幽恋状

ソブリテン

本編

『幽恋状』

ソブリテン



十月三十一日


 ふわりふわりと舞う。向かい風に逆らって、心に運ばれ、舞い、たなびく。あの子が居る気がした方へ。尽きた命で、あの子のおもかげを追い続ける。だって私は、ラブレターだから。



親愛なる友達

シキへ


 こんな手紙を貰っても嬉しくはないと思います。むしろ、不快にさせてしまうかもしれない。そうわかっていても、どうしても書かずにはいられませんでした。本当にごめんなさい。



九月下旬


 昨日の夜、人生で初めてラブレターを書いた。……ラブレターというより、ほとんどポエムみたいな感じになってしまったけど。渡すつもりも、読ませるつもりもないのに。やたら綺麗な便箋に、いつもより整った字で書かれたその手紙は。たぶん今も、机の上で眠りこけている。思い出すと頭がきゅっとなる。でも、それ以上に。落ち葉を踏む両足の裏の感覚が。並ぶ屋台と、漏れる数々の光と声が。人の波の流れに流れるふたつの影が。右隣に感じ続けている、シキの足音と左手の熱が。私の心臓をくらくらさせて止まない。シナモンよりは、もっと辛い感じ。

「人混み……凄い……。」

 私の袖をつまむシキの声が、鼓膜の振動が愛おしい。秒針を壊して、この世界を静止画にしてしまいたい。そう思えるほどに。

「はぐれないように、ねっ!」

 打ち上がる花火が、憎かった。


 誰も時間を止めることはできない。片付けられていく屋台。それぞれの帰るべき場所へと向かう人の群れ。ひとつ、ふたつ、みっつ。またひとつ消えていく街灯。シキとふたりきりの秋祭りも、帰り道と一緒に溶けていく。

「楽しかった……ね?」

 言い、シキの顔を覗き込む。これじゃ、同意を求めてるみたいだ。そんなつもりはない……わけでもないか。

「……うん。楽しかった。」

 夜の静けさをくすぐるような声で、そっと呟き頷くシキ。私が無理矢理言わせたようなものだから、ほんとは喜ぶべきじゃない。けど。

「そっか、よかった。えへへ……!」

 その言葉が聞けたことが、何よりも嬉しくて。今日という日を、この上なく幸せに感じた。

「来年も行こうねっ……!」

 振り絞った、いつも通り喧しい私の声。それは決して、この一瞬から抜け出すことはできない。楽しかった今日を、明日へ持ち込むことはできない。

「……そうだね。」

 縋るには脆すぎるその一言に、縋りたくて仕方なくなる。あなたの明日を、来年を、もっともっと先の未来を。きっと私は独り占めできない。祭りは終わる。わかってる。わかってるからこそ、どうしようもなく胸が苦しい。

「じゃあ僕、こっちだから。……また明日。ツムギ。」

 明日なんて、来なければいいのに。ずっと今日が続けばいいのに。

「うん!また明日ね……!」

 願いは、きぃきぃ甲高い私の声に殺された。そして遠ざかるシキの背中。影送りには暗すぎるわかれ道を、私は今日も噛み締める。


 シキの声を思い出すだけで、月が綺麗すぎて吐きそうになる。そんな、ひとりの歩道橋。私だけの迷い道。愛おしくて、憎らしくて。こんなにも心が満たされている。あぁ、不幸だ。そして幸福だ。時間に晒され、錆びてしまう前に。陽の光に起こされてしまう前に。この夜を閉じ込めて、そのまま消え去ってしまえたら。……いいのに、な。


 そう思った瞬間。


「あ……。」


 祈りを聞き入れたとでも言うように、冷たい風が私を攫った。


 鈍い痛み。私という生命の終わり。

「もう……生きなくていいんだ……。」

 こんなひとことで片付けられてしまうグロテスクな安堵感と、最高に幸せな日に死ねたという充足感。心が軽い。きっと、心臓がないからだろう。喉がつかえる息苦しさも、頭が重く沈んでいく気怠さもない。ひらひら、ひらひらと。たなびくように空気に舞うこの感覚が、どうしてか心地好い。でも、なんか。

