#52 二つの青春

 部室を後にして、みんなで校舎を出た。陽も沈み、辺りはすっかり暗くなっていて、グラウンドを照らす水銀灯だけが彼らを照らす。

 その、緑色がかった光の真下に立つ人影に、急に西郷副部長が立ち止まった。

「朱美さん!」

「……こんばんは、哲夫くん」

 そこに佇んでいたのは、例の西郷の彼女、名門女子高に通う朱美さんだった。順がその顔を見たのは、あの花火大会の日以来ということになる。

 相変わらずの美しさだったが、しかしその表情はひどく暗く、水銀灯の下に立つ姿は、大変に失礼ながら亡霊のようにも見えた。

「こんなところで合うなんて、奇遇ですね」

 とか西郷は嬉し気におかしなことを言っているが、そんな奇遇などあるはずがない。間違いなく、こいつに用事があってわざわざ待っていたのだ。

 普通に考えて、どうにも嫌な予感がするシチュエーションではあったが、まあ順たちには関係のないことだ。


「それじゃ、明日よろしく頼むぞ」

「おう、また明日な」

 と挨拶を交わし、西郷と彼女をその場に残して、一行は立ち去ることにする。

「ねえ、あの人が西郷君の彼女?」

 興味津々という様子で、里佳子先生が小声で順に訊ねる。

「ええ、そうですね。最近いろいろややこしそうですけど」

「女学院の制服でしたね、あの方は」

 感心したように、一関くんが小声で言った。名門女子高のブランド力は、この地方では絶大である。

「やっぱりかわいいよねえ、女学院のセーラーは。ま、わたしが着ても似合わなかったと思うけど」

 ははは、と先生は楽し気に笑う。キャラ的にはともなく、見た目だけなら十分似合いそうだが。

「いいなあ、女学院」

 素直に憧れの遠い目になっている実紅ちゃんの隣で、直子さんはなぜか険しい顔つきをしている。名門女子高を巡る女の子たちの感情というのは、なかなか複雑なものらしい。


「……じゃあ明日、また見に来るね」

 そう言い残して、直子さんの自転車は走り去った。ヘッドライトの発電機の音が、グラウンドの向こうへと遠ざかっていく。これから、あの田んぼを超えた向こうにある家まで帰るのだから大変で、ここまでして助けてくれるというのは本当にありがたいことだった。

 先生は愛車のカローラ・レビンAE85が置いてある駐車場へと去り、実紅ちゃんと一関くんは帰る方向が違うから、校門前で手を振ってお別れとなる。


 順が一人で通りを歩き始めようとしたその時、背後で誰かの駆け寄る足音がした。

「あの、太川君」

 瞬時に、彼は振り返る。息を弾ませながらそこに立っていたのは、制服の上にカーディガンを着た、アオイちゃんだった。もちろん、パソコンから出てきたわけではない。クラスメイトの、リアル河瀬葵ちゃんのほうだ。


「こ……こ、こんばんは。河瀬さん」

 動揺しつつも、順は態勢を立て直した。こうして直接二人きりで会話をするのは、あの「思い出の木」以来のことだった。あれ以来、数々のまずい行動を見られてきたような気がするのだが、なぜ突然に話しかけてくれたのだろう。

「浜辺先生に聞いたんだけど……明日、体育館でライブするんだよね? 太川君たち」

 ナイスすぎ、里佳子先生! 心の中で、順は先生にお礼を叫んだ。そう、先生は葵ちゃんの所属している水泳部の顧問でもある。こうして自然に情報が伝わることは、十分にあり得ることだった。

「うん、そうなんだ。僕も一応、ボーカルで」

 西郷の横でほんのわずかに歌うだけ、とは言わなかった。

「すごいね。わたしも……見に行っていい?」


 オープンな体育館でやるんだから、いいも何もないのだが、そういうことではない。

 周囲の薄暗い街灯が、全部100万ボルトに昇圧パワーアップパワーアップしたかのように、彼には世界が輝いて見えた。

「もちろん、ぜひ来てよ! ……あ、もし時間があったらでいいから」

 あまり調子に乗ってはまずいかも、と最後はトーンダウン気味に自制する。

「うん、じゃあ、また明日ね」

 葵ちゃんは微笑むと、軽く手を振って通りを去って行った。

 これだ、これこそ部活だ青春だ、と順はその場でそいやそいやと踊り出した。もちろん、葵ちゃんが通りの角を曲がって行ったのは確認済みだったが。


 ようやく気持ちを落ち着かせて、通りを歩き出した彼の背後から、今度は激しい靴音が聴こえてきた。それも、二人分。

 なんだ一体、とまたしても足を止めて振り返った彼の目に入ってきたのは、泣きながら走って来る朱美さんと、その後を追いかけてくる西郷の姿だった。

「ひどいよ! そんなのあんまりだよ!」

 と叫ぶ声は朱美さんではなく、西郷のほうである。こちらも半泣きのようだ。

 とっさに電柱の陰に隠れた順には気づかなかった様子で、二人はドタドタとそばを駆け抜けて行った。


 額の汗をぬぐい、再び街灯の光の下に出てきた彼の心を、非常に嫌な予感がよぎった。

 2人のあの様子は、ただ事ではない。明日のライブに悪影響が出なければいいのだが……。

 しかし、そんな願いも空しく、彼の不吉な予感は見事に的中することになってしまうのだった。


(#53「一大事、覚悟を決める順」に続く)

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