第27話 血のゼーレン
イスタリヤで皇帝救出作戦が行われているのとほぼ同時刻。ゼーレンの港に近づく複数の影があった。それは空母イシュトラーレを飛び立った飛竜騎士団。その胸部に多数の焼夷弾を架装した部隊は、空からの襲撃をまるで想定せず眠り込んでいた街に襲い掛かった。
彼らが狙ったのは主に食料が備蓄されている倉庫、それに補給品を満載して港に停泊していた商船などであった。この時代、船は当然として、建物も壁は石造りでも屋根や床は木造。投下される焼夷弾による火は次々と燃え広がり、大量の食糧が灰と化した。
加えて、その後に接近してきた数隻の軍艦からの艦砲射撃が追い打ちをかける。これらの船はフェレイダ・レオニダスとは違う。最初から艦砲搭載を前提として設計製造された純然たる軍艦。搭載された多数のライフル砲から投射される榴弾は、港に面した街、主に商業区、工業区として使われる街を灰燼に帰したのだった。
そしてその翌日、飛竜部隊はさらに聖都側に近い補給拠点となっている街を襲い、食料を始めとする補給品を根こそぎ焼き払った。
いずれの攻撃も、これまでの常識から外れている。飛竜は地上数百メートルまでしか飛べないため、その攻撃は地形に左右される。敵基地から飛び立ったのであれば、見逃されることは無いはずだった。今回のようにどこから出撃して来たのかわからない、そんな攻撃は想定すらされていなかったのである。
この攻撃でゼーレンと駐留していた聖戦軍は大打撃を受けた。人的被害はそれほどでも無い。攻撃が深夜であり、攻撃対象も港と商業区、工業区に集中していたためである。しかし、備蓄していた食料が殆ど消えてしまった。後方の補給拠点も壊滅し、船や港も全滅状態の今では後方からの補給もしばらく見込めない。
元々、ゼーレンは人口15万人程の中規模都市である。そこに一月近く前から20万の聖戦軍が居座り、最近では30万に膨れ上がっている。人口の2倍の軍隊を受け入れる余地など元より殆ど無く、これまでも綱渡りが続いていたのだった。
しかも聖戦軍の兵士たちは、必ずしも素行の良い者ばかりでは無かった。貴族で構成される騎士たちはまだ幾分まともであったが、傭兵や冒険者崩れといったごろつきまがいの者たちも含まれていたのである。神への信仰故に参加したのではなく、食うためにこの宗教的熱狂に参加してきた者も多かった。
そうした者たちによる街の住人とのいざこざはこれまでも頻発していた。恐喝や無銭飲食などはまだ可愛い方で、殺人や傷害、女性への暴行なども一度や二度では無かった。その度に聖戦軍司令部は綱紀粛正に躍起になったが、聖戦軍内部からは司令部への不満が溜まり、街の住民からは甘すぎる処分に不満がくすぶるという負のスパイラルに陥っていた。
そこにこの攻撃である。聖戦軍も住民も自らの食糧を確保しようと走るのは当然であった。だが、聖戦軍が採用した手段は最悪だった。彼らは食糧確保のために徴発をかけたのである。それに対し、住民の不満が爆発した。
きっかけは住民の一部による投石。だが、聖戦軍の一部が、この投石に過剰に反応し、暴徒のように住民に襲い掛かったのだ。司令部はもはや彼らを統制することもできず、指揮命令系統を失った聖戦軍は野盗の群れと化した。
もちろん、30万全ての軍勢が暴走したわけでは無い。だが、それでも数万人の完全武装した軍隊が、15万の非武装市民に襲い掛かったのだ。何が起こるかは火を見るよりも明らかだった。こうして、ミノス教の歴史上、最大の汚点とされる「血のゼーレン」が幕を開けたのである。
男は手当たり次第に殺され、女は乱暴されて殺された。市民の家から食料や貴重品を略奪する兵士たちによって家は破壊され、火が放たれた。略奪の対象はミノス教の聖教会にまで及び、大司教のラオブルートもまた、命からがら街を逃げ出す羽目に陥ったのである。
狂乱は丸二日に及び、街から悲鳴が途絶えることは無かった。司令部が漸く指揮系統を取り戻し、事態が鎮静化してきたころには、死者は3万人を超え、負傷者に至っては数えることすら困難なほどだった。
これほどの事態を引き起こしたにもかかわらず、実行犯に対する処分は無かった。数が多すぎて処分できなかったと言う方が正しいかもしれない。処分しようものなら、その数万人が反乱を起こしていたであろう。司令部としては黙認するしか無かったのである。それが後の歴史に大きな禍根を残すことになるが、その時点では他に選択肢が無かったのだ。
こうして進軍を開始した聖戦軍であったが、その進軍速度は緩やかだった。何より前回と同じ罠にかかるわけにはいかない。幸い、罠の正体は花火のような火薬を使ったものだとわかっている。わかっているなら怖くはない。地面に細工がされていないか、確認しながら進めばよいだけだ。
こうして二日ほどかけて改めてフェルナシアの国境砦前に集結した聖戦軍が見たものは思わぬ光景だった。目の前に巨大な竜が浮かんでいたのだ。飛竜など及びもつかないほどの巨大な竜。その竜の口元に魔法陣が浮かんだのを兵士たちは見ることになる。
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<後書き>
次回は第6章第28話「この手を血に染めよう」。お楽しみに。
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