第2話 あの世かと思えば



「……い。おい」



 都波となみ砂羽さわは死んだ。自身の父親から災いを鎮めるための生贄へと、古井戸に突き落としたことで。


 だから、天国とかなどには行けないだろうと思っていたのに、誰かに肩を揺すられて声をかけられた。もうあの世に堕とされたのかとまぶたを開けたのだが、目の前に鮮やかな紅葉色が見えた。


 男は父親以外だと、使用人しか知らない。家庭教師らは皆女性だったから。だけど、その誰でもない声にあの世の使いなのかと思った。迎えが来たのだと覚悟を決めて、目をしっかり開けると、紅葉色の中に青い空が見えたのだ。



「……だ、れ……?」



 紅葉色の髪に、青い色の瞳。


 目の前にいたのは、異色を持つ男だった。単純な容姿ではなく、彫り物のように深い顔立ちの、褐色肌の美しい男性。着ている服は見たことはないが、剥き出しの腕などの筋肉の美しさにも見惚れそうになる。


 日本人にはない色合いから、依頼者で稀に異国の客人もいたのでその部類かもしれないけれど。でも私は、あの父親から古井戸に落とされて、厄災の生贄にされたはずなのに。



「誰? お前こそ誰だ?」



 そしてその男性は、少し苛立った口調で私に問いかけてきた。会話らしい会話を誰かとするのは、実はこれが初めてだと気づいたので、慌てて私は身体を起こして姿勢を正した。少し痛む箇所があったが今は気にしてはいけない。



「……仰る通りです。私は、都波砂羽と言うものです」

「……人間か?」

「え、はい?」



 あなたも人間では、と続けようとしたところ、彼はいきなり距離を詰めて、私と鼻がぶつかりそうな位置で止まった。



「……ああ、この匂いは人間だな?」



 それだけ言うと、また元の位置に戻って納得されたかのように腕組みをした。その絵になるような姿勢を見つつも、私はあの親以外に触れられたことへの驚きが身体を支配していた。会話もだが、こんなにも近い接し方など『癒しの巫女様』の場合ほとんどなかった。


 あの仕事では、少し距離があれば重傷であれ傷は癒せることが出来たのだけど。ここに来る前の、あの靄のせいで力はすべて消え失せてしまったが、それは今関係はない。


 能力のない人間もだが、この場所では異質な存在なのに変わりがなさそうだから。それと今更ではあるが、この場所は古井戸の底ではなく、どこかの草むらなのか辺り一面緑に覆われていた。



「……不躾ですが、あなた様は?」



 どうせ、この場所があの世でもどこでも私の居場所が無い事に変わりない。だけど、この男性については、心から知りたいと初めて思ったのだ。美しくも、意思の強い青い瞳の持ち主であるこの方のことが、何故か知りたいと。


 薄弱な意思しかなかったはずの私自身驚いているが、きっと死んだ事で意識の在り方が変わったのだろう。そう思っていると。



「俺か? 十二神将の一員。騰蛇とうだと呼ばれている奴だ。簡単にいえば、位の低い神だ」

「……か、み?」

「勘違いすんなよ? お前は死んでない。ここは神の住まう異空間の中だ。里の中になんで人間がいる?」

「わ……たしは、父に……審神者さにわになれと言われ」

「……荒神への生贄か? 神職らしい人身御供だな」

「……はい。それで、家の古井戸に落とされて」

「……阿呆だな、その父親とやらは」



 審神者の意味を少し教えていただけたが、騰蛇様と言うその御方はまた私の前に詰め寄り、今度は私の身体をひょいと抱き上げた。



「え? 何を?」

「審神者にさせられたんだろ? んじゃ、俺とかが好きにしていい理由づけになる。それに、お前には面倒なしゅがかかってんな」

「どう、いう?」

「事情説明とかは、ひとまず後だ。とりあえずお前…………腹減ってないか?」

「……お腹……?」



 騰蛇様にそう言われた途端、これまでにないくらい身体の中から『きゅるるるる』と大きな音がしたのだった。

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