第13話 テオドラの真実

 テオドラとソファで向かい合う。彼女は今はガウンを着ている。貴族女性の常識から言えば、これでもはしたないことこの上ないのだが、殆ど裸のような下着姿でいられるよりは遥かにましだ。


 彼女の怒りも今は落ち着き、ようやく会話ができる雰囲気になってきた───のだが、テオドラの視線は俺ではなく、俺の隣に注がれている。


「アデリア、あなた何してるんですか?」


 俺の隣には、アデリアが当然のような顔をして座っていた。いや、その表現は正確ではない。アデリアと俺の距離はゼロ。彼女は俺に密着している。俺自身、絶賛困惑中だ。


「ねえ、アデリア、もうちょっと離れて」

「いや!」


 引き剥がそうとする俺に彼女が抵抗する。いや、そんなこの世の終わりのような顔されても困るんだけど。


「全く、ここまで女たらしだとは思いませんでしたよ」

「いや、どこをどう見ればそう言う結論になるんだよ。俺、アデリアを口説いたりしてないぞ!」

「口説いてないのに落としてるから、たちが悪いんじゃないですか」


 テオドラに反論するが、この状況じゃ説得力が無い。しかし、これはリアーナの言ってたことが正しかったと言うことなのか? 流石にここまであからさまな好意を向けられたら、誤解だとか言ってられないよな。


「ねえ、アデリア。俺には妻がいるってこと、知ってるよね?」

「ええ、知ってるわ」

「……だから君の気持ちには応えられないってわかるよね?」

「大丈夫。奥様がいても私は気にしないから」


 えええええっ⁉ いや、俺が気にするんだけど。


「……女の敵」

「テオドラ、ちょっと待て! おかしいだろ、その評価!」


 しかし、テオドラは俺の抗議を受け付けず、アデリアの方に語り掛けた。


「アデリア、あなた、私がラキウスを殺せって言ったらどうするんですか?」

「お断りします」

「断ったら契約違反で死ぬんですよ」

「彼を傷つけるくらいだったら死にます」


 ───重い、重いよ。何だよ、それ。

 俺もテオドラもため息をついているが、アデリアはさらに続ける。


「念のために言っておくね」

「何?」

「私、あなたの奥様に絶対手を出さない。だって、そんなことしたら、ラキウス、絶対に私のこと許してくれないでしょう? だから、そんなことしない。安心して」


 いや、彼女の申し出は有り難いけど、理解が追い付かない。何でこんな事になってる? その思いはテオドラも同じようだ。


「ちょっとぉ、何なんですか、これ? 彼女は私の切り札だったのに。あなたより強い最強の魔族だったのに。それを色仕掛けで無力化とか、あなた一体何なんですか?」

「色仕掛けはそっちが仕掛けてきたんだろうが! 事実を捏造すんな!」


 テオドラと二人、睨み合った後、顔を見合わせて盛大にため息を漏らす。ちょっとこの件は先送りだ。アデリアには追々説得するようにして、俺のことを諦めてもらうしか無い。今はそれより、さっきのテオドラの話だ。


「それで、さっきの説明はしてくれるんだろうな。7歳云々とか、まるで話が見えなかったぞ」

「わかりました、わかりましたよ。……何から話しますかね」


 どこか、遠くを見つめるような視線。そんな彼女が語る過去は恐るべきものだった。







「7歳の頃、当時は私も普通の女の子でした。家庭教師の先生が大好きで、彼が教えてくれる色々な話に目を輝かせていました。そんなある日、その家庭教師が私を郊外にある古い屋敷に連れて行ってくれたんです」


 話し始めたのは、穏やかだった日の記憶。だが、それが暗転したのだと言う。


「当時は疑うことを知りませんでしたから、何故そんな廃屋に行くのかとか、何故、護衛が近衛騎士じゃ無くて、どこかからか雇ってきた女冒険者なのかとか、そんなことにも気が回りませんでした。そして、連れて行かれた屋敷で、私はアスクレイディオス復活のための生贄にされたんです」


 いきなりのことに思考がついていかない。アスクレイディオス復活のための生贄?


「先生は魔族を信仰する邪教徒でした。封印されていたアスクレイディオスを解放し、私に乗り移らせたんですよ。私がこの時代、最初の犠牲者でした。幸いなことに、身に着けていた王家伝来の破邪のお守りのお陰で、すんでのところでアスクレイディオスを跳ね除けることに成功しました。お陰で護衛についてきていた女冒険者に乗り移ってしまいましたけどね」


 その女冒険者というのはレジーナのことだろう。かつて、そんなことがあったのか。


「でも、アスクレイディオスを最終的には跳ね除けられましたが、それまでの間に、私には彼がこれまで取り込んで来た人間たちの記憶が押し寄せてきたんです。10数人にも上る犠牲者たちの記憶が」

「記憶……?」

「ええ、その中には、アレクシウス陛下の側近の記憶もありました。彼の記憶からは国の統治にかかる知識を得られたから、まだ良かったですけどね。でも、そんな人だけではありませんでした。盗賊団の首領の男の記憶は最悪でした。何人もの人を殺し、女を犯しまくった記憶が流れ込んで来たんです」

