第5話 三顧のレイを尽くす

 先輩霊が消えた後、私は考え込んだ。


 地縛霊から浮遊……移動霊に昇格できるというのは朗報だ。

 その条件をハッキリするためには、

 先輩霊さんが言う通り、試行錯誤と努力が必要なのかもしれない。


 それにしても、会話ができるって嬉しいことなんだな。

 気持ちが落ち着くし、新たなる発見があるし。

 生きてる人と話せたら、本当にいろいろ便利だろうな。


 霊感のある人なら伝えてくれるだろう。

 彼が犯人であること、

 私がすっごく怒っていること

 自首すれば罰を軽くしてやっても良い、などなど。


 ここを出たら、手当たり次第に探してみよう。


 そう思って気が付く。

 よくある怪談はそれなのかも、

 霊の存在に気が付かないふりをしようと無視してるのに

「……見えてるんでしょ?」

 とか耳元で囁かれる、って話。

 こっちは必死なんだよ! 無視すんな、

 って思ってたんだろうな、その霊は。

 ……立場変われば見方も変わりますね。


 そこで、ふと思い出したのだ。

 そういや下の階の学生さんが気になることを言っていたではないか。

「まさかあれが……シソウだとは思わなかった」

 えっ!? と思ったと同時に、警察がわらわらと到着したのだ。

 彼は足早に去っていき、検視が始まってしまったのだけど。


 彼が買い物帰りの私をビックリ顔で見ていたのは、

 鼻歌の選曲が昭和歌謡だったから、じゃなかったのか。

 きっと私に、何か良からぬものが見えたのだろう。


 うん、これは将来有望な学生ではないか!

 ここを出たら、さっそくスカウトしよう!


 しかし、せっかちな私は我慢ができなかった。

 下の様子くらい見られないかな?

 いや、音くらい聴けないかな?


 私が床に耳をつけると、あれ? 

 そのままズズズと沈み込んでいく。

 そういや先輩霊さんは、壁をすり抜けていたなあ。

 このまま行けるとこまで行ってみるか!


 床を20センチくらい進むと、

 私はスポッと下の階に頭を出すことができた。


「 一階の天井と二階の床との間って、こんなもんなんだ」

 そりゃ足音も響くでしょう。


 私は逆さになったまま、辺りを見渡す。

 さすがにこの時間は学校に行ってるよな……

 そう思ったら、奥の扉が開いて学生が顔を出した。

「……なんか、寒気がするな……」

 そう言ってキョロキョロした後、ふとこちらを見て。

「!!!!!!!!」

 彼はものすごく驚いた顔をした後、ドアをバタン! と閉めた。

 お?! やっぱ見えてる?


 私は思い切って、床を突き抜ける。

 するっと通り抜けた後、

 さかさまの景色は落ち着かないのでくるりと頭を上にする。


 私は下の部屋へと移動できたのだ!

 試しに玄関へと向かうが、上を同じく外には出られなかった。

 でも奥の部屋には行けそうだ。


 そういや昔、

 ”泊まったホテルの天井から顔を出す幽霊を見た。

 翌日、上の階で人が亡くなっていたと知った”

 ……なんて心霊体験談を聞いたことがある。

 霊界のルール的には、上下くらいだったら同室扱いなのかな。


 私は彼のいる部屋に入ると、彼はパソコンの前にいた。

 おお、間取りはうちと一緒だ。

 でもなんか、寒々しい部屋。そして気が付く。

 この人、もしかすると学生さんではないのかもしれない。

 だって何着かスーツがかかってるし、

 本棚にビジネス書もたくさんある。


 彼は一心不乱にパソコンを見ている。

 画面をのぞくと。

 ”除霊の仕方 簡単 材料いらず”

 で検索しているではないか。

 なにこの、料理が苦手な人の検索タグみたいなのは。


 失敗、失敗。怖がらせてしまった。

 さかさまに女の顔が出てたら驚くよね、やっぱ。

 第一印象は最悪だったらしい。


「ねえ、見えてるでしょ?」

 うっかり、定番の台詞を言ってしまう。

 これだと怖さが倍増するだけだ。

 彼はビクッと身体を震わせて硬直し、ボソッとつぶやく。

「……いっけねー、洗濯機回してなかった」

「こら見えてないふりすんな! 大丈夫だからさ!」

「……なんか眠いなあ、寝ようかな」

 声が震えている。どんなに話しかけてもダメそうだ。

 私はいったん、自宅の風呂場に戻る。というか引き戻された。

 でも、せっかく見つけた霊感のある人を逃すわけにはいかない。


 もう一度私が行くと、彼はまだパソコンを見ていた。

 なるべく明るい調子で言う。

「さっきはごめんね~、驚かして」

 彼は再び体を固くする。返事はなかった。

「頼みたいことがあるんだ、お願い」

 それでも何も言わない。


 私は霊力と電力が、漢字だけでなく性質も似ていることを思い出す。

 そして彼が開きっぱなしにしているパソコンとシンクロしてみる。


 ふふふ、無視するなら、悪霊ワルになってやるぜ?

