パンタレイ





 その日、地球は崩壊した。

 直径940キロメートル。質量にして9.39×10の二十乗キログラム。これは月のおよそ1.3%に相当する……そんなサイズの準惑星と衝突したのである。


 否、一人の男によって、衝突させられたのであった。


 落下地点には6000キロメートルにもなる巨大なクレーターができ、人など、もはや物の数ではなかった。


 以下に、彼が生涯で友人に語り聞かせた数々の証言を記す。


 灼熱の焔が、地球全土を覆う大きな津波のように広がり尽くすまでの束の間、考えるとしよう。

 彼が如何にして、それを願ったのかを。


「君は、生まれ変わりについて、どう考える?」

「生まれ変わりかぁ……特別なことはないよ。そもそも生まれ変わりなんてことが起きているかも定かではない。死んでみなければ分からないことを考える時間はない」

「そうだろうね。しかし、私はある。自分の死について考えることは悪くない。自分がなぜ、何のために生きているかにも直結する。それはすなわち幸せの追求でもあるだろう。自殺願望や希死念慮といったものじゃないよ。再確認のようなものさ」

「それで、どうだと言うんだい?」

「例えばグロ動画がわかりやすい」

 男は大学で出会った友人に、そのテラスで、友人宅で、あるいはクラブで呑み交わしながら、しかし常に淡々と語り聞かせた。

「グロ動画ってあるだろ? マフィアかギャングに捕まってしまい、目の前で息子が泣き叫びながら巨大なプレス機でゆっくり押し潰されるのをまざまざと見させられる父親。息子で作られたスープを嗚咽しながら飲まされる父親。アイスピックで穴ボコだらけにされる男。あー、なぜだか男ばかりだね。女性のグロってのは、アジアに多いかもね。首チョンパとか、そんなのがごろごろとある印象だが……」

「やめてくれよ。聞いてるだけで胃に穴が空きそうだ。それが君の趣味かい?」

「違うよ。私だって苦手なんだ、本当は。ホラーも、ミステリも、暴力や悲惨な話やその他諸々。痛いのとか苦しいのは嫌なんだよ。わかっているだろ?」

「そうだったな。君は今時珍しいくらい非暴力主義だ。そりゃ時には壁を脚で蹴っ飛ばしたり、煙草の吸い殻を地面に向けて叩きつけることはあるかもしれないけれど」

「しかし、考えなければならないことじゃないか? そんな動画が出回っている以上、この世には確かにそんな悲劇はあるんだ。これはフィクションの中の出来事じゃないんだ」

 男は続ける。マティーニを揺らし、紫煙を燻らせ、時にオリーブを摘みながら。

「想像したくもない無惨な結末を辿る人生がある。それに比べたら、恋に破れるだの、事業に失敗するだの、そんなのはまだまだマシな方にも思えてくる。それでも、自殺者の人生は辛いものだと思うが……とにかくそうした人たちってのは確実にいるし、このままじゃ、これからもまだまだ想像もつかない悲劇が生み出されるってわけさ」

「ふぅん……それは、そうだね。僕らが遭うことはまずないだろうってだけで」

「それだってたまたまだろ。私たちはまだマシな人生に産まれた。けど、次もそう上手くいくとは限らない。そうじゃないか?」

「……何が言いたい?」

「たまたまなんだよ。この世の全ては。私はたまたま私だったから、そんな地獄のように痛い目を見て死ぬことはないだろう。おそらく。所詮他人事だから、遠い世界の動画の中の一例ってだけで済ませられる。けど、彼らだって、望んでそんな人生に産まれたと思う?」

 男は首を振った。友人は黙った。

「彼らもまた、たまたまそういう人生だった。たったそれだけの理由なんだ。性格とか国とか、性別だとか、そんなことは瑣末な違いに過ぎない。大きな流れが確実にあって、その人はそういう運命だったんだ」

「…………」

「……私は怖くなってきたよ。この人生はまだマシだったかもしれない。でも次は? その次も上手くいったとして、そのまた次は? ……人類が続く限り、いつかは自分の番が来るかもしれない——いや、違う。いつかは、必ず、来るんだ、自分の番が。私たちは永遠にかわりばんこをさせられているんだ」

「考えすぎだ。それに生まれ変わったら、その時君の意識は別のもの、別の人のものになってる。そんなことを考えていたことすら、覚えていないで、ぜんぜん違うことに興味を持って生きているはずだろ」

「でも、生まれ変わりがあるとしたら、それはどんなに違っていようが、その時の私なんだ。その時の私が感じること。その時の私の記憶。その時の私の目。その時の私の痛み。かつてプラトンが言った、イデアというのは、こういうことなんじゃないか? クオリアを感じることのできる私たちは、それが何故か? を知らない。すなわち、花を見てなぜ美しいと思うのか? プラトンはイデアという言葉を用いて、美しいことの投影を見ているのだと言った。今の私は少し解釈が違う。私たちは、花であったときのことを思い出しているのではないか? それゆえに可憐だとか言うんだ」

「例えそうだったとしても……どうしようもないだろ。それこそ人類が絶滅でもしない限り……」

「そう……そうだ。なぜこんなに怖いのか。殴られることや蹴られることが痛そうだと直感的に思えるのは、そうされた前世の記憶が、今も脳のどこかに残っているからなんじゃないのか。死ぬのが怖いのは、そうして死んだ記憶があるからなんじゃないか。だから、私は暴力が嫌いなんだ。傷害の全てが嫌いだ。家に現れたネズミや虫でさえ、丁重に傷付けずに逃す。相手にも振るわれたくないから。傷付けられる痛みを覚えているからさ。家畜には最大限の敬意を払って頂いている」

 男は終いに言った。

「痛みを感じることのできる生物に対し、そうした思いやりを持って行動できないのならば、これ以上、私たちは続けられるべきではない。次、生まれ変わったときに思い知るからだ。今度は、自分が、屠殺される番になって。神はそれを知っている。見ているんだ。私たちが、今の人生で何をしているかを。それで……次の人生を決めているとしたら……」

「だから、どんな宗教でも神様は善行を重ねろって言うんだ。そうだろ? アーメン、ハレルヤ」

「……私は二度と、生まれ変わりたくない」

 男はしかし、友人の制止を振り切るように研究を続け、遂にこの地球に隕石を呼び寄せる装置の開発に成功した。

 そして。



 現存する遺跡から読み取れたストーリーはこんなところ。

 私たちは、自分たちが、何世代目の人間なのかを知れない。

 しかし、遺跡にある壁の絵やそこに刻まれた文字の数々、出土される遺物は、何度となくそうして人類が滅び、その度に潰えず、しぶとく復活してきた種であることを示している。

 今、私たちの目の前にある、隕石を呼び寄せる終末装置とともに。

 私たちはこの兵器の存在を隠蔽し、トップシークレットに伏せたが、いずれ掘り返すものもいるのだろうし、それは私たちの中から現れるのかもしれない。

 そうして前代の人類を滅ぼした彼のように。


 だってそうでしょ?

 誰だって、あんな死に方をしたくないと思う限り、彼の思想は否定できない。





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