第十話 決死の突入、その先に 3
「――リリアナ!?」
思いもよらないところで再開を果たした母娘。
母が娘に歩み寄り、その身体を優しく抱きしめる。
行方不明であった自分の母親が突然、レジスタンスのリーダーとして現れたことに衝撃を受けるリリアナであったが――驚いたのは
なぜなら母と呼ばれたその人物の見た目が非常に若々しいものであったからだ。さすがにリリアナよりは多少上に見えるが、差があるにしてもせいぜい姉妹程度。
「あ~ん、リリアナ~。こんなに大きくなっちゃってぇ~」
「ちょっ、お母さ……! みんなが見てっ……!」
「……ゴメンね。アンタには大変な思いをさせたね」
抱き合って再開を喜ぶ二人。こうして並んでいると本当に顔もよく似ている。
唯一違いがあるとすれば、胸部のボリューム――この母からどういう遺伝子の受け継ぎ方をすればあんな見事な平地が形成されるというのだろうか。
「ほんとに、リリアナの……お母さん?」
「ん? ホントだよ。なんで?」
「いや、だって――めちゃくちゃ若いじゃないっすか」
「あはは。サキュバスが老けたら商売あがったりでしょ? でも、ありがとね」
シャルカは親しげに
「あわわわわ…………」
立ち上る官能的な芳香。ダイレクトに伝わる温かく柔らかい感触。
あまりの心地よさに意識が遠のく。何ならそのまま文字通り昇天してしまいそうな――いや、しても構わないかという気さえしてくる。
「――ちょっと! お母さんっ!!」
リリアナが間に割って入り、二人の身体を乱暴に引き離した。
「サキュバスなんだからっ! そういうの、気を付けてよねっ!!」
ふくれっ面でそっぽを向くリリアナ。その様子にシャルカは少し驚いたような顔をして、それからニヤリと含みのある笑みを見せる。リリアナが時折見せる『悪い笑顔』は、どうやら母親ゆずりのものであるようだ。
「さて――」
シャルカが皆の方へ振り返る。その顔はもう母親ではなくレジスタンスのリーダーのものだ。
「シャルカ・エルクハートです。地下レジスタンスのリーダーとして、まずは今回の脱出への協力、感謝します。やっと……目的を達成できた」
地下の街で結成されたレジスタンスは、住民全員での脱出を目標に段階的にその準備を進めてきた。先日の地下牢での騒ぎにより計画の実行が近いことを確信し、皆がすぐに動けるよう待ち構えていたのだという。
「……でも、まだ安心は出来なくて」
シャルカは神妙な面持ちで話を続けた。
地下の住民はそのほとんどが他の誰かとの召喚契約を持つエンティティだ。サマナーと引き離され、チャージが行えない状態が続けばいつかは存在が消滅してしまう。それを回避するためには救出された人々の契約解除を行う必要があるのだ。
ハインツが怪訝な顔で問いかける。
「契約の解除にはグリモワールが必要だろ?」
「大丈夫。グリモワールなしで強制的に契約を解除する方法は見つけてある。だけど……地下では素材の確保ができなくて」
「素材、ね……どんなものがあればいい?」
シャルカが必要な素材の名称と数量を告げる。
「サフィール、行けるか?」
ハインツの言葉に、サフィールがこくりと頷いた。
サフィールは王城の薬剤師として城内の薬品在庫を管理する立場にあり、精製済みの薬はもちろんその素材の在庫量に関しても完璧に把握している。
「よし! 一旦予定を変更して全員で薬品庫だ」
ハインツの号令で皆が動き始める。
今、急務になるのは全員の召喚契約解除。その準備のため
「あの、お母さん――」
薬品庫へと向かう途中、
「
「え、あ……はい。シャルカさん――はなぜリーダーに……?」
「あ、アタシもそれ聞きたい!」
リリアナも横から会話に参加してくる。
「――いやそれがね、アタシもさあ、ダンナは死ぬわ娘とも引き離されるわで……地下に来てしばらくは生きる希望も無くしてたのよ」
大げさに落ち込むような仕草をしてみせるシャルカ。彼女自身明るく振舞ってはいるが、その内容は実に重い話だ。
「でもいつまでも落ち込んでたって仕方ないじゃない? だったらアタシはここでアタシにしかできないことをやろう、みんなの役に立とう、って……」
「シャルカさんにしかできない事――?」
シャルカは少し言いづらそうにその先の言葉を紡いだ。
「いえね、その……地下での監禁生活が続くとみんな色々と不自由するでしょ? 色々と。そういうの、サキュバスとしては……ねえ?」
「おかあさん……」
この母は、娘の前で何という話をするのであろうか。
「――でまあ、そうこうしてるうちにいつの間にか周りに協力者が増えて今に至る、ってそんな感じ」
……大体の経緯は察した。
しかし、シャルカがリーダーとして慕われるようになったのはその気風の良さや行動力、懐の深さといったシャルカ本人の人柄もあったのではないだろうか。そしてこのあたりは娘であるリリアナにもしっかりと受け継がれているように感じる。
――親子揃ってのリーダー気質、か。
その後――。ひととおりの準備が整ったところで、群衆がホールに集められた。
レイチェルによってこれから行う契約解除についての説明がなされる。
セレニア国民は自国の王女であるレイチェルの姿を見て歓喜し、中には大きな声を出して泣き崩れる者もあった。
「消耗の激しい者からだ、いいな?」
「しかし、これだけの者を一度に処置するとなると魔力が……」
「手分けして何とかいける分だけでも処置を行いましょう」
