#15「mkⅡ」、輝ける瞬間

「だめだろ、そんなのは」

 西郷は顔をしかめた。

「こういうの、『一期一会』って言うんだぞ。出会いを逃さず、すぐに買うべきだ」

「そうは言っても金がないんだよ。知ってるだろ?」

「いや、試しに頼んでみよう」

 西郷はそう言って、そばを歩いていた店員をつかまえた。そして、

「手付金を打つから、このパソコンをキープしておいてくれないか。残金は用意でき次第払うから」

 と頼んでみたが、「うちはそういうのやってないんで……」と胡散臭いものを見るような目で断られてしまった。


「しょうがないな、ならばここは借りてでも金を作るしかないな」

「おいおいおい、冗談じゃないぞ。借金なんか背負う気ないからな」

 金融業者の社員が言ったことを、彼は思い出す。お金に抜け道はないのだ。

「そういうところで借りるわけじゃない。うちの店長に頼んで、バイトの給料を前借りさせてもらおう」

 西郷はとんでもないことを言い出した。

「昨日から働き始めたばっかりなんだぞ。無理だろ、そんなの」

「いや、あの店長は話が分かる。それに、いい手があるんだ。とにかく、急ごう」


 二人は電気店を出て、すぐ隣にある「セントレオ・ハンバーガー」に向かった。

「おっ、今日もよろしくな。たくさんお客を呼んできてくれよ」

 上機嫌で出迎えてくれた店長に、

「あの、店長。実はお願いがあって」

 と西郷は話を切り出した。

 太川こいつの給料を二万円ほど前借りさせてほしい。その金で、こいつはどうしても欲しい売り切れ寸前のパソコンを買う。そして、前借りした給料の分だけ働くまでは、そのパソコンを借金のかたとして店に預ける。もしも太川が逃げたら、パソコンを売り飛ばしてもらって良い。西郷が考えたのは、そういうスキームだった。


「よくもそんなこと考えるなあ」

 店長は目を丸くした。

「そこまでして、パソコンが欲しいんだね。若い人はいいなあ、向上心があって。いいとも、前借りということでお給料を払ってあげよう。パソコンは預けてくれなくていいから、ぜひ頑張って技術を勉強してくれ」

 予想外の好意的な返事に、今度は順が驚いた。まだ遠くに見えていた「mkⅡ」が、明日にでも手元にやって来るということになったのだ。


 こうなると、仕事のほうも頑張らざるを得ない。昨日以上に張り切って、彼はたくさんの通行人にハンバーガーのビラを配った。

 仕事を終えて事務所に戻ると、店長が前借り分の給料を封筒に入れて渡してくれた。

「ありがとうございます!」

 拝むようにお金を受け取った順に、

「その代わり、明日からもバイトよろしく頼むよ」

 と店長はにこやかに言った。

「大丈夫です。こいつが逃げ出したりしたら、俺が地の果てまで追いますから」

 西郷が力強くいい加減なことを言う。

「いやー、追っかけてる時間もったいないからさ。そうなったら代わりに二人分働いてよ、西郷君が」

「うへえ、勘弁してくださいよ、店長。何枚ビラ配ればいいんですか、俺」

「だから逃げません、逃げませんから」

 妙な盛り上がりを見せる二人に、順としてはそう言って苦笑いするしかなかった。


 翌日の土曜日の午後、順はまたまた中信電気へとやってきた。しかし、今回ばかりはただの偵察ではない。今や彼の手の中には、購入資金三万五千円があるのだ。

 パソコン売り場には、ちゃんと「PC‐6001mkⅡ」の姿があった。彼はその前に立ち、大きく深呼吸してから店員を呼び止める。そして「mkⅡ」を指さし、満を持して宣言した。

「これを、ください!」

 銀色のシャープなボディーが、ふいに輝きを増したようだった。店員の表情も明るくなる。店内のクリスマス・ソングが高鳴る。


 それはついに彼が、自分のパソコンを手に入れることになった記念すべき瞬間だった。

 そして店側にとってもそれは、パソコン売り場の片隅で長らく売れ残っていた旧式のパソコンがついに売れた、ありがたい瞬間なのだった。

 白いカモメが描かれた青い箱に持ち手を付けてもらい、彼は意気揚々と店を出た。「NEC」の赤い文字が誇らしい。

 クリスマス商戦ににぎわう駅前。重い荷物をぶら下げての家までの道のりも、今の彼には少しも苦にならなかった。


(#16「部室のメリークリスマス」に続く)

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