スイッチ
吉田涼香
ー黄色い箱ー
時間は深夜0時を迎える頃だった。化粧品会社の販売戦略部で働く私は、仕事を終えてクタクタになり、鉄の棒のように重くなってしまった足を引きずるように、ゆっくりと歩きながらマンションに帰って来た。だがある物を見て足を止めた。それは朝には無かったものだ。
マンションの横に自販機が設置されている。飲料水が並べられた自販機であれば、昼間に新しく設置したのだろうと納得して終わるところだが、足を止めざるを得ない程、その自販機は奇妙だった。
マンションの周りにある光と言えば街灯ぐらいなもので、邪魔にならない程度の明るさで、周囲をぼんやりと照らしているのだが、この自販機からは黄金色に輝く眩しい光が、目を覆いたくなるほど強く放たれていた。
私はその自販機の前に立ち、光に目を慣れさせた後、並べられている商品に目をやった。
シガレットケースぐらいの大きさの箱が三つ、色違いで並んでいる。
左側から青色、真ん中が黄色、右側が赤色の箱で、まるで信号機のように並べられているのだが、商品はたったこの三つだけだった。
商品名は『
随分と怪しい自販機だな。そう思いながら、その場から離れようとした瞬間だった。
こんばんは、という機械的な音声が周囲に響いた。何、今のは…と驚きながらも、注意深く自販機に目を向けていると、
「こんばんは。夜の自販機です。」
と目の前にある自販機が、機械音で丁寧に挨拶をしてきた。
「夢は何ですか?仕事を成功させて大金を手にしたいなら青い箱をお選び下さい。永遠の美を手に入れたいなら黄色い箱。この世で一番美しい真実の愛が欲しいなら赤い箱をお選び下さい。」
無機質な自販機の音声が、静かな住宅街に響いている。
夢?と呟きながら、私は三つの箱をじっと眺めた。
「私…夢はありません。願うことは諦めたんです。何かを望んでも、夢を抱いても、現実は叶わないって思い知ったので。」
私がそう言うと、自販機は無音になり、深夜らしい静けさが広がった。
よくよく考えれば、目の前にあるのは自販機であり、人間ではない。
私は何を一人でペラペラと自販機相手に話しているのか。
あまりに疲れ過ぎて、人間と自販機の区別も付かなくなってしまったんだと思い、苦笑いを浮かべながら、マンションに入ろうと自販機から離れようとした時だった。
「いいえ。あなたは夢も願いも諦めてはいません。今、叶えたいことは何ですか?」
自販機は淡々と私に告げてきた。
会話をしてる?何なの、この自販機は…。
「よく考えて下さい。」
自販機は畳みかけるように、私に叶えたい何かを言わせようとしている。
煌々と光る自販機を眺めながら、少し考えてみた。
「仕事の成功も、永遠の美も、この世で一番美しい真実の愛も、全て手に入るなら欲しいに決まっている。」
呟くようにボソボソと言った私に、一つだけですという冷たい言葉を、自販機は返してきた。
残業続きで停止中だった脳を無理やり起動させ、よく考えて答えを出した。
「決まりましたらボタンを押して下さい。お金はいりません。」
まるで私の思考が読めているかのように、自販機はタイミングよく伝えてくれた。私はその指示に従い、『美』と書かれたボタンを押した。ポトンと軽い音がして、見ると取り出し口には黄色い箱が置かれている。私は取り出し口からそれを取り出し、箱の表や裏など様々な角度から眺めながらマンションに入り、部屋に帰った。
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