「寂しい……。」

 秋のように幽かな感情が、意識に感電したとき。今、このとき。私は、まだ残る五感の存在に気がついた。

「私の、部屋……?」



 本当は私もあなたの特別になりたい。そう思わない日はありません。永遠に離れられないように、鎖で繋がれてしまいたいほどです。ですが、私はあなたの特別にはなれません。わかっています。せめて今だけは、そばにいることをお許しください。



十月三十一日


 カーテンの隙間から漏れる陽射し。窓から流れ込む爽やかな風。僅かにも忌みを感じない美しい秋の昼間に、私は目覚めた。……ラブレターに憑依した幽霊として。


 そして今、私は街を飛んでいる。傍からは紙くずが風に煽られているように見えているのかな。実際には方向転換もできるし、結構思う通りに動けている。

「ぐはっ」

 今のは強めの向かい風に突然襲われて吹き飛びそうになった私の声。こういうこともあるみたい。

「えっ、何今の……!?」

「女性の悲鳴……?何か聞こえたよね……。」

 通りすがりのコスプレをしたカップルが、多分私の声に反応して怯えている。なるほど、声も聞こえるのか。なんかごめん。

「ハロウィンだから本当にお化けが出た……とか……。」

「ちょっと、怖いこと言わないでよ!」

「へへへ、大丈夫だよ。俺が守るから。」

 私をネタにイチャつきはじめたので、まあ結果オーライ……でいいかな。


 ところで、今日はハロウィンらしい。仮装した若者が街を練り歩いたり、子供がお菓子を貰ったり。……あの世から死者が帰ってきたり。そんな、楽しい楽しい特別な日を。シキと過ごせなかったことが、とても悔しい。


 シキに会いたい。この願いは、シキを目の前にしている時さえ消えやしなかった。そして、命が尽きたその後も。ずっと、ずっと。私はシキに会いたい。どうしてこんなに、私はいつもあの子に会いたいんだっけ。私にとってシキは何が特別なのかな。


 ……ああ、そうだ。そういえば。



 あなたがくれた光と熱は、空っぽだった私に意味をくれました。世界を美しいと思えたのも、言葉が溢れて止まらないのも、あなたに会えたからです。大袈裟に聞こえるかもしれませんが、私にとってあなたはそれほど特別な存在になってしまったのです。



四月中旬


 私はずっと、きらきらを求めて彷徨っていた。退屈な通学路に、平坦な毎日。飽き飽きして、あくびが出て。眠気がゆらゆら宙に舞っては、よろけて、転んで。地面に顔をぶつけて。そういう生活に、脳が溶けきってしまいそうなとき。

「……灼けて死んでも、構いません。」

 たまたま通りかかった空き教室から、誰かの声が聞こえてきた。春の陽だまりのようにあたたかくて、冬の夜空のように神秘的な声。何かの朗読をしているのだろうか。感情が言葉に。物語が抑揚に。体温が染み込んでいくみたいで。……息を、飲んだ。


 いつからか私は、死にたくないから生きていた。どうせ生きなければならないなら、上手く生きていこうと思った。明るく振る舞えば、多くの人が私を好いてくれた。真面目に努力すれば、大人は私の味方になってくれた。優しくしていれば、いつも誰かに必要としてもらえた。そうやって、私は上手く生きていた。……私は、空っぽだった。外側があるから存在しているだけの、空白そのもの。それでも別に消えたくはないから、存在しない中身を守って生きる。それが私……だった。


 空白が光に満ちていく感覚に懐かしさを覚えて。空き教室の壁にもたれ、崩れ落ちる。別に、朗読や声劇に思い入れがあるわけではない。プロのそれを聞いたことはあるが、ああ凄いなとしか思わなかった。それなのに、たった今聞いた彼の声は。

