだろう。前世では、こんなことはなかった。
もしかして、子どもの体だからだろうか。
集中力がないのも、心臓がうるさいのも――魔力器官が発達していない普通の子どもは、みんなこうなのだろうか。
だとしたら、前世の私は本当に、魔法の才能と言うものに恵まれていたのだなと、改めて思った。
この体では、どうしたらいいのか分からない。
ノアが小さく、「子どもには早いか」と呟いた。
瞬間、魔法陣から指先を通じて、魔力が逆流してくる。ノアが魔力の動きをサポートしはじめたのだ。
そうだ、これだ。こうすればよかった。それが感覚的に理解できた。
すっかり夜空のかなたに見えなくなっていたランタンが、肉眼で見える位置まで戻ってきた。
魔力量が安定していないからかやや揺れてはいるものの、それも星の瞬きのようで、きれいだった。
4つのランタンがゆっくりと、降りてくる。
もうすっかり夜になってしまったところで、やっと、私が最初に飛ばしたかった高さまで戻ってきた。
きらきらと揺れるその光に、気分が上向いていく。
咄嗟に立ち上がった。
「だっ」
立ち上がった拍子に、私の頭がノアの顎に直撃したらしい。ノアが悲鳴を上げたが、そんなものは気にならなかった。
衝撃はあったものの、私はまったく痛くなかったからだ。子どもというのは総じて石頭である。
庭に駆けだす。
そして空に向かって両手を広げて、夜闇に浮かぶランタンを示す。
「旦那さま! 見てください!!」
「見てるよ」
ノアが顎を摩りながら立ち上がる。
そして私の方へと歩み寄ってきて、一緒になって空を見上げた。
「きれいですね!」
「きれいだ」
私とノアの声が重なった。
思わずノアの顔を見上げると、彼もこちらに視線を向けたようで、目が合った。
「忘れてたよ」
ノアが照れ臭そうに笑う。
私が彼と再会して、笑った顔を見たのは――今日が初めてかもしれない。
そう、思った。
「先生は、魔法が好きだった」
夜空に浮かぶランタンを映して、彼の赤色の瞳が、ちらちらと輝く。
私もノアと一緒に、ランタンに目を向けた。
「いつも楽しそうで、子どもみたいで。あんなに楽しそうに生きてた大人、僕は先生以外知らない」
きらきらと光るランタンは、4つだけ。
その背景には、無数の星が瞬いている。星や月の方が明るいくらいだ。
だけれど、ノアは――ノアの目には、きっと。
あの時の風景が、見えているのだ。
私と、同じに。
「僕も、好きだった」
ノアの声が揺れている。
彼に視線を戻すと、その頬には涙が伝っていた。
この前の、飲んだくれて号泣していた時とは違う。
彼は静かに――泣いていた。
「好きだったんだよ」
ノアは体から力が抜けたように、すとんとその場に座りこんだ。
声を上げずに、それでいて子どものように泣きじゃくる彼に、私は黙って寄り添った。
こういうとき、どうすればいいのか。私には何も分からなかったからだ。
彼より長く生きていたはずなのに……魔法以外のことは、何も。
やがて魔力が尽きてランタンが地面に戻って来た頃、やっと泣き止んだ彼は、私に手を差し出した。
黙ってその手を握る。
「帰ろう」
そう言った彼に、私は頷いた。
前世でもうちょっと、まともに人間というものを研究していたら――彼に何と言ったらいいか、分かったのだろうか。
そんなことを考えながら、私は彼と連れ立って家の中へ戻った。
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