第7話 慰霊、それはなぐさめる霊
…いささか情けなくはあるが、どうにか外には出られた。
私は弟&「いも
本当は参謀くんにひとことかけて行きたかったけど、
また風呂場に戻ってしまうのは避けたい。
完全な移動霊になるまでは、なるべく離れておこう。
平日の町は、わりと静かだった。
いつもは会社に行っている時間だ。
この体になって、つまり死んでからまだ2日しか経っていない。
それなのに、世界はなんだか知らないものに見えた。
なんだか作られた映像をみているようだった。
まるで仮想空間にいるような。
例の古いビルに差し掛かり、弟は交差点で立ち止まる。
すると背後でニャア、という声が再び聞こえたのだ。
私は反射的に振り返ってしまう。
そこには、あのおばあさんが立っていた。
私が殺された日の買い物帰り、
「ちょっと、あなた。家に帰ってはダメよ」
そう忠告してくれた、あのおばあさん。
私は参謀くんの言葉を思い出す。
……本当だ。おばあさんがいるのは鏡の中だ。
その前には誰も立っていないというのに。
思わずぞっとする。間違いない、あの人は人間じゃない。
でも、なんだか幽霊とも違う気がした。
たまに通る人は、見えてないのか誰も気づいていない。
私は生前も見えたし、声も聞こえたのだ。
ってことは、私も霊感あったのか?
いや……今までそんな体験一度も……
「せっかく教えてあげたのに。やっぱりダメかねえ」
おぼあさんの声が聞こえる。
ちょっと申し訳なさそうな、諦めたような声。
何といって良いかわからず固まっている私に、
おばあさんは少し強い調子で言った。
「早くお行き。早く、ここを離れなさい」
見れば、弟は信号を渡り始めている。
前は”帰るな”だったのに、今度は”さっさ”と行けってか。
でも経験上、この人の忠告は聞いたほうが良いと知ってる。
私は急いで交差点を渡っていった。すべるように。
弟に追いつき、地下鉄に入る前。
振り返ると、交差点の端になにやら黒い塊がみえた。
あれはなんだ?
モヤモヤとうごめく黒い塊。
なんだかものすごく嫌な感じがする。
私は訝しみながらも、そのまま、
弟とともに改札へと移動していったのだ。
**********
堅実な弟らしく、あらかじめスマホで調べていたようで
迷うことなく警察署の施設に到着した。
善良な私は警察なんて免許の書き換えでしか来ないから、
ここにこのような施設や部署があることすら知らなかったのだ。
自宅で亡くなった場合、死因がすぐに特定できない場合は
ここに遺体が持ち込まれ、検視をすることになる。
私はドキドキしながらついていった。
しかし最初から最後まで、全て淡々とした手続きだった。
要件を告げると相手は弟を一瞥し、
紋切り型の口上を述べた後、
事務的にどこどこへ行ってください、
これにご記入ください、と言い、処理を進める。
まあ、いちいち感情移入なんてしてられないか。
安置室に通され、遺体を確認した時も、
弟は呆然と全体を眺めているだけだった。
泣き出すことも顔をゆがめることもなかった。
警察の人が私の顔にかかった布を取るなり、
「それではご確認……」
「姉です」
やや食い気味にと答えたのだ。はやっ!
そして今後の説明を受けに、外へと出て行った。
私はついていこうと思ったけど、
なんとなく自分の体から離れがたくなり、
この場に残ってしまった。
向き合う
体に触れようとするが、やはりスッとすり抜けてしまう。
無理やり体の中に入ろうとしても、
ぼんやりと身体を覆うのみで一体化することなく
もちろん動かすことはできなかった。
これで魂を戻すことができれば、
奇跡の復活を遂げるのにね。
弟がまたここに戻ってきたとき、
「おはよう! あーよく寝た!」
って起き上がったら、さすがにあの冷静な弟も驚くだろうな。
でも、そんなことは絶対に、起こらないのだ。
もう私には、何もできない。
ああもう。本当に。私が生きてた意味ってなんなのかな。
成仏などではなく、自分が薄く、
消え去っていくような虚しさを感じる。
*********
落ち込んでいると、警察署の人と一緒に弟が戻ってきた。
相変わらず表情に変化はない。
あ、しまった! 警察の見解を聞くチャンスだったのに。
”後頭部に鈍器で殴られた形跡があり、
殺人の疑いが強まっています”とか言われなかった?