「あの……。聞こえちゃって、ましたか……?」

 どうしてか、涙が出るほどきらきらしていた。



 遠ざかるあなたを引き留めようとしては、自己嫌悪に陥る日々です。こんな私に好かれても気持ち悪いだけですよね。本当にごめんなさい。でも、どうか嫌わないでください。あなただけには嫌われたくないのです。



十月三十一日


 死んで初めて見る夕暮れは、思ったより哀愁も何もない。目的もなく低空を飛んでいると、街灯と目が合あった。君はきっと、夜にはきらきら光るんだね。

「いいな……。」

 私はきらきらが大好きだった。子供の頃、特に理由がなくても世界はきらきらしていた。その世界は私に、「ここに居ていいんだよ」って言ってくれた。意味に理由なんか要らなかった。

「……。」

 シキの声はきらきらしていた。理由は知らない。知る必要がなかったから、知ろうとしなかった。それを忘れていたのは、私が死んだからなのかな。

「シキ……。」

 シキに会いたい。理由はわからない。だけれど。

「会いたい……。」

 声に出してみた。持っていないはずの心臓が恥ずかしくきらめいた。意味は、ある。

「会いたい。会いたい。……シキに、会いたい。」

 胸に秘めた怪奇現象を抱きしめて。信号を無視して、横断歩道の上を渡った。この道の先で、あなたに会えるような気がして。


 そうやってあてもなく街を彷徨い続けて、体感一時間。暗くなってきた。シキはどこにもいない。闇雲に探しても出会えるはずがない。……わかっていた。明日も成仏してなかったら、学校で待ち伏せしようか。……それはちょっと悪霊すぎるかな。シキに知られたら、きっと気持ち悪がられる。嫌われてしまうかもしれない。

「嫌だ、な……。」

 こんな紙切れに成り果てた私を、私とわかるはずがないだろうし。何よりもう死んだのに、嫌われたくないとかそんなことで悩むのはおかしい。わかってるけど、恥なくらい心がきゅっとなる。私の心の中のシキに、私は嫌われたくない。でも、会いたい。肺を引き裂くようなジレンマに、ノスタルジーすら感じていく。……私は、死んでも全然変わらないな。



 いつまであなたと同じ時間を過ごすことができるのか。いつか終わってしまうのではないか。私が、壊してしまうのではないか。そんなことばかり考えてしまいます。



五月下旬


「今の……どうだったかな……?」

 息を切らしながら、か細くハスキーな地声で問うシキくん。よだかを演じていた数秒前の、儚くも力強い声とは全然違うようで、その核のような何かが共通している。

「きらきらしてた!エモかった!」

 きぃきぃ甲高くて無駄にボリュームが大きい私の声が、いつもの空き教室に響いた。語彙力もないし。

「……そっか。よかった。」

 顔にかかった髪をかきあげて、小さく微笑むシキくん。それを眺めながらぐへぐへ笑う私。あのとき突然始まった素敵な日常が、今日もここにあることを心から嬉しく思う。

「よだかの気持ちがわかるようで、わからなくて。上手くできてるかわからなかったんだ。」

 シキくんは入学してからずっと、あの空き教室で小説や詩の朗読をしていたらしい。部活や大会のためではなく、作品を理解するためにやっているとのこと。

「どういうところがわからなかったの?」

「星なんかにならなくても、翼があるならどこか好きなところへ飛んで行けるのに。どうしてそうしなかったのか……とか。」

 星は星に憧れない。どこにでも行ける翼を欲する……らしい。翼を貰った星は、どこかへ飛んでいけるのだろうか。自由に大空を駆けて、好きに生きていけるのだろうか。彼はきっと、それができる星なのだろう。

