#41 西郷副部長、ヒーローになる
せっかくの高校二年の夏休み、こうして部室に閉じこもってプールの女子をちらちら見ているだけでは悲しい。自分たちも、どこかに泳ぎにでも行きたいところだ。しかし、夏をまともにエンジョイするとなると、やはり資金も必要だ。
そんな時、お世話になった「セントレオ・ハンバーガー」の店長から、ちょうどまたバイトの声がかかった。春休みにも頼まれていたのだが、パソコン部立ち上げなどで忙しくて、断ってしまっていたのだ。西郷に至っては、律義に柔道部まで掛け持ちしていたのだから、さらにバイトというのはとても無理だった。
だが、パソコン部も軌道に乗り始めた今なら、時間には割と余裕がある。文化祭の準備も、大変なのは大役を任された1年生2人であって、見守る順たちはまあ楽だ。
灼熱の日中に、遮る屋根のない駅前広場でビラ配りというのではきついが、夕方から入ってくれれば構わない、と店長は言ってくれた。そういうわけで、順と西郷は再びバイトに入ることにした。
前回同様、緑町駅の駅前ロータリーで、チーズインバーガーの割引クーポン付きの宣伝ビラを配る。陽が落ちて、空がオレンジから濃いブルーに変わり始めても、足元のコンクリートからの熱気はまだまだきつかったが、炎天下よりはもちろんましだ。
列車を降りて、ほっとした様子で家路へ向かおうとしている、気の緩んだ人々めがけて、二人はタイミングよくビラを差し出し、受け取らせる。そのうちの何人かは、まるで吸い寄せられるように、ニチイデパートの一階にあるハンバーガーショップのほうへと向かって行くのだった。好調な売り上げに店長は大満足してくれて、順たちのやる気も上がる。時給も前回よりアップしていた。
そして間もなく、真夏の山場とでも呼ぶべき日がやって来た。緑町のシンボルでもあるお城の公園で、夏祭りが開催されるのだ。
花火も上がるということで、近隣の町からも臨時列車に乗って見物客がやってくる。祭りへと向かう人の波が、駅前をぞろぞろと通り過ぎて行くことになるわけだ。このチャンスを逃す手はない。当日は店員も増員されて、全力でハンバーガーやドリンクを売りまくることになる。
「人が多すぎて危険そうなら、ビラは無理しなくていいから」
と店長は言ってくれたが、順と西郷は上手に人の流れを読みながら、的確にビラを打ち込んで行った。今は店に近づける状況ではないが、帰り道にでも立ち寄ってもらえればそれで良い。時間差の撒き餌攻撃だ。
ドン! と夜の空気を震わせた衝撃に、その流れゆく人波がふいに足を止めた。頭上に広がったピンク色のきらめきが、たった一瞬だけ辺りを照らす。いよいよ、花火の打ち上げが始まったのだ。
順たちも、ビラを配る手を思わず止めて、夜空を彩る無数の光点のシャワーを見上げた。
傍らでは、浴衣カップルの男女が「うわあ、きれい!」とか何とか声を上げている。
こんな日に、バイトに励んでいる自分たちと来たら。いや、空しくなどない。お金を稼ぎつつ、こうして美しい花火まで見られるのだから、お得なのだ。そうなのだ。
順がそうして、自分に嘘をついてうなずいていると、中信電気の前にあるバスターミナルの辺りで女性の悲鳴が上がった。
「やめてください! 離して!」
大変だ、と彼は思った。金魚柄の浴衣姿の美しい女性が、むやみに襟の高い学ランを着た、リーゼントヘヤーのヤンキー二人にからまれている。残念ながら、自力で助けるのは無理すぎると思われるが、すぐに警察を呼ばなければ。
しかし、周囲を見回しても、警備の警官の姿は見当たらなかった。他の見物客も、彼と同じく恐々と様子を見守っているだけだ。使えない連中だ、と自分を見事に棚上げにして、順は腹を立てる。
「いいじゃねえか、俺たちにもその金魚をすくわせてくれや」
周囲の無関心、という現代の病理をいいことに、さらに調子に乗って女性の体に手を伸ばそうとするリーゼントたち。
まさに大ピンチの場面。ところが、そこに一人の男が立ちはだかった。
「お前のその汚い手を放せ、今すぐにだ」
その姿を、順が見間違えるはずがなかった。まるで世紀末ヒーローのようなセリフをリーゼントどもに叩きつけたのは、我らが西郷副部長だったのだ。
「なんだ、てめえは!」
「汚いとか、ふざけてんじゃねえぞ」
当然、不良どもは色めき立つ。しかし、と順は思った。西郷なら、きっとやってくれるはずだ。何せあいつは柔道の有段者だ。何段なのかまでは知らないのだが。
「悪いが、ふざけていない。真剣に、お前らは
西郷は、冷静にそう言い切った。その四角い顔が、劇画調に見える。
「真剣じゃ、もっとまずいんだよ!」
そう叫んで、リーゼントの一人が西郷につかみかかろうとした。その瞬間。
目にも止まらぬ早業で学ランの腕を取った西郷は、そのままその体を背中でかつぐように持ち上げて、後方に投げ飛ばした。得意の背負い投げが決まったのだ。
ドーンという花火の轟音の下、七色の光に染められたアスファルトに転がったリーゼントAは、きゅう、と目を回して気を失った。
おお、と順は目を見張った。西郷のやつ、マジでこんなに強かったのだ。さすがは掛け持ちながら、ちゃんと柔道部の稽古にも出ているだけのことはある。
「お前も、かかって来い。アスファルトの味を教えてやろう」
落ち着き払った西郷の様子に、リーゼントBは顔色を変えて浴衣の女性を突き飛ばした。地面に倒れそうになる彼女を、西郷は慌てて抱きとめる。その隙に、リーゼントBは人込みをかき分けて逃げて行った。
「大丈夫ですか」
「……はい、ありがとうございます」
何だかいい感じで、西郷副部長とその腕の中の美女は見つめ合う。それはそうだろう、彼女にとって西郷はまさにヒーローそのものなのだから。
良かった、と胸をなでおろすとともに、順は西郷を心底うらやましく思っていた。自分も何か武道を習っておけば、あんな風に美女を抱きしめることができたのかも知れなかったのに。
ストイックな鍛錬に励む、武道者のみなさんが聞いたら怒り出しそうなことを考えながら、彼は複雑な気持ちで、花火の輝きに照らされる二人の姿を見ていた。
(#42「待望のシーズン・イン・ザ・サン」に続く)
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