何か言うんだ、弟よ。
「……絶対に警察が捕まえてくれるからな」
とかさ。そしたら順調に捜査が進んでるってわかるのに。
しかし弟はそんなことは言わなかった。
「ホントに眠ってるみたいだな」
出てきたのは、いろんなドラマや映画、漫画で言われる台詞だった。
突然のお別れは、みんなそう思うのかもしれない。
でもね、私はここにいます。眠ってなんかいません。
その時、弟をここに案内してくれた警察署の人が話しかけてきた。
「お姉さんと仲良かったんですね」
いやいや、何でそう思う?!
「…仲が良いのとは違うと思います」
だよねー。私もうなずく。
しかし警察署の人はかすかに笑って言った。
「手の甲ですよね?」
え? ん? …あ!
「…はい。すぐに手の甲を見て、姉だと分かりました。」
私の手の甲には、目立たないが特徴的な古い傷がある。
子どもの頃、隠れてしょうもないイタズラを
弟と二人でしていて付けた傷だ。
思ったより血が出たのでビックリしていたら、
弟がそれを見て、いつもは小声でぼそぼそとしか喋らないのに
「うわあああん! おねえちゃんが死んじゃうー!」
と大声で泣き叫んだのに2度ビックリしたのだ。
そしてその声により両親に悪事が露見し、
怒られながらも病院に運ばれる次第となったのだけど。
覚えてたのか。気にしてたのか。
「お姉さん、もうしばらくはこちらにいらっしゃるから…
いろいろお辛いとは思いますが、お任せください」
「…ありがとうございます」
私は思った。淡々としたやり取りもまた、優しさなのだ。
今後、本当にいろいろなことに追われる遺族に対し、
いちいち丁寧だったり感情的な態度で接することは
負担にしかならないのかもしれない。
そして心の中では、家族を突然亡くした人の深い悲しみに共感し
気遣ったり、少しでも力になるよう、自分の仕事をこなすのだろう。
ああ!私も。誰かのために役に立ちたかったなあ。
何かを世界に残したかった。
***************
弟はその後、取っていたホテルに戻っていった。
私もなんとなく付いてきてしまう。
晴れて自由の身になった今となっては、
参謀くんのところに戻り、
次なる作戦を相談したいところではあったのだけど。
弟は荷物を置き、両親に電話をかけた。
その電話で、私の悲報を耳にしたお母さんが倒れてしまい、
まだちゃんとこちらに向かえる状態にならないため、
さらにお父さんも体調を崩し、すぐに来られないのだと知った。
そうか。それで働き始めて数年の弟が、
両親の代わりに動き回っているのだ。
「……うん。……うん。わかった。
すぐには結果出ないみたいだから。
無理しないでいいよ。……うん。じゃ」
そう言って、弟は電話を切った。
弟は電話を終え、ベッドにドサッと座り込む。
そして深いため息をついて
頭を下げ、長い長い間、動かずにいた。
私に現実が重たくのしかかる。
死とは、なんて絶対的に全てを奪うのだろう。
日常を一変させ、元に戻らないのだ。
彼はそのうち肩を震わせ始めた。
私は弟の名を呼ぶ。でも、彼には聞こえない。
横に座って、その肩を抱こうとする。
でも腕がすり抜け、彼はまったく気づかない。
「ごめんね」
そういうのが精いっぱいだった。
弟の震えが大きくなる。
「ごめんね。ほんと、ごめん」
私は聞こえないと分かっていても繰り返す。
そして、私が大声で泣く弟を見たのは、
この手の甲に傷がついた、あの日以来だった。
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