「……寂しかったから、じゃないかな。」

 彼の輝きは孤高だ。その感受性は、表現力は、私の隣にいつまでも佇むべきものではない。たった一ヶ月で、私はそう悟った。

「なるほど……。ちょっと見えてきた、かも。青くて、風が強くて、それでも全然平気なのに。心細い……?いや、でも……。」

 彼の才能は朗読ではなく、もっと根本的なものだった。想像力に近しい何か。誰もが子供の頃に持っていた、世界を空想的に認知する才能。それがさらに研ぎ澄まされたような、そんなきらきらを彼は持っている。

「凄いな、シキくんは……。」

 それは純粋な憧れ。翼を腐らせた野鳥の、星への憧れだった。その憧れは、私という空洞を無限に埋めてくれた。溢れ出る意味に溺れて、呼吸ができなくなった。会いたいが降り積もる。会っている今も、積もる。シュトーレンみたいな酸味で飲み込めない。

「ねえ、シキくん。もし、さ。」

 もし土曜日も暇なら、どこかで会わない?そう言おうとして、喉が詰まった。

「なに?」

 嫌われてしまう気がしたのだ。この距離感を崩したら、関係そのものが壊れてしまうのではないか。近づきすぎると、彼は離れていってしまうのではないか。そんなことを考えると、怖くて怖くて目の前が真っ暗になりそう。

「次朗読するとしたら、どんな本になりそう?気になっちゃって!」

 宮沢賢治さん教えてください。よだかの星は、まだ燃え続けていますか?



 あなたの隣は心地好くて、眠くなります。離れていると、眠れなくなってしまいます。あなたと過ごした時間を忘れていく明日なんて、来ないでほしいと思うからです。



十月三十一日


「うひゃあ!?」

 正面から大きな布がひゅーんと飛んできた。布は私を覆って、低空で勢いを失う。しばらくばたばたして、私と布はふぁさっと地面に落ちた。

「ぐふっ……。」

 重みを感じながら浮き上がる。落ち着いたら、布を貫通して視界が復活した。幽霊って便利。

「みてー!あの白い布被った子!」

「かわいいね、幽霊の仮装かな?」

 魔女っぽい仮装をした女性ふたりが、私を指さして微笑みそう言った。

「……あーね?」

 ちょうど人間の身長ぐらいの高度を、人間を覆っても余るぐらいの大きな布を被って浮いている私。傍から見たら、デフォルメされた幽霊の仮装みたいになるのか。夜になって、ハロウィンということもあり街には人が増えてきた。仮装と勘違いされたまま行動した方が得策かもしれない。どうも皆さん、私は幽霊のコスプレをする幽霊でーす。いえい。そういうノリでいこう。

「……。」

 視野が生きてたころとだいたい同じぐらいで、なんか懐かしい。目とかないのに、見える範囲は変わらないんだね。……イメージの影響なのかな。布被ってても見えるし。なんか変なの。

「……きれい、だな。」

 お揃いの仮装をし、恋人や仲間と練り歩く人々。所々飾り付けられた街。この景色は、きっと誰かにとっての思い出になっていく。きらきら、きらきら。私もそのひとつ。それでもやっぱり満たされない。きらきらは、私をすりぬけてどこかへ飛び立ってしまう。待ってよ。私をひとりにしないでよ。願おうにも、星は見当たらない。夜が明ければハロウィンは終わる。この世界に、私の居場所はない。

「シキ……。」

 会いたい。会えない。あえいうえおあお。あいうえお。あー、あー。寂しい。これは、存在するが故の寂しさだ。あの時思えなかったことを今、心傷に叫ぶ。『よだかの星』は残酷だ。燃え尽きるまで孤独に燃え続けるなんて。消えてしまった方が、私にとってはよっぽど佳い。こんなにも寂しいのなら、幽霊なんかなりたくなかった。

「あっ、はい。なんでしょう……?」

 きらきらした声が、私をうつつに引き戻す。

「え……。」

 視界が、戻る。

「ごっ、ごめんなさい。僕の名前が呼ばれた気がして、つい。……なんだか、懐かしい声で。」



 あなたが歌っていたあの曲が流れると、胸が苦しくなります。幸せを考えてみたら、あなたの声が聞こえてきます。あなたがいないなら、なにをしても無意味に感じます。全部、私のせいです。



