第9話


 カシワとリュウは、鉄道等の製鉄部品を作る工場団地を歩いていた。内戦時、此処は武器を作るための工場として国が管理していた。今は、限られた機械しか動いていない。此処で製造していたものの大部分は、糸で創られるようになっていた。

 カシワは無表情で工場の様子を眺めていた。編み人ではないリュウには、カシワの心境を推し量る事は出来なかった。


「あの日、お前もあの戦場に居たのなら、兵士達がどれだけの殺意を持って銃を構えていたか覚えているだろう。当時俺達は新米だったが、奴等を殺したい気持ちは同じだった筈だ」


「そうだな。彼等は善良な国民を犠牲にし過ぎた。おまけに俺は、左腕を奪われた。死を覚悟したし、そういう意味では既に殺意など失っていたが、彼等に恨みはあったさ」


「それがどうだ。俺が上官の傷口を塞いでいる間に、あの影が現れた。俺が戦場を見渡した時には、既に誰もが武器を捨てて、物陰に隠れていた市民は手を取り合って抱き合って、歓喜の涙を流していた」


「ああ。俺も、腕の事なんか忘れて、争いが終わった事に涙したよ」


「あの時、“踊る少女の影”を見た全ての人間と、その話を伝え聞いた者達は皆、あの影がまるで平和の神が遣わした天使であったかのように語る。だが俺には、あの場にいた人間達が呪われたようにしか見えなかった」


 兵士が銃を手放すには理由が必要だ。勝利を手にした時。降伏する時。休戦などという言葉はあの内戦には無かったから、先の二択以外に、武器を捨てる選択肢は無い筈だった。銃弾が飛び交い、地雷が爆発し、四方八方に血と肉片が飛び散っている惨状で、影を見たという理由で人が殺し合いを止めるなどあり得ない。


 カシワは、軍の訓練校を首席で卒業した男だった。成績はもとより、規律を重んじる正義感の強い男だったと、訓練校の同期だったリュウは記憶している。軍人ですら目を覆いたくなるような惨状が長年続いた内戦で、心境の変化があってもおかしくはない。だがそれは、国賊を許す事でもなく、己の命を諦めたわけでもなく、影を見たというそれだけの理由で、片腕になっても人を殺し続けた男が銃を手放したのだ。


 糸の世界がどのようなものなのか、リュウには分からない。それは内戦時の兵士や国民達も同じだった。糸で世界を創れる事を理屈で知っていても、それを信用し夢を見る者は限られていた。

 糸を編んでも、創れないものはある。世界を構成する如何なるものを編めたとしても、人の心だけは編めない。だから、如何に理想的な世界を創ったとしても、そこに生きる人の心が変わらないのであれば、結局そこは地獄と同じである。

 

 人々が“踊る少女の影”を信仰する理由はそこにある。あの影は、どこまでも澄んだ人の心だったからだ。あの時代、あの場所で誰もが持ち得なかった愛という心を、あの影は踊ってみせた。糸では編めない筈のその心を、ヨミは編んだのだ。


「影を見なかった俺には、理解出来なかったよ。でも、あの場に居たお前達の心を動かしたというのは、ある意味で事実だと思う。あの影を見た人間は、あの影に⋯⋯ヨミに心を掌握されたんじゃないか」

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