第8話 大聖女の涙
パァンッと乾いた音が応接室に響き渡った。
目の前には顔を真っ赤にした大聖女。目尻には薄っすらと光るものがあった。
人払いをする間もなく放たれた平手打ち。周りで侍女たちが騒然としている。あーあ、これ明日には王宮中に変な噂が広まってるんだろうなあ。ゴシップ好きな宮廷雀たちが面白おかしくあること無いこと広めてくれるんだろう。大聖女と王太子の痴話げんかとか、大好物そうだしな。ホント、連中、噂話してないと死ぬみたいな体質なのか? 泳いでないと死ぬマグロじゃあるまいに。
噂と言えば、クラスメート全員食ったって話もあったか。肝心のクラスメートに知られていたらどうしようと思ったが、実はソフィアは知っていた。対処法を相談したら、「ほっとけばいいんですよ」と言ったまでは良かったが、「何なら本当のことにしてしまいます?」とニヤニヤ笑いながら迫って来たので、頭に軽くチョップを食らわせてやった。頭を抱えながらも、愉快そうにテヘペロする彼女から伺えるのはただのおちゃらかし。だが、そういう冗談はやめて欲しい。
それに加えて、最近はテオドラとの仲まで噂になってる。パーティーでのじゃれ合いを見た連中が尾ひれどころか背びれに胸びれまでつけて広めているみたいだ。悪いことに俺との仲を聞かれたテオドラが「ええ、私、お従兄様大好きなんです!」とかのたまったらしく、一層信憑性のある噂として王宮中に流れているのだ。あいつの言う「大好き」は一般人の言う大好きと違うんだから勘違いして欲しくないんだが。だいたい噂がドミティウス陛下の耳に入ったらどうするんだよ。
しっかし、噂の中の俺は何股もしているヤリちん下種野郎だな。実際の俺はセリアのことしか眼中に無いと言うのに。
ため息をつきながら、目の前の大聖女を眺める。彼女が怒っている理由はわかっている。テオドラと裏で手を組んでいながらピンチを装うような猿芝居をして、それを彼女に伝えていなかったことを怒っているのだ。
「落ち着け、エヴァ。ちゃんと説明するから」
その言葉にエヴァは不満そうな顔を見せつつも、大人しくソファに座る。さて、話をする前に人払いをしないとなと思って侍女たちに部屋を出て行くように伝えたが、皆未練たらたらで俺たち二人を見ている。まったく、期待しているような話なんか出ないんだからとっとと出て行けよ、と全員追い出すと、遮音魔法を張った。あの様子じゃ、扉に耳を押し当ててそうだからな。
「さて、説明しなさいよ。どうして私に黙ってたのか」
「わかったよ、ちゃんと説明する。だけどその前にまずは謝らせてくれ。本当にごめん。君に黙っていて悪かった」
深々と頭を下げる。王族が頭を下げるなど、他の人の視線があれば問題となるような行為だが、今、ここには二人しかいないから何の問題も無い。一方、エヴァは少し驚いた顔をしていたが、ため息を吐いて頭を振る。
「とにかく説明しなさいよ。事情知らないままに謝られても判断できないでしょ」
「いやまあ、そうなんだけどね。割と理由が鬼畜って言うか、酷い話なので先に謝っておこうかなと」
そう言うと、エヴァの対面に座って説明を始める。実際、黙っていた理由は酷いものだった。恐らく彼女は激怒するだろう。絶縁されてしまうかもしれない。それでも包み隠さず説明しなければいけない。それが彼女の優しさを利用した俺の精いっぱいの誠意だ。
「今回、俺はラウルの陣営を暴発させるために、こちらが不利な状況にあると思わせる必要があった。だからラーケイオスの力も封印したし、リアーナ様もお前も協力できないという状況を作った。これは以前説明したよな」
「そうね、それは聞いたわ」
「同様に相手が有利だと思わせるために、テオドラをラウルと組ませた。それだけじゃ無くて、テオドラの手引きでクリスティア王国に侵攻させることで、俺を王都から引き剥がし、戦場で俺を暗殺できると思わせた。まあクリスティア王国に侵攻させたのは、それを口実に向こうに逆侵攻する目的もあったけど、そっちは取りあえず置いておこう。とにかく、徹底的に向こうが有利で、こちらが不利という状況を意図的に作り上げたわけだ」
「……で、何が言いたいの?」
回りくどい説明に、エヴァは訝しそうに額に手を添えている。
