#53 一大事、覚悟を決める順
翌日、文化祭本番の朝、順は普段よりもかなり早めに学校へと向かった。
メイン展示会場である部室のセッティングはすでに一通り完了しているが、機材を立ち上げてゲームのプログラムを起動したりと、やるべき作業は色々ある。
しかし、彼が急ぎ足で学校へとやってきたのは、それだけが理由ではなかった。昨日の西郷の様子が、どうも気になっていたからである。
校門を入ってグラウンドから見上げると、部室の蛍光灯はすでに点いている様子だ。早くも、誰か部員が来ているらしかった。
いいね、みんななかなかやる気じゃないか、と思いつつ校舎に入り、階段を上り始めたところで、上の階のどこかで扉が閉まる音が聞こえた。続いて、誰かが廊下を走る音。
なんだよ、朝から騒々しい奴がいるなと顔をしかめた順だったが、何となくそのドタバタした足音には聞き覚えがあるような気がした。それも、つい昨日の夜とかに。
三階の部室、その扉の前に立った彼の脳裏には、黒雲のような嫌な予感が立ち込めていた。
ついさっきまで点いていたはずの蛍光灯は消えていて、扉には鍵がかかっていた。
つまり、直前までここにいた誰かは、すでに立ち去ったということになる。こんなに朝早い時間なのに。
鍵を開けて、ゆっくりと扉を開いて、順は半分目を閉じたまま電気のスイッチに手を伸ばした。どうか、おかしなものを発見することのないように、とひそかに祈りながら。
明るくなった部室の中、思い切って目を見開いて、異変がないかを確認する。ぱっと見、昨日ここを出た時と、何も変わりはないようだった。幸い、大きな事件は起きていないようだ。
ただ、CX7の設置されテーブルの上に、見慣れぬ便箋が一枚残されていた。
近づいて、そこに書かれた文字を見て、順は深い深いため息をつく。
「思うところがあり、旅に出てきます。どうか、今日のところは探さないでください。文化祭のほうはみなさんにお任せします」
それは、西郷の書いたものに間違いなかった。何が「今日のところは」だ。旅とか言ってるが、どう見ても大した遠出ではない。せいぜい、区間快速で隣県に出る程度だろう。
「おはようございます、太川部長」
背後から、一関くんの爽やかな声がした。彼はゆっくりと振り返る。自分でも、表情が死んでいるのが分かっていた。
「そうですか、あの後そんなことが……」
一関くんは、困惑したような表情になった。
「では、副部長は失恋のショックのあまり、失踪してしまったわけですね」
「だと思う」
憮然たる顔で、順はうなずいた。「ひどいよ朱美さん」とか泣き声を上げていたのだから、ほぼ間違いない。あんなざまでは振られても仕方ない気がするが。
「しかし、この手紙の感じでは、副部長は今日の文化祭に参加するつもりはなさそうです。部室のほうはとにかく、ライブをどうしたものでしょうか」
そう、問題はそこだった。何と言っても、奴はメイン・ボーカルなのである。
順番に部室に姿を現した実紅ちゃんと直子さん、そして里佳子先生の三人に、順はそれぞれ事情を説明した。
「おやおやまあまあ、青春ねえ。じゃなくて、困ったわね、それは」
半笑いの顔で、先生は言った。いや、笑い事じゃないのだが。
「よっぽどあの人のことが好きだったんですね、副部長……」
同情している様子の実紅ちゃんは、なかなか優しい。しかしこの際、一緒に西郷に怒って欲しい所ではあった。
「こうなってはもはや、僕が歌うしかないのでは……」
そう言いかけた一関くんに、
「それはだめ」
と直子さんは瞬時にNGを出した。無慈悲な全否定に、一関くんは情けない顔になる。
「この際、君が歌うしかないよ、太川君。部長として、盟友の不始末は君がカバーしないと」
直子さんのその言葉は、彼が一番聞きたくなかったものだった。しかしその場の一同は、そりゃもっともだ、とばかりにみんな強くうなずいている。
「西郷君と一緒に練習してたし、歌詞とかメロディーは分かるよね?」
「分かるかわからないかと言えば、分かりますが……」
「十分ね。じゃあ、頑張りましょう」
そう言い切って、直子先輩はうなずいた。
「その代わり、わたしも今日の本番、一緒に演奏するわ。コーラスもね」
「本当ですか!」
実紅ちゃんの顔が、ぱっと明るくなる。そういうことなら、むしろ副部長の失踪はラッキーなくらいだった。
「昨日、リハーサルやっておいて良かったね」
にっこりと微笑む直子先輩。
順としても、もはや後には退けないと、覚悟を決めるしかなかった。葵ちゃんも見に来るのだ。何としてでも、ライブは成功させなければならなかった。
(#54「脳内物質ゲージMAX」に続く)
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