第2話 忌むべきもの

 ロクスター王国に暮らすアーギュスト家は十三年前まで、ごく普通の子爵家だった。


 長女ティア、次女アルネスに次いで生まれた三女のミリエラは、特に不自由をすることなく暮らし、普通の本好きな少女だった。

 六歳までは。


 その日は嵐――

 暮らしぶりは平和だったとは言え当時はまだ隣国との諍いが落ち着いておらず、父ジョイルは魔術騎士隊を連れ遠征することが多く、その日も家を空けていた。

 そんな時、五歳年上の長女ティアが、邸内で行方不明になったのだ。


 奔放で快活だったティアが周囲を振り回すことはこれまでもよくあることで、しかし彼女の太陽のような明るさの前には皆困り顔こそすれ、どこか楽しげに付き合っていた。

 ミリエラも、そんなティアが大好きだった。大きくなったら彼女のような明るくて素敵で、みんなに元気を分け与えてあげられるような存在になりたいと強く憧れていた。


 今日の行方不明もちょっとしたイタズラだろうと、すぐ帰ってくるだろうと、誰もが思っていた――

 しかし、その日は違った。その日だけは、違った。


 鳴り止まぬ雷鳴は幼いミリエラの心を貫くように響き続ける。

 ふらっと出て行ったきり、姉妹三人の部屋になかなか戻ってこないティアを心配して一人探しに行ったミリエラは――暗い廊下で大きな血溜まりを見つけた。


 等身大ほどもあるそのあかが血だと、なぜ一目でわかったのか。

 なぜそれが、ティアのものだと解ったのか。


 わからない。


 雷鳴を予言する稲光が閃き、嗤うように血溜まりを映す。

 その刹那、その血溜まりの上に、血の涙を流し困ったように笑いながらこちらを振り向く、ティアの幻を見た。

 幻の口が震え、言葉が紡がれる。


「……ごめんね」

「いやあぁあああああぁあああぁっ」


 悲鳴に応えるように響く雷鳴。崩れ落ちるミリエラ。

 後にアルネスに言わせれば、その時のミリエラは不安と恐怖で錯乱していただけだと言う。

 だが、ミリエラはその時、血溜まりを通してはっきりと視た。った。


 ティアはもう、帰ってこないのだと言うこと。

 このままでは、父ジョイルの率いる魔術騎士隊は全滅すると言うこと。

 そして――


――


「ミリエラ! ミリエラ!? しっかりしなさい! 顔を上げて!」


 顔を塞ぎ地にへたり込むミリエラの耳に聞き馴染んだ声が響く。アルネスの声だ。いつまで俯いていたのだろう。

 顔を上げる。すると目の前にあったはずの血溜まりはなく、代わりに、禍々しいほどに漆黒の、込み枝のようなものだけが落ちていた。


「全く。心配させて――」


 言いかけて、アルネスの瞳が驚愕と畏怖に染まり、そのまま反射的に距離を取る。

 理由は簡単だった。

 ミリエラの瞳の色が、王国で忌むべき色とされる翡翠色に変わっており、煌々と輝いていたからだ。

 その色は、呪いの色。

 そしてミリエラが視たものは、したことは・・・・・、既に滅び、今では忌むべきものとされる《魔法》そのものだった。




 それから、ミリエラの生活は一変した。

 彼女の翡翠色の瞳を見た母メネスは恐慌し、ティアが消えた原因をミリエラのせいにした。

 彼女は忌み子だと。悪魔の皮を被り、自分たちを欺いていたのだと。


 しかしメネスも、ジョイルも、アルネスも、彼女を殺すには至らなかった。

 怖かったのだ。殺せば、何か報復があるかもしれない。と。

 そこで、今はもう使っていない唯一の地下書庫にミリエラを幽閉した。


 その後一年が経ち、隣国との諍いも治まり、アーギュスト家も安全を取り戻した。

 だがミリエラの不幸はここから更に酷くなった。

 なぜか一年を契機に家族やメイドはミリエラを恐れなくなり、逆に日常の鬱憤を晴らすための装置として扱うようになったのだ。

 食事も一日一食が最大になり、ミリエラはその辛さに何度も死を考えた。


 そんな彼女を、古書の物語たちが救ってくれた。

 新たな知識に触れる瞬間だけが、彼女を辛い現実から遠ざけてくれたのだ。


 十八になった今も、その生活は変わらない。



 そして、

 あれから、

 ティアは帰ってこなかった。




―――




「遅い」

「……申し訳、ございません」


 母メネスの声音は、およそ娘に掛けるものではない。

 薄汚れた奴隷を咎めるようなそれに、ミリエラはただ謝罪の言葉を述べる。


 部屋の奥で座るジョイルの目からは、感情を伺えない。


「本当に汚らしい子。ここまで来させるのも嫌だったのに。穢らわしい」


 呼ばれたのだから行くしかないだろう、などと言えるわけもなく、ミリエラは変わらず俯いている。

 確かに、ミリエラの身なりはこの部屋にいる誰よりも貧相だった。メイドの身なりの方が余程整っている。


「申し訳ございません……」


 謝る以外に選択肢がなかった。発言権はなく、しかし黙っていればそれはそれで許されない。


「この魔女。そうやって人間様に媚を売ろうとしたって無駄よ」


 何度聞いたかわからない、魔女と言う単語。仮にも自分の娘なのにどうして、と最初こそ思っていたが、今となっては何かの感情を起こすことすら難しい。


「まぁまぁお母様。今日でコレともお別れなんですから。今くらいは見逃してあげて」

「ふふ。そうね。ようやくこれで家の中が綺麗になるってものよ」


 そう言って二人は蔑んだ目でミリエラを見る。

 いよいよ売られるか、捨てられるか、殺されるか……。

 きっと、どの選択肢でも似たようなものだろう。


 ミリエラは心の中で天を仰いだ。


「……お父様。ご用件は何でしょうか」


 視線がジョイルに集中する。

 静寂。


「用は一つだ」


 平坦な声。そして机の上の書類を指差して言った。


「ミリエラ。お前には男爵家に嫁いでもらう」

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