「こんな状況、普通に考えればおかしいと思わないか? 俺がラウルの陣営にいたら思うよ。うまく行きすぎだ、騙されてるんじゃないかってね」
「そうね、それはそう思うわ」
「でもそこで俺の知り合いが、必死になって状況の改善に動いていたとしたらどう思う? 事態の信ぴょう性が増すと思わないか?」
「……まさか、あんたっ?」
その説明に、あることに思い至ったであろう彼女の顔色が変わった。
「ああ、多分お前の想像している通りだよ。俺は、お前が俺を助けるために神殿上層部や王宮に働きかけてくれるだろうことを予想していた。お前は誰よりも優しいから。俺はそんなお前の優しさを利用したんだ」
淡々と説明する俺の言葉に、彼女の顔がどんどん蒼白になっていく。これ以上のことを伝えると本当にブチ切れさせてしまうだろう。でも、伝えなければならない。
「セリアやリアーナ様に伝えたのは、彼女たちに動かれると逆に困ってしまうからだ。セリアは王甥妃だし、リアーナ様はこの国の序列ナンバー2だ。そんな彼女たちに動かれてしまうと、神殿も王宮も動かざるを得ない。でも、失礼ながらお前には神殿長の決定を覆す権限は無い。だから、お前を利用させてもらった。……これが真相だ。本当に悪かったと思っている……」
「……最低」
途中から下を向いてブルブル体を震わせていた彼女がキッとこちらを睨むと、突然身を乗り出して、テーブル越しに胸ぐらをつかんできた。
「本当に最低!」
彼女の目からこらえていたのだろう涙があふれだした。
「あんたのことを心配して……本当に心配していたのに。……最低っ、最低っ!」
胸ぐらをつかんだまま下を向いてしまった彼女に話しかける。何を言っても言い訳でしかない。最低であることは俺自身が理解している。それでも言わずにはいられなかった。
「本当にすまない、エヴァ。罵ってくれていい、殴ってくれていい。軽蔑されて当然のことをした自覚はある。でも、言い訳でしか無いけど、今回だけはしくじるわけにはいかなかった。だから……。でも、もう二度とこんなことはしない、絶対に。誓うよ」
彼女は長いこと下を向いたまま無言だったが、顔を上げるとグシグシと涙を拭って俺を睨みつけた。
「取りあえず、一発殴らせろ……と思ったけど、さっき引っ叩いてるのよね……。あー、もう、全く! じゃあ、あんたは私がもういいと言うまでスイーツ奢りなさい! わかった⁉」
「は? ええと……わかったけど……そんなんでいいのか?」
あまりに軽い対価に驚いて尋ねると、彼女は「うー」と唸って考え込み、ビシッと指を突きつける。
「じゃあ、『何でも一つ言うことを聞く券』を出しなさいよ!」
「『何でも一つ言うことを聞く券』って、中高生向けのラブコメ漫画か何かかな?」
「ど、どうでもいいでしょ? 出すの? 出さないの?」
「わかった、わかった。出すよ。でも、周りに迷惑かけない命令だけだぞ。で、何枚いるんだ?」
「取りあえず10枚!」
「10枚って多すぎないか?」
「何か問題あり?」
ギロっと睨まれてしまった。いや、文句言える筋合いじゃ無いけど、王太子の立場で何でも言うこと聞くって普通なら大問題になるよな。まあエヴァがそんな困った命令してくるはずが無いんだけど。
わかってる。これは彼女なりのけじめなのだ。王太子に過剰な謝罪をさせる訳にはいかない。でも、何の対価も無く許すわけにはいかない。そんな彼女の心に折り合いをつけるための。それに応えるのは、一方的に彼女の信頼を踏みにじった俺の責任だろう。
「わかったよ、エヴァ。そんなんでお前の気が済むなら」
「後、スイーツ奢るのは、それとは別だからね!」
「……」
彼女は機嫌が直ったわけでは無かったが、取りあえず矛を収めて帰ってくれた。帰る際、ドアに張り付いてたらしい侍女たちが、開いたドアに顔や耳をぶつけたのか、座り込んで呻いていたが、そっちは同情しない。
なお、後日、エヴァに奢るためにスイーツ店巡りをしたら、「大聖女と王太子がスイーツ店デート!」とか噂が立って辟易したが、それはまた別の話である。
========
<後書き>
次回は第6章第9話「空母イシュトラーレ」。お楽しみに。
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