七月上旬


 秒針が空き教室に響く。今日も私は、午後六時を砕いていく。ちくたく、ちくたく。頑張れない夏に、冷たい床は硬く。私の姿勢を悪くしていく。

「シキ……。」

 図書委員に入ったシキは、空き教室に来る回数が減った。減ったといっても、めっきり来なくなったわけではない。ほぼ毎日だったのが、週二回ぐらいになっただけ。今日は水曜日だから、打ち合わせがあって確定で来れない日。それでも。

「あれ、ツムギ……?」

 偶然早く終わって立ち寄るんじゃないかとか、そんなこと考えるとどうしても来てしまう。こんなふうに、ね。

「久しぶりだね、シキ!ちょっと忘れ物取りに来たついでにくつろいでたー!」

 変な嘘を吐いても、高揚は隠せない。

「土曜日に会ったし、久しぶりではないよ。……そうなんだね。」

 言って、ちょこんと私の隣に座るシキ。世界が色を取り戻していく。

「図書委員どうだった?」

 数ミリだけ、こっそり近づく。

「打ち合わせが早く終わって。それでその後、高野さんとあの本について話してた。」

 にへっと笑うシキ。ぐさり。心臓が苦くなる。ブラックコーヒー。

「そっか……。いいね、すっかり仲良しじゃん!」

 偽物の砂糖を含んでも、口がジャリジャリするだけ。甘くはない。それでも明るく、笑顔で。

「そうなのかな……。うん。そうだといいな。」

 今日も私は、あなたの友達だ。自分より仲良い人ができても、友達は嫉妬なんかしない。心から喜んで、よかったねって言ってあげることができる。私はそういう友達。

「私よりも仲良く、なっちゃったり、してね……!」

 喉の奥が詰まる。まるで丸めたガムテープが絡まっているみたいな感覚。言葉が上手く出てこない。久しぶり、だな。

「そこまでは無理かな。あの人、忙しいし。」

 私と同じくらい会えれば、私よりも仲良くなれるってことかな。それはそうだよね。共通の話題もあるし、私より素敵な人だし。落ち込む必要はない。妬くぐらいなら、もっとシキと仲良くなれるように頑張ればいい。友達なんだから、それくらい。

「なんだそれー。私はいつでも暇だからねー!」

 ちがう。私はシキの特別になりたい。唯一無二でありたい。私よりとか、そういうのじゃない。私だけがシキのとなりに居たい。でも、そんなの許されない。シキは内向的で恥ずかしがり屋だから、みんなに知られていないだけで。誰よりも魅力的で、優しくて、感受性が高くて、声があたたかくて。自分だけの世界を持っている。今この瞬間、シキのとなりにいるという幸せを、それだけを噛み締めるべきなんだ。私なんかがシキの特別になれるわけがない。それに、きっと。

「……そうみたいだね。」

 シキは、特別なんか望んでない。



 あなたに出会ったことで、私の心の平穏は永遠に壊されました。願わくば、少しでも長くあなたの隣にいたい。身動きが取れないほどに、そう思います。



十月三十一日


「ツムギの親戚の方……だったのですね。」

 自販機横のベンチに座って、私を見上げながら話すシキ。きらきらした声で、ハロウィンがパステルに染まっていく。

「そうそう。叔母、いや従姉妹……?うん。従姉妹!いと子さんって呼んでいいよ。ツムギちゃんからはシキくんの話結構聞いてて、写真も見せてもらったからわかったんだ。あっ、こんな格好でごめんなさい。これなかなか脱げなくて。」

