正真正銘の麻薬
「大変です、博士。とんでもない妙薬が調合できてしまいました」
エヌ氏はあるとき、こう言って大慌てで研究室に入ってくるなり、博士に保存している試験薬を見せた。
「ほう。……して、これはいったい、どういった効能の薬品なのかね」
「はい。これは正真正銘の麻薬なのです」
「ダメじゃないか」
「いえ、ダメではないのです。むしろ、完璧な出来なのです。というのも、これは副作用が起こらない麻薬です。この世のどんな麻薬よりも激しい幻覚作用、どんな快楽よりも心地のよい高揚感、幸福感に見舞われますが、副作用は一切なく、それどころか飲用したものを健康にしてしまう素晴らしいものなのです」
「なんだって! 君はいったい、よくもそんなものを!」
博士は助手の話を聞くだに試験薬の入った小瓶を床に叩きつけて割ってしまった。
「ああ! なんてことを……」
「君はどんなことにこれを使うつもりかしらんが、絶対に公表してはならんぞ」
「なぜです? 例えば麻薬中毒者に使えば、副作用なく更生させられます。世紀の発見ですよ」
「そんなにうまくいくものか。いいか、私の言いつけを破ってはならん。このことは私と君だけの秘密にして、忘れるのだ」
エヌ氏はしかし、諦めてはなかった。試験薬は博士に割られてしまったが、レシピは頭の中にある。もう一度自宅で調合しなおせばいい。
「博士はああいったが、害もなく幸福になれるのに、私には何が悪いことなのか分からないな。事によると、自分の考えたことにしてしまうつもりかもしれない」
エヌ氏はそう考えて、自宅の研究室にこもると、十分な量の麻薬を製造して、近くの製薬会社ならびに医師たちを集めて売り込み、いよいよ世間に公開される時が来た。
「既存の中毒者だけでなく、一般の方々にまで手広く使用していただけるよう、すでにこちらの方々と手を組んで十分な数の製造ラインが手配してあります。皆様、これまでの麻薬は絶対に使用してはなりませんが、これは百パーセント皆様の健康に害を及ぼすようなことはなく、安全です。嫌なことを忘れ、ストレス解消などにうってつけでございます。どうぞ一度、お試しになってくださいませ」
この正真正銘の麻薬はたちまち世界中の人気商品になった。
朝に一本、昼休憩に一本、夜に帰ってきてから一本と使っても、健康状態にまるで害はなく、むしろストレス解消になって仕事も捗ると評判になったのだ。社会人のお供として愛用され、連日、製薬工場ではこのラインが動きつづけ、なお増産の一途にあった。
煙草とも違って、身体的に未熟な未成年でも使用に堪えられるものだったから、次第に親の真似をして子供たちも使うようになり、学校では先生共々、麻薬休憩の時間が設けられた。
そのうちこの麻薬は水や金と同じ価値のものとなり、数ヶ月もすると、誰もこの麻薬のご褒美なしには何もしなくなった。
食べ物よりも、水よりも、宝石よりも、やがて自分たちの命よりも、この麻薬の陶酔時間が価値を持つようになって、給料は全てこの麻薬に費やすことが当然となり、ついにはこの麻薬の取り分を巡って争いが始まり、戦争に発展した。
そうして社会が滅び、人が住めない地に成り果ててなお、人々はこの麻薬を求めた。
「でも人々はこの麻薬を使ってるときだけは幸せになれて、かつ健康体を得られたのだから、それでもいいのではないか? 程度の問題であって、私は間違ってなどいない」
エヌ氏は臨終の間際においてさえ、幸せそうにそう思った。
「手軽な幸福感こそが、麻薬の第一の危害なのだとなぜ分からなかったのだ……」
博士は残念そうに言って、それを看取るのだった。
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