 カーソルが勝手に動き……

「話を聞かないと、適当にフォルダ開いちゃうぞ~」

 私はデスクトップにある、

 ”永久保存”という名前のフォルダにカーソルを合わせる。

 うわ、怪しい~ どんなエロ画像が隠されているやら。

「ちょっと!」

 彼がそう叫んでマウスをつかむ。

 私は思わずクリックしてしまう。


 すると中身は……大量の猫の画像だった。

 あ、可愛い。

 横から画面を見ようと顔を寄せると、

 彼は弾かれたようにガタン! と立ち上がり、

 ベッドへと潜り込んでしまった。そして。

 ぶつぶつとお経らしきものを唱え始めたのだ。


 それを聞いても私には何も起こらなかったけど、

 かなりショックだった。

 すごく怖いんだね。……そうだよね。


 私は自分の風呂場に戻り、腕を組んで考える。

 彼を怖がらせるのは可哀そうだ。

 かといって諦めるわけにはいかない。


 そして、私は意を決した。捨て身の作戦だ。

 彼から恐怖を取り去るには、これしかないだろう。


 三度みたび、彼の部屋に向かう。

 彼はまだベッドにいた。

 私は彼に向かって、なんて言葉をかけるか悩む。

 何を言ってもまた、布団に頭から潜ってしまうだろう。

 その時。


 にゃあ。にゃあ。にゃあ。


 古いビルの前で聞いたような、あの猫の鳴き声がしたのだ。

 それも、すごく近くで。


 彼はガバッと飛び起きてこちらを見た。

 今だ! 今しかない!


「世にも珍しい湯上がり幽霊です!」

 そういってバスローブのマンボウを両手で指し示す。

「バスローブなのにマンボウ!

