婚約破棄され天涯孤独になった令嬢ですが、無口な冷血騎士さまに溺愛されてしまいました…
マツダ
第一部 力の覚醒
第1話 幽閉生活
秋も深まり、その肌寒さが増してきた頃。
アーギュスト子爵邸の隅にある地下書庫――
「今日は日が暮れるのが早そうです」
手に取るのも
そこはさながら牢獄か、奈落だった。
二階から地下一階までを貫いて作られたそこには、古書の棚のみがある。
明かりは一階の位置に付けられた格子状の窓からしか差さない。
地に座り、その牢獄の主のように振る舞う少女は、おおよそ子爵家の令嬢とは思えない姿だった。
伸び放題で汚れた金髪、骨ばんだ四肢に薄すぎる体躯、くすんだ青白い肌……。
奴隷だと言われても誰も疑わないだろう。
それが彼女、ミリエラ・アーギュストだった。
見るに堪えないミリエラだが、明るい表情で古書を読む姿は無垢な子供のよう。
「こんな本が禁書だなんて、もったいないですね」
弾んだ声音と共にページを捲られた今日の本の名は『はじめてのまほう』。寓話の短編集だ。
落丁どころかいつバラバラになってもおかしくない古さだが、もはや慣れきった手付きで読み進める。
彼女が幽閉されているのは禁書庫。本オタクであった父ジョイルが捨てるに捨てられなかった禁書の山が、彼女の楽園である。
例えばまほう――魔法と言えば、とうの昔に滅んだ技術だ。おとぎ話の中の悪魔や魔女しか使わず、魔法にまつわる本は十三年前にいよいよ全てが禁書になった。
「この悪魔さんの使う魔法は切ないですけど、私は好きだなあ」
禁書化した理由は彼女にはわからないが、読む限りでは物語の中で忌み嫌われている悪魔は優しい人だと感じた。
だって、誰かを思って流した涙を媒体にしないと使えないなんて……寂しいけど、ちょっと素敵じゃないですか。
(でも、私には縁遠いですね……)
苦笑いをしようとしたが、うまく作れなかった。
自分をこの地下倉庫に閉じ込めた家族の――おぞましいものを見るようなあの目を思い出したら、胸がきゅうと締め付けられてしまったからだ。
頭から追い出そうとページを捲る。捲る。捲る。
だんだんと思考が置き換わってきて、物語に再び没入していく。
迫害された悪魔が王子に退治される前に魔法を使い、国中に呪いを掛けたシーンだ。
誰からも忌み嫌われ続けてきた悪魔には少しだけ共感してしまう。
次の展開が気になってページを捲ろうとしたその時。
ガタ、と唯一の出入り口が重く軋んで開き、廊下の明かりと共に現れた少女が冷淡な声で言った。
「相変わらず薄気味悪い顔ね、ミリエラ」
ページに記された文字が記号になり、頭に入ってこなくなる。
同時に、これまでの表情も消えた。
「……アルネス、お姉様」
「私を名前で呼ばないで。呪われるわ」
カビ臭い部屋の空気を少しでも吸わないように、姉のアルネスが口元を隠す。
しかし、その姿はやつれきったミリエラとは比較にならないほど美しい。
整った顔立ちは美麗と言うほかなく、その碧眼は宝石かと思うほどだ。
ミリエラと同じ長い金髪は、行き届いた手入れにより上品な美しさを湛えている。
纏っている上等なドレスも細部にまで装飾が施されており、廃棄品を着ているだけのミリエラとは比較にすらならない。
同じ親から生まれた姉妹のはずなのに、なぜこうも差があるのかとミリエラは改めて思う。
「フン、相変わらず汚らしい」
「あっ」
ずかずかと近寄ってきたアルネスは、そのままミリエラの手にある古書を蹴り飛ばす。煙のように舞う埃。アルネスはそこへ突っ込ませるように、次はミリエラを蹴り飛ばした。
「私を埃まみれにするつもり? 何様なのアンタ」
「も、申し訳ございません……」
ミリエラはこの家に一切の居場所がない。忌むべき色とされる翡翠色の眼に変化してしまったあの日から、彼女はヒトとして扱われなくなった。
埃の絨毯のような床に横たわる彼女は、常にされるがままで、抵抗する素振りも見せない。かつて自らが行ってしまった事に対する引け目もあるのだが、気力自体が湧かなくなってしまっているのだ。
「何か……ご用でしょうか?」
一瞥をくれる。
アルネスが日の出ているうちにこの地下書庫に来ることなど、滅多にない。来るとすれば夜、メイドを連れて日々の憂さ晴らしに、だ。
「その悪魔の眼で見るなっていつも言ってるでしょ。いい加減にしろ」
そう言って今度はミリエラの顔を躊躇なく蹴飛ばす。口内に僅かに血の味が滲む。
今日、初めて空気以外のものが舌に触れた。
その事実に、ミリエラは虚しさを覚える。
彼女の感情を知ってか知らずか、アルネスは嘲笑するような口ぶりで言う。
「お父様が呼んでいるわ。部屋に来いってね。何してるの? 早く立ちなさい」
(今になって、なぜ……)
父に会える喜びなどなく、激しい不安だけがミリエラを襲った。
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