 想い人を前にすると無駄に饒舌になるのは、死んでも相変わらずみたい。声もきぃきぃ響くし。やっぱり私、きもいな。

「あ、はい。」

 ソルティーライチ。マイルドで包みきれない。その刺すような塩辛さが、今は懐かしい。

「ところで、なんだけど。シキくんにとってさ。ツムギちゃんって、どんな人だった?」

 あんなにも切望した、シキとの再会。もう少しだけ。いや。できるだけ長く続けていたい。だからといって、話題の転換へたくそすぎでは。私。

「どんな、というと……?」

 表面上外向的なようで、それは自分を守るための手段だったり。好きな人に近づくための策略だったり。そういうハリボテに過ぎないから、すぐにボロが出る。そんなふうに生きていた私は。

「とっ……特別だったとか、さ。」

 きっと、誰にとってもハリボテ以上にはなれなかったのだろう。シキも例外ではない。みんなそうやって離れていく。静かに、緩やかに。

「とくべつ……というのが、よくわからないかも、です。」

 シキにとって私は、偶然仲良くなった人。それが私じゃなくなっても、何も困らない。かけがえのない存在とか、唯一無二とか。そういう特別な何かを、私に求めたことはなかった……と思う。

「私、さ。ツムギちゃんの特別になりたかったんだ。あの子、一人で抱え込む癖あるからさ。私だけでも、寄り添ってあげたかった。もしあの子に、私以外にそういう特別がいたなら……よかったな、って。」

 我ながら、本当に作り話が上手いな。外面ばかり塗り固めて生きてきた甲斐があったかも。……全部嘘だよ。ツムギちゃんに仲の良い従姉妹なんか居ないし、というかツムギちゃんは私だし。それに。私は、誰かのためにその人の特別になりたいなんて思ったことはない。私は、ただ。

「一緒に居るだけで、幸せでした。他に何かが欲しいとか、何かをあげたいとか。特別とか。そういうのはなかったです。彼女にとってのあなたも、きっと……そうだったのでは。」

 私の意味のために、あなたの特別になりたかった。シキと出会えたのは、素敵な偶然。強く結ばれたことなんて一度もない。ただそこに、たまたまふたりがいた。シキはそれを好んでくれた。

「そっか、うん。そうだといいな……。」

 シキは私に、意味をくれたんだよ。それを私は。嘘でまみれた私は、どうすることもできなかった。ただそばにいるだけで幸せだったのに。意味を欲してしまった。単純には、なれなかった。

「そういえば、ツムギちゃんがあなたに宛てて手紙を書いてたみたいなんだ。」

 幽霊にまでなって。それも、自分が書いたラブレターなんかに憑依して。なんというか、本当に情けない。

「僕に……?」

 この想いは。この手紙は。シキに見せるべきものではない。シキに、押し付けるべきものではない。シキの望んだ空き教室の窓は、いつだって開いていたのだから。

「シキくんのこと、ほんとに大切にしてたみたいだからさ。読んであげてよ。遺言状、ではないと思うけど。」

 それでも。そうとわかっていても。

「……そっか。はい、わかりました。ありがとう、ございます。」

 春の陽だまりのようにあたたかくて、冬の夜空のように神秘的な声に。失くしてしまった息を飲んで。

「なんだ、シキも私のために泣いてくれるんだ。」

 シキに、私を手渡した。ふぁさっ。大きな白い布がコンクリートに倒れ込む。幽霊はハロウィンに溶けた。想い人をキャンディのように甘く呪うのは、遺言状みたいな恋文。



 私はあなたのことを好きになってしまいました。心の底から愛してしまいました。本当にごめんなさい。


ツムギ



九月下旬


りんりんりん、りんりんりん


 カーテンの隙間から漏れる陽射しが眩しい。窓からは嫌にぬるい風が変な音を立てて入ってくる。忌々しくも慣れ親しんだ秋の早朝に、私は二度寝を決め込んだ。


りんりんりん!りんりんりん!


 ……長い夢から醒めた、そんな夢を見た。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

幽恋状 ソブリテン @arcenciel169

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