#1-2 撃ち抜かれた心
「なんか用事っすか?」
死人の目をして、順は真っ暗な声を出す。用事がないんなら消えろお前、というピュアな気持ちが込められていた。
「ははは、すさんでるねえ。僕みたいに、部活に打ち込めば楽しい青春を過ごせるぞ」
「高校も図書部ですか?」
諦めの心境で、彼はそう訊ねた。この先輩はどうしても空気が読めないらしい。
順自身は図書部の延長で文芸部に入りはしたが、創作に打ち込むのが当然、という雰囲気にどうもなじめず、幽霊部員になってしまっていた。先輩の部活の自慢話を聞きたい気分では全くない。
「いや、『パソコン部』だ、今の僕は」
山岡は、眼鏡の銀縁フレームをくいっと上げた。レンズが夕陽に光って、なんだか得意げに見える。
「パソコン部? 難しそうなことやってるんですね」
南高校にはそんな先進的な部活があるのか、と順は意外に思った。
パソコンというのが一部で人気になっているのは彼も知っていた。しかし、ファミコンで「グラディウス」や「ドラゴンクエスト」などのメジャータイトルを遊ぶ程度の彼にとって、それは縁のない世界の話だった。高価でマニアックな機械、というイメージしかない。時代は8bitパソコン全盛期がようやく終わろうかというところで、一般家庭への普及など、まだまだほど遠い話だ。
「そんなに難しくないよ。ま、技術は必要だけど、自分でゲームとか作れるしね。面白いよ」
「技術は必要」とかわざわざ言うあたりが、やはり得意げに見える。それにしても、中学では文系ど真ん中の図書部だったこの先輩が、パソコンとは。そんな技術、どうやってマスターできたんだろう。
「パソコンのプログラミング、っていうのは別に理系じゃなくてもできるからね。何を表現するかっていうセンスが大事になることもあるのさ」
そう言って先輩は、バッグの中から一枚の紙を取り出した。
「そうそう、今度の文化祭でうちの部も展示やるんだ。ゲームやり放題で楽しいからさ、遊びに来てよ」
手渡されたのは、A4サイズのチラシだった。「パソコン部・一日ゲームセンター」という文字が入ったその宣伝チラシを見て、順は目をみはった。
そこには人気アニメに出てきそうな美少女のイラストが、黒と赤青緑の四色のボールペンで描かれていた。明らかに手書きではない、機械的な曲線で表現された水着姿。ストレートの長い髪が美しい。そして彼をまっすぐに見つめる大きな瞳に、彼は吸い寄せられていた。
「これって……」
しばらく息を止めて見つめた後、ようやく順は顔を上げた。
「オリジナルキャラなんだぜ、これ」
山岡先輩は得意げだが、元ネタは翌年アニメ化される漫画のヒロインで、実はパクリすれすれだ。だが順はその連載を読んでいなかった。
「パソコンで書いたんですか、これ? 印刷も?」
「ああ、もちろん。僕がプログラムを書いたんだ」
パソコンなら、こんなものが作れるのだ。彼は改めて、イラストの彼女を見つめた。ファミコンでも、面をクリアすると主人公の女の子がピースサインしてくれるようなゲームはあったが、あんな小さな絵とは迫力が違う。
「ちゃんと画面で本物を見ると、もっと綺麗なんだけどさ。このプロッタプリンタだと、四色しか出ないからしょぼくてね」
いきなり出てきた専門用語の意味は彼には分らなかったが、これがしょぼいとはとても思えなかった。
「プロッタプリンタ」というのは、ボールペンが紙の上を動き回って絵を描くという、ある意味すごいハイテクな機械だった。1986年のこの当時、カラーで印刷ができるプリンターというのは珍しかったのである。実際にイラストを印刷するとなると、山岡先輩が言う通りスキルも必要だった。
「その、これ、もらってもいいんですか?」
美少女を食い入るように見つめながら、順は訊ねた。
「いいけどさ、じゃあ展示も見に来てくれよな」
「はい、行きます!」
彼は、大変良い返事をした。
じゃな、と敬礼のような仕草をして、山岡先輩は脇道を去って行った。
もらったチラシを何度もチラチラ見ながら、順は家路を急いだ。本当は部屋の壁に飾りたいところだったが、家族に見つかると恥ずかしい。クリアファイルに入れて裏返しに引き出しにしまっておくことにした。
失恋で空白になった彼の胸は、その美少女の瞳に見事に撃ち抜かれていたのだった。
(#2「北高校と南高校、二つの文化祭」に続く)
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