 しかもマラカス持ってダンシング!」

 彼はそれを見て吹き出す。いいぞ。


 私は後ろ向きになり、背中のNEW YORKを見せる。

「そして背中にはダジャレのロゴと温泉マーク! ダサさの極み!」

 彼は、なにその服……といって笑っている。


 私は前を向き直り、両手を合わせて彼にわびた。

「驚かせてごめん。危害を加えるつもりは絶対にないから。

 ちょっとだけ、話を聞いて欲しいんだ、お願い」


 彼はそろそろとベッドから抜け出し、

 私の前に立ち。マンボウを軽く指差し笑った。

「こんな服、反則じゃないすか」


 やっと、私に答えてくれたのだ。


 *****************


「学生さん?」

「……違います。社会人デビューに失敗したんです」

 聞けば、入社半年で退職してしまったらしい。

 そっか、いろいろあるよね。

「就活って、その名の通り就職するための活動だもんね。

 一発で良い企業や、自分に向いてる職種を見抜けってほうが

 絶対無理でしょって話だよ」

「でもそれを、たいていの人はちゃんとこなしてますよね」

 彼の反論に、私は首をかしげる。

「うーん、大人になると、

 諦めるのと自分を誤魔化すのが上手になるからなあ。

 ここは違うと分かっていても働いてる人は大勢いるでしょ」

「それでも、辞めないだけ立派なのでは?」

「そうかもしれないけど、ケースバイケースでしょ。

 ”損切りはお早めに”、だよ」

 損失が出てしまっている銘柄の損切りは急いだ方が良い、

 という相場の考え方だ。


 黙り込む彼に、私は続ける。

「 投資初心者は損切りが遅すぎるっていうしね。

 ……てか、私は大失敗した悪い見本だけど」

 彼はそれを聞き、ちょっと驚いた顔をする。

「会社、ブラックだったんですか?」

「いやいや、会社も仕事も良かったよ。

 でもさ、恋愛初心者の私は、

 最悪のブラック彼氏だってうすうす気づいていながら

 なんとなく無理して、誤魔化して、挙句の果て……」


 私は彼に、全てのいきさつを話した。

 彼と交際し、結婚を申し込まれ、婚約したこと。

 好きだった仕事も彼の希望で退職すること。

 しかし浮気され、責められて責めて、そして殺されたこと。


 真相を知りショックを受けている彼に、

 私は親指でおのれを指して自嘲した。

「可愛い可愛いって言われて、このザマよ」

「全然笑えませんよ」


 彼は考え込む。

「僕がいきなり警察に訴えても聞いてもらえないでしょうね。

 でも証拠は充分だし、ほっといても捕まりますよ」

「でもさー、報復したいのが人間の、つか幽霊のサガじゃん?」

「まあ、気持ちは分かりますけど」

「犯人は現場に戻るっていうし、そのうち来るかもしれないけど

 いかんせん、ここから出られないのはキツイんだよ」


 私は先輩霊が移動霊になれた経緯を話す。

 青年は眉を寄せながら聞いていたあと、つぶやいた。

「すごいなあ、きっと営業のプロだったんだろうなあ。

 僕はそんなに熱心にはなれないよ」


 そして彼はブツブツと分析しはじめた。

「つまりだ。死んだ場所以上に執着できるような何かを見つけて、

 それに付くことができれば、

 呪縛からも逃れられ、移動出来るってことかな」

「確かに! そうかも! 試してみたいな!」

 私は執着できるものって何だろう。

 やっぱ可愛さ余って憎さ100倍の、元・婚約者だろうか。

 

「僕が捨てアド使って、その元・婚約者にメール出しますよ。

 ”あの場所に証拠を残したままだぞ”とか」

「おお! いいね」

「あなたはお風呂場の窓からでも、外を見て

 何か惹かれるものがないか探してみてはどうですか?

 お風呂場の窓って、交差点が見えますよね。

 たくさん人が通るし」

「そうだね! 芸能人とか通るかも!」

「芸能人ですか。好きな人の写真をプリントアウトするので

 それを玄関から出してみましょうか。

 うまく執着すれば、一緒に出られるかも」

「……それなら二次元でも、良いかな?」

 彼は笑って、頷いた。そしてさらに続ける。

「後は、あなたのご家族や友人がお花とか持ってきたら

 その時がかなりのチャンスになりますね」


 私はすっかり感心してしまった。

「次から次へとすごいね! 頭いい!」

 すると彼はすごく嫌な顔をした。

 怒りというよりも、痛みに耐えるような表情だった。


 そして絞り出すような声でいう。

「……こんなの、たいしたことない」

 謙遜ではなかった。本当にそう思っているようだった。

 きっと、誰かに言われたのだろう。

 お前の知性などたいしたことない、と。


 私は食い下がった。

 そんなことを彼に言った、傲慢で失礼な奴に負けてたまるか。

「いや、少なくとも私よりかは上。だってそんなに浮かばないもん。

 めちゃ助かったわ。ねえ、私の助っ人になってよ」

 彼は首を横に振る。

「何もできませんよ。無理です。

 正直言うと、僕もここから出られないんです」

「……どういうこと?」


 彼は目を逸らし、自分の状況を語り出した。

 退職後、人間関係が怖くて家族にすら会いたくなくて

 独り暮らしのまま引きこもっていること。

 買い物はなるべくネットスーパーで済ませ、

 ほとんど外出などしていないこと。


 だから除霊の検索内容の中に、材料いらずがあったのだ。

 遠くには買いに行けないから。


 私は努めて明るく言う。

「私の相談役になってくれればいいんだよ。

 いろいろ意見やアイディアを出してほしいんだ。

 要は私のブレーンというか、参謀というか」

 参謀、その言葉に彼の表情は少し柔らかくなる。

 私は本棚にある三国志を見逃さなかったのだ。

 そして。小さな声で返事が聞こえる。

「……それくらいなら、まあ」


 良かった。彼の今後を考えても、

 誰かと話すのは状況の改善につながるかもしれない。

 たとえそれが、マンボウ柄のバスローブを着た

 落ち着きのない幽霊でも。


 私は話を変えてみた。

「霊感があるって、大変だったでしょ」

「今日が一番大変ですよ」

「……申し訳ない。でもさ、便利なこともあった?

 なんか予知できた、とか」

「ありませんよ、それは霊感というより超能力でしょ」


 そういう分類なのか。私は思わずつぶやく。

「じゃあ古いビルのおばあさんは霊能者じゃなくて超能力者か」

「え? あの角の、交差点前の古いビルですか?」

「そそそ。あそこの窓に座っていたんだよ。

 んで私に”今日は帰ってはダメ”って予言したんだよ。

 すごくない?」

 彼は眉をしかめて俯く。あの交差点か……とつぶやいて。


「どうしたの?」

「……その人は霊能者でも超能力者でもありません」

「そうなの? あの古いビルの、大きな窓の前に立ってたよ。

 街角の占い師的な……」

「それはあり得ません」

「なんでよ!」

「あそこにあるのは窓じゃありませんよ、大きな鏡です。

 そしてその前はドライエリアでガラス張りになってます」

 私はぞっとした。じゃあ、私が見たあれは!


「幽霊えええ!?」

「自分もな!」

 私たちは同時に絶叫したのだ。

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