「……」

「娼婦の記憶だってありますよ。数えきれない男たちに抱かれた女の記憶。その手練手管を披露して差し上げようと思ったんですけどね」


 こちらを覗き込んで、クスリと笑うテオドラに何と返していいかわからない。彼女の説明はさらに続いていた。


「そんな人々の記憶が10数人分も。全て合わせると300年にも及ぼうかという記憶が頭の中にあるんです。しかも全員、最後はアスクレイディオスに取り込まれて狂っていく。想像できますか⁉ その地獄がっ!」


 ───絶句していた。俺よりも人生経験がある、と言い切ったその意味が、こんな壮絶なものだったなんて、誰が想像できただろう。記憶とは人格を構成する最大の要素の一つ。それが複数ある。そんなことが可能なのか? いや、可能だとして、正気を保てるものだろうか。


「……お前は大丈夫なのか?」

「今はもう大丈夫ですよ。最初の頃は気が狂いそうでしたけどね」

「良く大丈夫だったな」

「……アリスのお陰ですよ」

「アリス?」

「私の側仕えです。アリスティア。一緒に育ってきた幼馴染。皆、私を気持ち悪そうに眺めるだけだったけど、彼女が無理やり私を外に連れ出して、無理やり相手をさせられたから。……だから私は自分を保つことが出来た。大切な……とても大切な、たった一人の私のお友達」


 テオドラは遠い目をしながら、微かに笑った。その笑みにどれほどの思いが込められているのか、俺には想像もつかない。


「とにかく、いろんな人の記憶や知識を受け継いだ私には兄達はバカにしか見えなかった。だから退場してもらった、それだけです」

「ちょっと待て、その家庭教師はどうなったんだ?」


 話は終わりだとばかりに打ち切ろうとするテオドラに疑問をぶつける。アスクレイディオスを解放したと言うことは最初の契約者は彼だったのでは無いか? そいつは今どうしてる?


「あいつなら、あなたが殺したじゃ無いですか?」

「俺が?」

「あの屋敷であなたが殺したリッチ、あれが彼です」


 え? え? リュステールの封印が解かれていないか調査に行った屋敷にいたリッチ? あれが? いろいろ話が飛び過ぎて理解できない。


「あいつはアスクレイディオスを解放した後ものうのうと家庭教師を続けていましたよ。いざとなれば契約したアスクレイディオスの力で口封じは容易いと思ってたんでしょうね。実際、脅されてましたし。私はいろいろ勉強して、自分の中の他人の知識も利用して、リュステール、ああ、今はアデリアでしたか、彼女を解放することに成功しました。そのアデリアの力を利用して、いったん彼を殺してアスクレイディオスの支配権を奪ったうえで、アンデッドにしてあの場所に縛り付けたんですよ」


 息をするのも忘れたかのように一気に説明した彼女はこちらを見た。その瞳に恨めしそうな光を宿して。


「死ぬこともできない体にして、永久に苦しめてやるつもりだった。それをあんなにあっさり殺してしまって……」


 あの時、「一瞬で倒しちゃうから、つまんないです」と言っていた彼女を思い出す。あの時は血沸き肉躍る戦闘を期待しているのかと思っていたが、込められていた思いはまるで違った。


 それにしても、彼女の壮絶な過去に慄然とする。急に大人びることがあると言っていたエヴァの評、クリスティア王国でレムルス達に見せた、どこまでも冷たい侮蔑の表情、そうした諸々の背景にこれほどのことがあったとは。


「……テオドラ、すまなかった。君を化け物と呼んでしまったことを謝る。知らなかったこととは言え、無神経だった」

「悪いと思うんだったら、私を妻にすることをもう一度考えていただけます?」

「それはダメだよ。俺の妻はセリア一人だ」

「残念。あなたとなら心躍る未来が見れそうなのに」


 もう化け物と呼ばれたことへの憤りは消えたのか、あるいはアデリアのことが衝撃的過ぎて怒る気分にもなれないと言うことなのか、テオドラの態度はさばさばとしたものだった。


 一方で、俺は考え込んでいた。壮絶すぎる生い立ちは同情すべきだが、だからと言ってテシウスの反乱を扇動し、兄二人を殺してしまった罪が消えるわけでは無い。前世の価値観に従えば、罪の償いをさせるべきだろう。


 だが、王位継承権争いで骨肉相食む闘争を繰り広げることは、この時代、この世界では普通のことだ。俺とて、王になると言うことは、ライバルを、まだ7歳の王子を蹴落とすということなのだ。どうして善人面してテオドラを断罪することが出来るだろうか。


 テオドラは、旧テシウス派の貴族や軍中枢の一部までも取り込んでいる。男性上位のこの社会で、女性でありながら、それをやり通す才覚は見るべきものがある。それが意図せず取り込んでしまった他人の知識を基にしているものだとしても、現在の状況に当てはめて活用しているのは、紛れも無く、彼女自身の才能だ。


 有り体に言ってしまえば、彼女の力が欲しい。少なくとも敵対はしたくない。


「テオドラ、提案があるんだ」

「……提案、ですか?」

「そう、大陸の覇者になるなんてことよりも、もっと面白いことをやってみないか?」


 俺は話し始めた。歴史の共犯者となる、その計画を。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る