契約解除の術式は魔法の得意なメンバーが中心となって進められたが、やはり途中で魔力不足により頓挫してしまう。
解除に成功した人数はレイチェルが二十人、キリエが三十人、ステラとシャパリュがそれぞれ百人ほどで、そこにレジスタンスメンバーの魔術師を加えても全体の半分にも満たない。
しまいには荷物運びをしていたメイファンや
「――どうやったの!?」
「いや、ただ言われたとおりに――」
本来ならとても信じられるような出来事ではないのだが、皆目の前で見ていたのだから疑いようがない。
「召喚がらみになるとすごいわね、アンタ……」
疲労困憊の魔法メンバーと対照的に、まだまだ余力がありそうな
契約解除を終えたことでひとまずの危機は脱したが、これで終わりではない。皆の体調を回復させ、全員を無事に家に帰すために――
「もうすぐです……もうすぐですよ……うふふうふ」
薄暗い空間に不気味な笑い声が響く。
声の主はリドヘイム王国大臣、ヤズ・ヨギストフト。
大臣が見つめる先、部屋の中央に据えられた祭壇の上には淡い緑の光を放つ物体が脈動しており、その表面には有機的な質感を持つ細長い管が複数接続されている。管の反対側に繋がれているのは――ニーナ、イレーネ、マリア、メリッサ、そしてメロウ。暁ノ銀翼のメンバーたちだ。
「んー。アークデビルの魔力は質も量も申し分ないものでした。しかし他の皆さんも特に上位種という訳でもないのにそれぞれが実に素晴らしい資質をお持ちだ。もしかしてあなた方のリーダー、すごい方なのですか?」
誰もその問いに答えない。いや答えられる余裕もないほど皆、憔悴しきっていた。
「えーた、えーた……」
泣きじゃくるニーナにイレーネが優しく声を掛ける。
「大丈夫……大丈夫ですよお嬢様。きっともうすぐ帰れますからね」
銀翼メンバーは軍により身柄を拘束された後、この場所へ移送されてきた。そしてそれ以降、死なない程度の栄養を与えられ、死なない程度に魔力を吸い取られるという地獄のような状況に置かれ続けている。
「――ヨギストフト様、お願いでございます。お嬢様だけでも解放を……」
「はぁ? ダメですよ。アークデビルは特にね。――まぁ、あとちょっとですから頑張ってください。……そのあとちょっとで死んじゃうかもしれませんけど」
「ううう……」
「心配しなくてもいいですよ、アークデビル。あなたは生かします。他の皆さんの魔力を全て搾り取ってでもね」
「あ、ああ、あ…………ぁあああぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーー!!!!!!!!」
「お嬢様!?」
ニーナの感情が爆発する。
かつて暴走した時の再現。周囲を巻き込み、魔力がうねる。しかし――。
「んー、さすがはアークデビル。なかなかの霊圧です」
「ふーーッ!! ふーーーーッ!!」
「まだそんな魔力を残していたのですね。でもそれ……私には効かないみたいですよ」
余裕の表情でニーナに歩み寄り、蔑むような視線を向ける。
「いやしかし――今のはいただけませんね。せっかく作った障壁を突き破ってあなたの飼い主にこちらの居場所が伝わってしまうじゃないですか」
大臣は手を伸ばし、ニーナの髪を掴み上げる。
「――あうっ!!」
「んまあ、国王陛下もだいぶ奔放に動いていらっしゃるようですから……遅かれ早かれ、ですかね。ならば――」
大臣の浮かべた薄ら笑いは、魔族であるニーナも心の底から恐怖するほどの邪悪さを湛えていた。
一方、契約解除の完了したリドヘイム王城内では
「――――!!」
「
「聞こえた! ニーナの声だ!!」
「どこから!?」
「あっちだ!!」
その方向に見えるのはあの世界樹。一帯は避難区域となっているため無人のはずだが――。
「あれは……世界樹じゃないか」
「確かに、あそこから聞こえたんだ」
「――そうじゃ。『あれ』こそがヨギストフトの新たな拠点じゃよ」
不意に聞こえる想定外の声。
「――王!!??」
唐突に現れたリドヘイム国王。おそらくノーザンライツ本拠地に現れたときと同様、精神体 《アストラル》の状態なのだろう。
「――やれやれ、やっと抜け出せたわい。すまんのぅ、ここしばらくヨギストフトの監視の目が厳しくてな」
王によって現状の説明が行われる。
大臣は王城を放棄し、世界樹に拠点を移した。定期的に城を離れて足繫く通っていた先というのがあの世界樹であったのだという。
「奴が世界樹で行っている事、それは――この世に存在しない種、『架空種』を作りだすことじゃ」
「架空種――?」
初めて耳にする言葉に、一同がざわめく。
「それ、人魚みたいな幻の種族とは違うのか?」
「存在が確認されていない種族と、そもそも存在しない種族は違うんじゃよ」
この世界に存在する種族は全て一定の秩序の上に存在している。進化の枝分かれなどにより新たに生まれる種、そして消えていく種はあるが、それは自然の営みの範疇内。それを無理矢理崩した場合、世界は世界としての体裁を保てなくなる可能性が高いのだという。
「ごく小さなほころびじゃが……本来それすら起こらないような完璧なバランスの上に成り立っておるものなんじゃよ。秩序を乱し、世界の根源を揺るがす。そんなものを生み出してはいかんのじゃ」
世界の崩壊――。
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