ホラーショート集

@Shirohinagic

雨女





「雨女って聞いたことある?」

「え、なにそれ。そいつといると雨に降られたり、出かける日がかなりの確率で雨になるとかそういうこと?」

「違う違う。なんていうか、妖怪みたいな格好で、雨の日になるとね、いきなり道のど真ん中に現れて、ずぶ濡れでさ」

「え、ホラー? ドラマとか小説とかの話?」

「違うって。最近マジで出るんだって」

「……で? ずぶ濡れの女が立ってて」

「傘、持ってるんだって。なのに、ずぶ濡れでさ、長い黒髪で頭のてっぺんから足の爪先までびしょびしょ」

「それで?」

「で、傘、貸してくれるんだけど、受け取っちゃダメなの」

「……なんで?」

「受け取るとね、その後相合傘みたいになるでしょ。それで気づくと、人気のないところに連れ込まれてて……」

「……え、ちょっと久々に怖いわ。テレビ?」

「だから、そういうのじゃなく、出るんだって。最近、いきなり雨降ってくるとか多いじゃん? そういうときに、傘を持ってない人の前に現れては、そうやって引きずり込もうとしてくるんだって——」

 最近、巷で流行りのそんな奇妙な噂話がある。その男も聞いたことがあって、電車内で若い女の子たちの話すそのやりとりを何気なく聞いてしまっていた。

(聞くだに馬鹿らしい話だ。そんな人間が徘徊していて、噂にもなっていて、なぜ警察の御用になっていないんだ? おかしいじゃないか)

 しかし、男はそんなことを思い、すぐに頭から振り払って最寄りに着くまで眠りこけた。

 駅から自宅までは普通に歩いて十五分程度。途中に比較的大きな公園があって、晴れているとランニングしている人たちの姿が見られるが、その日はあいにくの雨だった。

 どんよりと雲が重く立ち込め、雨音に遮られて人の声は遠く、そもそも人気がなかった。

 その公園の中ほどに砂場とジャングルジムがあるのだが、ふと男が通りがかった時、そこに一羽のカラスが見えて、気になった。

 カラスが賢いというのは周知の事実。雨露を凌げるとして、人の建造物を利用しているのか、と想像するといやに親近感が湧いてしまった。

 それで男はジャングルジムに寄ると、その入り口に自前のジャンプ傘を置いてやることにしたのだ。ついでにポケットに忍ばせておいた菓子の類も濡れていない箇所に広げてやった。

 カラスは男をじっと見つめるだけで何ら攻撃的なことはしてこなかった。男は少し気恥ずかしくなりながら、人目を避けるようにそそくさと帰路に戻った。

 それからしばらく経った頃。その日は朝の天気予報では晴れが続くと言っていたのに、帰りはふいの雨になった。

 男が仕方なく鞄を傘がわりにしながら、家路を辿って、公園の中ほどまで来たときだった。

 いるのだ。

 ずぶ濡れの長い髪の女が、その道の真ん中に突っ立っている。

 傘を持っている。

 男はそれを目にした一瞬で怖気だってしまい、決して目を合わせまいと何でもない道はずれの生垣を眺めながら、足早にその女の隣を過ぎようとしたその時、女の声が言った。

「あの、傘、持っていないんですか」

 失礼だけれども、ヒルが泥の中でうごめくようなぞわぞわとした喋り声で、男は一層背筋を凍らせながら、無視した。

 けれど、女の声は追いかけてくる。

 追いかけてきているのだ。雨音で足音はよく聞こえないが、なぜか男を追いかけてきている。

「あの、これ、使いませんか?」

「いい、いい! 大丈夫だ! 私は平気だから、放っておいてくれ」

「そうですか……」

「いや、しかし、ちょっと待て」

 男は気付いた。その女の持っている傘は、自分のものだ。先日、あのジャングルジムでカラスに差してやったものだ。

 まさか、童話でもあるまいし、とは思いながらも、やはり得体の知れない親近感が芽生えてしまう。

 ずぶ濡れで陰気に見えるだけで、女はよく見ればかなり美人のように見えた。髪は伸び切っていてぼさぼさだけれど、雨で濡れているため、艶やかにも見える。

「まさか。雨女の正体は……」

「あ、やっと気付いてくれたんですね。そうです。この傘の持ち主を探していたんです。ぜひお返ししたくて」

「本当に、そうなのか? でも、まさか、何か証明できるか?」

「何がいいでしょう? そうですね。これはどうでしょうか?」

 言うと女は一枚の黒い羽根を取り出してみせた。

「なんてことだ。で、君は恩返しをしにきたと? 本当にそういうつもりなのかね?」

「はい、はい。その通りです。あの時のお礼になんでもします」

「そういうことなら、喜んでうけたい」

 気付いてみれば、今は雨でびしょびしょでも家に帰って乾かしてもらえばそれでいいのだ。男は帰宅後のことを想像すると、他の些細なことは気にならなくなって、その女と相合傘のようにして帰路についた。

 そう、例えば、羽根の先にちらっと見えた血のようなものは何かとか、そんな些細なことは気にしないで。

「さ、いきましょうか」

 女はまだ食べかすの残る口元をにたっと微笑ませて、男に続いたが、男がそれに気付くことはなかった。



「捕まったね、雨女。最後の犠牲者はサラリーマンのおっさんだって」

「ね? だから、言ったでしょ。マジで出るんだって」

「でも最初、あんな風に言われたらさ。最後は普通に不審者の情報なんだもん」

「それでついたあだ名が雨女ってネットの笑い話ね」

「それ先に言ってよ。怪談の類かと思うじゃん」

「ホームレスで空腹のあまり、何でも捕まえて食べてたらしいよ。カラスとか。傘、持ってんのにずぶ濡れなのは、雨で返り血を洗ってたからなんだってさ」






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